エリート救命医と身代わり花嫁の再会愛。



「……はるちゃん。こっちを見てくれ。お願いだ」


 二年前と同じ、熱を帯びた優しい呼び名。その響きに、甘えてすべてをぶちまけてしまいたい衝動が、波のように押し寄せてきた。
けれど、私は必死でそれを抑え込んだ。

 お父さんのクリニックを守らなければならない。スタッフのみんなを、路頭に迷わせるわけにはいかない。家族の未来が、私の肩にかかっている。

 私は俯いたまま、今にも壊れそうな細い声を、無理やり紡ぎ合わせた。


「……私が、望んだの。二年前に別れたけれど……やっぱり、あなたのことがどうしても忘れられなくて。だから麗に言ったの。その席、私に譲ってって……」


 嘘。全部、嘘なの。本当は、麗が逃げたから、伯父に脅されて。
 父の命運を握られて……心の中で必死に叫ぶ私の声をまるで嘲笑うように、航大が一歩私のパーソナルスペースを侵して近づいてきた。
 彼は私の強張った拳を、大きな温かな手で優しく包み込む。もう片方の手で、短く切られてしまった私の髪を、愛おしむように、そして確かめるようにゆっくりと撫でた。

 その指先が、わずかに震えていることに気づき、胸が張り裂けそうになった。


「そんな嘘を吐いて、俺が信じるとでも思っているのか? ……それに、この髪はどうした。あんなに大切に、長く伸ばしていたのに……」

「……切らされたのか?」

「……ううん。……結婚の、条件だったの。麗になりきるために。だから、自分から……切ったのよ」


 精一杯の拒絶の言葉を絞り出す。しかし航大は、深く、長いため息を漏らすと、何も言わずにゆっくりと歩き出した。その背中は、怒りと悲しみと、複雑な感情で張りつめているように見えた。

 私はその広い背中を、必死で追いかけた。冷え切った長い廊下を、二人の足音だけが静かに響く。
 奪われた自由、失われた本当の名前、そして愛する人に向けた、冷酷で苦しい嘘。
私たちの夫婦としての時間は、逃げ場のない深い闇の中から静かに、けれど激しく、容赦なく動き出したのだった。




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