おはよう
探偵と言われて誰もが一度は想像するシャーロックホームズに酷似した格好。茶色のベレー帽にケープのついたトレンチコート。目元を隠す大きな丸眼鏡にくるくる癖のある茶色い天パ。パイプでも加えていれば完璧だったが、彼が咥えているのはペロペロキャンディ。
シャーロックホームズのコスプレと言われたらそれまでだ。だけど今はハロウィン期間中じゃないし、コスプレ男が非常階段にいるなんて考えたくもない。
とにかく怪しい男の登場に、私は学生鞄を抱きしめて後退った。
「いやいや逃げないでお嬢さん。わたくし怪しい者ではございません! あいやしまった怪しい人は皆そう言いますねぇ。ですが本当に怪しい者ではないのです。わたくしはただ、このような場所でうら若き女性が悩ましげな表情をしていたので、好奇心から声を掛けただけなのです!」
(堂々と好奇心って言い切った)
彼はひょいと立ち上がり、両手を挙げて無害をアピールした。右手にはペロペロキャンディが握られていて緊張感がない。信用する要素も一切ない。
「それで、学生さんがこんな平日の真っ昼間に、こんな人気のないビルの裏手に回り込んで、一体誰をお捜しで? 不肖未熟な身ではありますが、探偵を自称するわたくしめにかるーく相談しては如何でしょう」
いいながら階段を下りてくる相手に底知れぬ恐怖を感じて、身を翻す。「あ、ちょっとぉー」なんて気の抜ける声が聞こえたが、足を止めず走った。
「無視は酷いですよお嬢さん!」
「ひぃ…っ!?」
だというのに、ビルの表に回るより先に相手が回り込んできた。
その素早さに悲鳴が漏れる。
だってさっきまで階段に居たのに、数歩で追いつかれるような距離じゃなかったのに!
あまりの速さに明確な恐怖を感じてビルの壁に背中をくっつけた。見るからに警戒しているのに、怪しい探偵もどきは顎に手を当ててふむふむと頷いている。
「見たところ、上岩笑《うわがんじょう》駅から徒歩十五分の南埜川《みなみのがわ》高等学校の生徒さん。制服のリボンが紺色なところから二年生。逃げるときの反射神経から運動部。全体のバランスから見て…うーん、テニス部ですかね!」
ぞっとした。
当たっている。
「制服は綺麗に着熟しスカートもソックスも規定の範囲内。脱色もなしの綺麗な黒髪。カラコンも黒目矯正もしていない愛らしい鳶色だ。今時の学生に珍しく化粧っけもなく…と思えばかるーくしてますねぇ、近付かなきゃわからない程度に! 品行方正、優等生ってだけではなさそうだ!」
ずずいと身を寄せてくる相手から逃げるように壁を離れ、距離をとる。とてもじゃないが背中を見せることができなくて、心臓が不気味に脈打っていた。
「な、なに、いきなりあんた、なんなの」
「ああっといけない! 人に聞くばかりで自分のことを少しも話していなかった! これはお嬢さんが怖がって当然だ。大変申し訳ない、わたくしコーイウ者です」
くるりと綺麗にターンを決めて、けれど丁寧に両手で差し出された長方形の紙。所詮名刺には簡素に「自称探偵 曲利右助《まがりゆうすけ》」と書いてあった。
名刺に自称って書いてあるの初めて見た。名刺を目にする機会が少ないけど。
「失せ物のお猫様逃げた妻消えた夫気になるあの子の調査まで。勿論ご近所のちょっとした噂から難事件までぜーんぶ解決未解決。誰が呼んだか曲利右助曲がりなりにも探偵です!」
全部あやふやだ。