エリート救命医と身代わり花嫁の再会愛。
その夜、なかなか眠れなかった。
航大くんの腕の中で目を閉じていても、頭の中では麗のことをぐるぐると考えていた。パリで、パスポートを取り上げられて、身動きが取れない状態で——あの子は今、何を思っているのだろう。
婚約してから、航大くんが笑わなかった、優しくなかった、と言っていたらしい。それは私にはよくわかる気がした。航大くんは私の前では笑う。でも、好きでもない相手に向ける笑顔を、この人は持っていないのだと思う。麗はその温度差に、気づいてしまったのだ。
自分から結婚したいと言ったのに、想像と違った。でも言い出せない。伯父夫婦は麗に甘いから、失敗を認めることが余計に怖かったのかもしれない。そのまま追い詰められて、家出という形になった——。
理解できなくはない。でも、だからといって私を巻き込んでよかったわけじゃない。
その二つが、胸の中でずっと並んでいた。どちらかを消すことができなかった。
「……眠れない?」
低い声が、暗がりの中で響いた。
「ごめん、起こした?」
「いや、起きてた」
航大くんが私の背中をゆっくりと撫でた。暗い部屋の中で、その手の温もりだけがはっきりと感じられる。
「麗のこと、考えてる?」
「……うん。麗も、本当の航大くんを知らなかったんだなって」
正直に言うと、彼は少しだけ腕に力を込めた。
「俺も、最初は麗に怒りを感じていた。悠南を巻き込んだことへの怒りが。でも、麗がどういう気持ちで俺に近づいたのかを知ったら——正直、少し複雑な気持ちになった」
「……悠南への劣等感、か」
航大くんが静かに繰り返した。
「麗がそんなふうに思っていたとは、知らなかった。でも、それでも悠南を傷つけた事実は変わらない。麗への感情は、全部わかってから決める」
暗い部屋の中で、二人でしばらく黙っていた。遠くで雨の音がし始めた。静かな、細い雨音だった。