騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 星降る夜の集いは、静寂を取り戻しつつあった。

 音楽は、途切れ途切れに戻りかけている。

 庭園に面した回廊の一角。
 小さく集まった貴族たちが、声を潜めて言葉を交わしている。

 「……見ましたか、先ほどの」

 「ああ、令嬢が取り乱されたとか」

 「ええ、それは確かに。ですが――」

 言い淀む。

 言葉にしようとすると、途端に曖昧になる。

 「あの方の髪の色が……」

 「髪?」

 「ええ。普段は、もう少し落ち着いた色合いだったはずですが……」

 「それは照明の加減では?」

 「……そう、かもしれませんが」

 納得しきれない沈黙が落ちる。

 少し離れた場所では、別の会話が交わされていた。

 「いや、あれは魔術だ。何かしらの発動があった」

 「魔術? しかし詠唱もなく?」

 「高位の術者ならば可能だろう」

 「だが、あの方がそのような……」

 言葉が途切れる。

 “そのようなことができる人物だったか”

 誰も断言できない。

 「……騎士隊長殿も側におられた」

 ぽつりと誰かが言う。

 「ええ、確かに。あの方がすぐに収められたように見えました」

 「では、騎士団の管轄ということか」

 「さあ……王子殿下もご覧になっていたはずですし」

 視線が自然と、遠くの人物へと流れる。

 だが、そこに明確な答えを求める者はいない。

 求めてはいけないと、分かっているからだ。

 ――知らぬままでいる方が、安全なこともある。

 だが――

 それぞれの胸の内に、同じものが残る。

 名付けられない違和感。

 言葉にすれば崩れてしまう何か。

 そして、

 あの場にいた“セレスティア”への、わずかな認識の変化。

 ――ただの令嬢ではない。

 誰も口にしないまま、その感覚だけが、静かに広がっていった。

 ざわめきは、完全には収まっていなかった。

 音楽は再開されている。
 だが、視線は時折、あの一角へと流れる。

 ――何が起きたのか。

 誰も断言できないまま、言葉だけが漂っていた。

 その時。

「皆、少しよろしいかな」

 穏やかな声が、空気を撫でる。

 大きな声ではない。
 だが、不思議と場全体に届いた。

 視線が一斉に集まる。

 そこに立っていたのは――レオニード王子。

 その隣には、婚約者であるアリシアが静かに寄り添っている。

 彼女は一歩控えながらも、気品ある微笑を崩さない。

 まるで、“何事も起きていない”かのように。

 レオニードは周囲を見渡し、わずかに肩の力を抜いたように微笑した。

 「先ほど、少々の混乱があったようだが」

 軽く、言葉を選ぶように間を置く。

 「どうやら、酒が少し過ぎてしまったご令嬢がいたらしい」

 空気が、わずかに変わる。

 「体調も優れなかったようでね。驚かせてしまったのなら申し訳ない」

 その声音は、あくまで穏やかだった。

 責めるでもなく、誤魔化すでもなく。

 ただ、“そういう出来事だった”と示す。

 「幸い、大事には至っていない」

 視線が、自然とあの場にいた者たちへと向けられる。

 「近くにいた者たちが、適切に対応してくれた」

 名は出さない。

 だが、それで十分だった。

 理解が“形”を持つ。

 「今宵は星を楽しむための夜だ」

 レオニードはふっと微笑を深める。

 「どうか、気にせず続けてほしい」

 一言。

 それだけで、場の重心が戻る。

 押し付けではない。
 だが、逆らう余地もない。

 王子が「問題ない」と言った。

 それが、答えになる。

 「……さあ、音楽を」

 軽く手を上げる。

 それは、新たに始めさせるための合図ではなく、すでに戻りかけていた流れを、“それでいい”と定める一言だった。

 合図に応じるように、楽団が旋律を取り戻す。
 今度は先ほどよりも、明確に。

 人々の視線がゆっくりと逸れていく。

 ざわめきは、形を変える。

 不安から、納得へ。
 疑念から、解釈へ。

 ――酒に酔った令嬢。
 ――少しの騒ぎ。

 それ以上でも、それ以下でもない出来事。

 そう“理解された”。

 レオニードはその様子を一瞥し、満足げに目を細める。

 隣のアリシアが、わずかに顔を寄せた。

 「……お見事ですわ」

 小さく、囁く。

 レオニードは肩をすくめる。

 「大したことではないよ」

 その声音は軽い。

 だが、その実――

 場のすべては、すでに整えられていた。

 「人は、安心できる理由を与えられれば、それを選ぶ」

 視線だけが、ほんの一瞬遠くへ向く。

 「そして、一度選んだものを、疑い続けることはしない」

 アリシアは微笑を保ったまま、何も言わない。

 ただ、その横顔を静かに見つめていた。

 音楽は続く。
 笑顔も、会話も、すべてが“元通り”に見える。

 ーー何事もなかったかのように。

 そしてそれは、もはや“そうであること”になっていた。
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