騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 振り向けばレオニード王子が歩み寄ってきていた。

 その隣には、一人の女性。

 落ち着いた色合いのドレス。華やかさは控えめだが、視線を引く気品がある。

 「紹介は不要だろうがーー一応な」」

 わずかに口元を緩める。

 「婚約者のアリシアだ」

 女性は一歩前に出て、優雅に一礼した。

 「アリシア・フォン・シルヴェスターと申します」

 「婚約披露パーティーでは、ご挨拶のみで失礼いたしました」

 穏やかに、そう言葉を添える。

 押し付けるような強さはない。だが、芯の通った落ち着きがある。

 セレスティアは、ほんのわずかに遅れて反応する。まだ先ほどの言葉の余韻を引きずっているように。

 それでもすぐに、丁寧に礼を返した。

 「いえ、そのような……。私もご挨拶だけで失礼いたしました」

 わずかに表情を和らげる。

 アリシアは柔らかく微笑む。

 「本日も殿下と共に参りましたので、長くお時間を頂くことは控えさせていただきますがーー」
 「また、こうしてお目にかかれましたこと、嬉しく思います」
 
 その言葉に飾りはなく、自然な温度があった。

 レオニードは一度だけアリシアに視線を向け、軽く頷く。

 それから、ふっと視線を横へ流した。

 ーーベイルへ。

 「どうだ?」

 レオニードが軽く周囲を示す。

 視線の先では、客たちが空を仰ぎ、あるいは静かに語らい、誰もが思い思いに夜を楽しんでいる。
 決められた挨拶も、順序もない。

 「堅苦しくないだろう」

 「ああ」

 短く返す。

 わずかに間を置いてから。

 「……悪くない」

 最低限の言葉。だが、否定はない。

 レオニードは、その反応に満足げに目を細めた。

 「六十年に一度の流星群だ」
 
 空を仰ぐ。

 「こういう夜くらいは、肩の力を抜いても罰は当たらない」

 その言葉に、セレスティアもつられるように空を見上げる。
 
 ちょうどその時、流星がひとつ走る。

 「あっ……今の、見えましたか」

 思わず口をついて出る。

 「ああ」

 ベイルが答える。

 「今のは分かった」

 一瞬だけ。

 視線がセレスティアへと落ちる。

 「きれいですね」

 「そうだな」 

 短い応答。

 だが、その声はどこか静かだった。

 レオニードはそのやりとりを横目に見て、小さく笑みを深める。

 「……これ以上、邪魔をするのも無粋か」

 軽く言う。

 「少し回ってくる。お前たちは好きにしていろ」

 「では、また後ほど」

 アリシアも穏やかに一礼する。

 二人はそのまま、人の流れの方へと歩いて行った。

 ーー再び、静けさが戻る。

 けれど先ほどとは違う。

 どこか、わずかに熱を帯びた静寂。

ーー言葉にされなかったものが、残っている。

 ベイルは、ふと気づく。

 隣に立つセレスティアとの距離。

 肩が並ぶ位置。
 互いに正面は夜空へ向いている。
 だが、横に並ぶその間隔がーー近い。

 触れてはいない。

 だが、腕をわずかに動かせば、すぐに袖が触れてしまう位置。

 (……)

 わずかに、思考が止まる。

 セレスティアは、空を見上げたままだった。

 特に意識した様子もない。
 むしろ、いつも通りに見える。

 それでも。

 彼女の体は、ほんのわずかにこちらへ傾いている。

 寄り添うほどではない。
 だが、離れているとも言えない角度。

 風か。
 足場か。

 一瞬そう考えて――否定する。

 風は逆方向から吹いている。
 足元も安定している。

 不自然ではない。
 だが、偶然でもない。

 (……無意識か)

 そう思った瞬間。

 セレスティアが、流星を追うようにほんの少しだけ身を乗り出す。

 その動きに引かれるようにーー

 袖が、触れた。

 かすかに。擦れる程度の、ごく軽い接触。

 本来なら、そのまま離れるはずの距離。

 だが――

 離れない。

 触れたままではない。
 だが、戻らない。

 距離が、そのまま残る。

 セレスティアは気づいていない。

 あるいは、気にしていない。

 ただ、自然にその位置にいる。

 「……」

 ベイルは何も言わなかった。

 指摘する理由がない。

 離れる理由もーーない。

 夜風が、わずかに吹き抜ける。

 その拍子に、セレスティアの髪がかすかに揺れ、頬の近くをかすめる。

 触れるほどではない。

 だが、近い。

 その距離を、はっきりと認識する。

 (……前にも)

 不意に、記憶がよぎる。

 ソファでの距離。
 もたれかかる重み。
 触れていた指先。

 思考が、わずかに鈍る。

 再び横を見る。

 セレスティアは、やはり何も変わらない表情で、空を見上げていた。

 穏やかで、静かで。

 ただそこにいるだけ。

 ――だが。

 無意識に、この距離を選んでいる。

 その事実だけが、はっきりと分かる。

 「……寒くはないか」

 気づけば、そんな言葉が出ていた。

 意味のある問いではない。

 ただ、確認するように。

 「大丈夫です」

 セレスティアは、小さく頷く。

 その拍子に、わずかに肩が触れた。

 今度は、はっきりと。

 ほんの一瞬。

 だが、確かに触れた。

 それでも――

 距離が離れない。

 (……)

 ベイルは、わずかに息を吐く。

 理解する。

 これは、意図されたものではない。

 誘いでもない。

 ただ――

 この距離が、彼女にとって自然になっている。

 それだけのこと。

 だからこそ。

 拒む理由が、どこにもない。

 視線を、再び空へ戻す。

 流星が、またひとつ走る。

 その光を追いながらーー

 (……このままで構わない)

 心の内でだけ、そう思った。

 その直後だった。

 ふと――

 風が、途切れる。

 夜の空気が、わずかに重く沈む。

 セレスティアの指先が、ほんのわずかに強張る。

 「……?」

 ベイルが眉を寄せた、その瞬間。

 空気の奥で、何かが歪んだ。 
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