契約結婚は終了しました
 思わずそう呟くと、彼は困ったように眉を下げてゆっくりと立ち上がった。

「メル。契約ではなく、君と本物の夫婦になりたいんだ。ダメかい?」

 思い出の再現のような求婚に混乱する。
 こんなのありえない。
 頭ではわかっているのに、彼が差し出す箱の中に収まった指輪から目が離せなかった。

 それは、彼の妻だという証。
 そして同時に契約の印だったもの。
 三年間自分の体の一部のように思い出を共有した私の指輪だ。

「どうして?」

 もう一度呟くと、息を詰めていたヴィクターがふーっと息を吐き出した。

「メリーベルのことが好きだから」

 少しだけぶっきらぼうになった彼の声に目をあげると、ヴィクターが真っ赤になってそっぽを向いた。
 旦那さまらしくないと思うと同時に、既視感に襲われる。

「おにいちゃん?」

 無意識にこぼれた自分の声に驚いて、メリーベルがハッと口元を押さえると、ヴィクターも驚いたように振り返った。

「メル、思い出したのかい?」
「えっ?」

 両肩を掴まれ間近でヴィクターに見つめられたメリーベルは、ふいに子供の頃のことを思い出した。

 母と二人で暮らしていた頃、大好きだった男の子がいた。時々しか会えなかったけれど、優しくて大好きでたまらなかった年上の男の子。
 新しい父ができるかもしれない不安を聞いてくれたのも彼で、一緒に母が求婚される所も見た。一緒に泣いたり怒ったり笑ったりしてくれた、名前も覚えていない初恋の人。

(まさか…まさかまさか)

「メル、お父さんみたいな求婚をされるのが夢だって言ってただろう?」

 その一言で、まさかの思いが確信に変わる。

「ヴィクター様、だったんですか?」
「うん。プロポーズが遅くなってごめんね」


 ヴィクターは幼い頃、家庭の事情で叔父のところで暮らしていたという。両親と突然離れて暮らし、偏屈で無口な叔父と暮らすのは息苦しい。
 そんな時に出会ったのが幼かったメリーベルだった。

「まさか、本当に初恋の女の子だとは思ってなかったんだ」

 メリーベルが庶民だと言うことは知っていたから、もう会えないと諦めていたという。
 初恋の子に似てると思っても、上流階級の言葉を完璧に話すメリーベルとは別人だと思っていたと。
 それでも惹かれた。
 最初は似ているからだと思っていたけれど、だんだん初恋の子に似てるからではなく、メリーベルだから好きなのだと認めざるを得なくなった。

「だから契約が終わったら、正式に求婚しようと思ってたんだ」

 なのに、メリーベルは彼の帰りを待っていなかった。
 彼女も自分のことを憎からず思っているのではという希望が打ち砕かれ、しばらく落ち込んでいたが、当たって砕ける気でメリーベルの元を訪れたという。

「この一ヶ月、ギルと話してたことがきっかけで、君こそが、あの女の子だと気づいたんだ」

 ギルとプロポーズの相談までしていたと言われ、さっき素知らぬフリで別れた弟の顔を思い出す。
 この小旅行は弟の企みだったのだと気づき、頬がカーッと熱くなった。
 隠していたつもりの気持ちは、弟にバレバレだったのだ!

(恥ずかしい)


「ねえ、メル。俺の本当の妻になってくれないか? みんな、君を待っているんだ」

 彼に望まれたことが嬉しい。
 同時に、待っていてくれる人がたくさんいるという事実に胸が震えた。

「私で、いいんですか?」
「メルがいい」

 真剣な眼差しが、かろうじて保っていた心の壁を打ち砕く。
 拒む理由なんてどこにもなかった。

「私もヴィクター様がいいです!」

 そう言って、あの日の母のように求婚者に飛びついたメリーベルを、ヴィクターがしっかりと抱きしめてくるっと一回転する。

「愛してる」

 どちらからともなく告げ、ふたりは初めての口づけを交わした。

fin
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