悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

7.不幸な日、幸せな日

「私が、第三騎士団で、ですか?」

 思わず聞き返してしまうほど、その言葉は現実味がなかった。

 騎士団で働く? 私が? 頭の中に浮かんだのは、雑用や下働きの姿。仕事があるだけ、ありがたいと言いたいところだけれど。どんな仕事だろう。


「そうだ。はは、もちろん、騎士として、というわけではないぞ」

 エドモンド様は、こちらの戸惑いを察したのか、少しだけ柔らかく笑って言った。

 ……それは、さすがにそうでしょうけれど。



「それでは、その、薬師として、雇っていただけると考えてよろしいのでしょうか?」

 一瞬の迷いのあと、意を決して尋ねた。騎士団専属の薬師など、これまで聞いたことがない。それでも――。

 もし、まだ薬師として働ける道が残されているのなら。かすかな期待が灯るのを、どうしても止めることができなかった。


「ああ、もちろん。実はな、第三騎士団は、ほとんどが平民で構成されているんだ」

 エドモンド様はそう切り出すと、肩をすくめるように続けた。


「宮廷薬師が作るポーションなんてものは、ほぼ全部、高位貴族で編成されている第一、第二騎士団にしか配付されない。あいつら、訓練でついた小さな傷にさえポーションを使いやがるからな。俺たちのところには、ほとんど回ってこないんだ」

 声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。


「小さな傷なら、傷薬で十分だろうに……」

 苦笑交じりにそう言われ、私は思わず息を呑んだ。え……第三騎士団には、ポーションが渡されていない?

 そんなこと、初めて知った。

 室長からは、薬は十分に足りていると聞かされていた。けれど、それは「全体」としての話であって、実際には、行き渡っていない場所が確かに存在している。その事実に、静かな衝撃を受けていた。


「一応な、第三にも医者は一人いるんだ。口は悪いし、腕も……まあ、悪くはない。だがな」

 エドモンド様は、少し声を潜めるようにして言う。


「正直、お前のほうが医者にかかった方がいいんじゃないか、ってくらいの爺さんでな。ははっ! あ、でもこれ、本人には絶対内緒にしてくれよ?」

 そう言って、楽しそうに笑った。その飾らない物言いに、張り詰めていた心が少しだけ緩み、気づけば私も小さく微笑んでいた。



「でもな、その爺さんを長時間こき使うわけにもいかないし、ポーションがあれば、俺たちもずいぶん助かるんだ」

 エドモンド様は、少し真剣な表情になって続けた。


「それに、ポーションだけじゃない。宮廷薬師が作る薬そのものが、第三騎士団にはほとんど回ってこない。仕方なく町の薬師から買っているが……正直なところ、質はあまり良くない」

 
 自分たちが作っていた薬が、必要としている人の元に届いていない。そんな現実が、重くのしかかる。


「だからな、君が来てくれたら、本当に助かるんだ」

 まっすぐに向けられた言葉に、思わず視線を落とす。


「でも、エドモンド様の一存で、そんなことを決めてしまっていいのですか?」

 恐る恐る尋ねると、エドモンド様は自信に満ちた笑みを浮かべた。


「ああ、問題ない。俺は副団長だからな。騎士以外の人間を雇う権限は、俺に任されている」

 軽く胸を叩きながら言う。


「もちろん、最終的な承認は団長が出すが、心配はいらない。予算の範囲内なら、どんな職種でも雇っていい決まりだ。ちなみに第一騎士団なんて、専属のパティシエまでいるんだぞ」

「……パティシエ、ですか?」

 思わず目を瞬かせる。



「ああ。貴族様は何かと贅沢でな」

 冗談めかしたその言い方に、思わず苦笑がこぼれた。


「そういうことなら……」

 口ではそう言いかけたものの、胸の奥に、ふと小さな不安が芽生える。


「あの……でも、今は少し、気力が湧かなくて……。もしかしたら、期待されているほど働けないかもしれません。ノルマなどがあれば、こなせるかどうか……」

 正直な気持ちを口にしたが、あきれられているのではないかと顔を上げられなかった。


「だから……まずは仮採用、という形でも構いませんでしょうか……」

 断られるかもしれない。そう思いながら見上げると、エドモンド様はあっさりと頷いた。


「もちろんだ。無理をする必要はない」

 その声は、驚くほど穏やかだった。


「まずは様子を見ながらでいい。できることから少しずつやればいいんだ」

 そう言ってから、ふっと表情を明るくする。



「よし、それじゃあ、気が変わらないうちに第三騎士団へ行こう。安心してくれ、女性専用の寮もちゃんと用意してある」

 そうしてエドモンド様は、自然な仕草で私の荷物を持ち上げた。並んで歩きながら、どんな薬が作れるのかと聞かれ、思いつくままに答えていくと――



「そんなに作れるのか?」

 エドモンド様は目を見開き、本気で驚いた様子を見せた。



「え、ええ……必要に迫られて、覚えただけなのですが……」

「いや、それは立派だぞ」

 感心したように頷かれ、胸の奥が、じんわりと温かくなる。



「会合のせいで、今日は最悪な一日になると思っていたが、フローリアに出会えた。今日はついているな!」

 エドモンド様は、ふっと笑った。

 その言葉を聞いた瞬間、足取りが軽くなるのを感じた。

 まだ、何も終わっていない。これからも薬師として働ける。

 そう思えたことが、何よりの救いだった。


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