役目を終えたはずの巫女でした―――選ばれなかった時間の続き

第89章 家族との時間―――背中を押す言葉

日本へ向かう結界の中で、桜は小さく息を吐いた。

――なんて話そう。

お母さんとお姉ちゃんに、ちゃんと話さないと。

そう決めたはずなのに、いざとなると、どこから話したらいいのか分からない。

それでも。

桜は一歩、結界内に現れた鏡へと足を踏み入れた。

次の瞬間、視界が開ける。

そして――

「……え?」

思わず、声が漏れた。

そこには、母の祐子と、姉の椿、そして凜と――凜の母の華子がいた。

「どうしたの?!」

思わず声が上ずる。

凜が、あっさりと口を開いた。

「桜ちゃん、私と巫女、交代だよね」

「そうだけど……凜ちゃん、分かったの?」

「うん、なんか昨日、夢で見てさ」

あまりにも軽い言い方に、桜は一瞬きょとんとする。

それから、ふっと肩の力が抜けた。

「そっか……」

小さく息をつく。

「あと、よろしくね。凜ちゃん」

凜は軽くうなずく。

そして――

「……で?」

じっと、桜の目を見る。

「どうなの?」

「どうって……?」

言いかけて。

少し遅れて、その意味に気づく。

空気が、変わった。

母が、静かに口を開く。

「桜、どうしたいのか、決めたのね?」

桜は、こくりと頷いた。

少しだけ息を吸って。

「私、あっちの世界で……騎士のクロトさんと」

一度、言葉が詰まる。

それでも続ける。

「結婚することになって」

「えっ」

姉が目を見開いた。

「け、結婚?!展開、早くない?」

桜の顔が一気に赤くなる。

「さ、さすがに、すぐではないと思うけど……」

言いながら、そっと視線を逸らす。

その横で、凜がふっと笑う。

「だから言ったでしょ。クロトさん、絶対に桜ちゃんのこと好きだって」

皆の方を見ながら、さらっと言う。

少しだけ苦笑して続けた。

「でも、あの人なら……なんとなく、すぐプロポーズしそうな雰囲気ではあるよね」

「えっ……?」

桜は目を白黒させる。

「ちょっと、凜ちゃん……?」

凜は、少しだけ困ったように笑った。

「ほら、前に言ったよね。桜ちゃん、クロトさんのこと好きでしょって」

「あの時は言わなかったけど……クロトさんも、たぶんそうだろうなって思ってて」

「だから、桜ちゃん、向こうに行っちゃうかもって、どこかで思ってたんだよね」

一度、母たちへ視線を向ける。

「一応、みんなには話してあって」

桜が固まる。

凜は少しだけ申し訳なさそうに続けた。

「だって、桜ちゃんを向こうに送る手助けするの、私だし」

「だから……ちゃんと話しておかないとって思って」

少しだけ目を伏せる。

「ごめんね、桜ちゃんには何も言えなくて」

桜は小さく首を振った。

「ううん。あの時言われても、たぶん絶対に信じなかったと思うから」

その隣で、華子が肩をすくめる。

「だから言ったでしょ。人生、何があるか分からないって」

椿が腕を組みながら、じっと桜を見る。

「……あんたが、結婚ね」

少しだけ間を置いて、口元を緩めた。

「姉としては、普通に嬉しいわ」

「まぁ、私も来年結婚するけど」

「え?」

桜が目を見開く。

「ちょ、そんなの聞いてないけど」

椿は苦笑いを浮かべた。

「あんた忙しそうだったし」

「まぁ、こっちは10年付き合って、やっとって感じだけど」

「……10年」

桜は思わず呟く。

そして、ぽつりと。

「……結婚式、出たかったな」

椿は肩をすくめる。

「それはこっちのセリフでしょ」

「私たちの方が、桜の結婚式見たかったわよ」

「異世界の結婚式とか、絶対すごそうだしね」

軽く笑いながら言う。

それから、ぽん、と桜の背中を叩いた。

「まぁ、近くに住むから、お母さんのことは任せなさい」

そのやり取りを見ていた祐子が、静かに口を開く。

「あんたたちは、自分の人生だけ考えなさい」

さらりとした口調だった。

「頼るつもりはないから」

そのまま、桜へと視線を向ける。

「それに、前にも言ったでしょ?」

「一年に一回、顔が見られるだけでも、私は十分よ」

ぽん、と桜の肩を軽く叩く。

「だから、向こうでクロトさんと上手くやることだけ考えなさい」

桜は、何も言えずに頷いた。

その空気を切るように、凜が口を開く。

「じゃあ、桜ちゃん。私、向こうに行ってくるね」

そう言って、華子の方を見る。

華子は、短くうなずいた。

「頑張りなさい」

凜は小さく息を吸って、うなずく。

その横から、祐子が声をかけた。

「凜ちゃん」

凜が振り向く。

「クロトさんに、娘をくれぐれもよろしくと伝えてね」

凜は一瞬だけ目を丸くして、それから、ふっと笑った。

「うん。ちゃんと伝える」

そして。

桜が、少しためらいながら口を開く。

「あの……凜ちゃん」

凜が振り返る。

「私のこと、大変かもしれないけど……よろしくお願いします」

その言葉に、凜は照れくさそうに笑った。

「やめてよ、桜ちゃん」

「私もさ、あっちに桜ちゃんがいると思うと心強いし」

少しだけ柔らかく言う。

「じゃあね」

そう言って、凜は鏡へと足を踏み入れた。

光が揺らぎ、その姿はゆっくりと消えていく。

やがて、その姿は完全に見えなくなった。
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