騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした

第四話「星降る夜を経て」

 第三騎士団詰め所は、昼前の活気に満ちていた。

 報告書を手に行き交う騎士、訓練帰りに汗を拭う者、軽口と笑いが混じる、いつもの光景。

 その入口に、ひとりの令嬢が現れたとき——

 空気が、わずかに整う。

 「……あの、失礼いたします」

 柔らかく、よく通る声。

 近くにいた騎士が振り返り、思わず視線を止めた。

 淡く光を帯びた灰銀の髪、整った面差し、控えめながら品のある佇まい。

 所作は丁寧で、明らかに高位の令嬢だった。

 「えっと……何かお探しですか?」

 少しだけ柔らかい声音で声をかける。

 職務として、というよりはーー半分は好奇心だった。

 (……どこかで、見たような気がするな)

 記憶の端に引っかかる。

 だが思い出せない。

 (……こんなに可愛い令嬢なら、覚えているはずなんだが)

 だからこそ、余計に妙だった。

 引っかかる感覚だけが、曖昧に残る。

 「もしよければ、案内しますよ」

 ほんの少し距離を詰め、軽く笑みを乗せる。

 令嬢はその様子に特に警戒することもなく、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 「よろしいのですか?ご親切に、ありがとうございます」

 そう言って、ほんの少しだけ表情を和らげる。

 ーー次の瞬間。

 ふわりと、花びらがひらくように笑った。

 作ったものではない、まっすぐな喜び。

 そのままこちらへ向けられる視線も、何の含みもなく澄んでいる。

 「助かります」

 その一言さえ、どこか嬉しそうで。

 (……うわっ)
 
 騎士の思考が、一瞬止まる。

 胸の奥を、軽く掴まれたような感覚。

 気を抜けば、そのまま何かを持っていかれそうなーー

 (……なんだ今の)

 一歩踏み込もうとしていた意識が、逆にたじろぐ。

 距離を詰めるどころかーー

 不用意に踏み込んではいけない。

 そんな感覚が、ふいに胸の奥に生まれていた。

 不思議な感覚を覚えつつ、騎士は言葉を続ける。

 「初めて来られました?ここ、少しわかりにくいですよね」

 「第三騎士団って、結構ーー」

 その時。

 「何だ、入り口でーー」

 低い声が割り込んだ。

 振り返る。
 
 ベイルが立っていた。

 視線が、そのまま令嬢へ向く。

 「……セレスティア」

 名前を呼ばれた令嬢が、安堵したように微笑んだ。

 「ベイル様」

 数歩進み出るが、きちんと距離を保ったまま一礼する。

 「お忙しいところ、申し訳ございません」

 「……どうした?こんなところまで」

 ベイルの視線が、一瞬だけ騎士へ流れる。

 無言。 

 ーーそれだけで、空気がわずかに張り詰めた。

 「……セレスティア」

 騎士が、小さく呟く。

 (——あ)

 (あああああ!?)

 (名前だけは聞いていた——!)

 (確か……隊長の、婚約者の名だ!?)

 一気に血の気が引く。

 周囲の視線を感じながらも、ベイルは努めて平静に問う。

 セレスティアは一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙し——

 やがて、静かに口を開いた。

 「先日……」

 ほんのわずかに頬を和らげて。

 「甘えてもよいと、おっしゃってくださったので」

 ——空気が止まる。

 完全な静止。

 次の瞬間、周囲の騎士たちの思考が一斉に跳ねた。

 (……は?)

 (今、何と?)

 (甘えていい⁉)

 ベイルの表情も、一瞬だけ固まった。

 「……っ、それは……」

 否定できない。

 覚えがある。

 はっきりと、ある。

 だが——

 「……ここで今、言うことか」

 低く抑えた声。

 しかし耳のあたりが、わずかに赤い。

 完全に動揺している。

 その様子を見ていた副隊長が、肩越しに小さく息を漏らした。

 「なるほど」

 くすりと笑う。

 「そういう“許可”は、きちんと出してたんだな」

 「……余計なことを言うな」

 鋭く返すが、いつもの迫力はない。

 周囲の騎士たちがざわつく。

 (甘える許可!?)

 (隊長が!?)

 その中心で、セレスティアは変わらず穏やかに続ける。

 「今日はお天気もよろしいし……簡単ではありますが、お弁当を用意してきたのです」

 わずかに視線を伏せる。
 
 「もしご都合がよろしければ、どこか外でお昼を……ご一緒できたらと」

 その頬に、淡い朱が差していることにーー本人だけが気づいていない。

 ほんのわずかにためらってからーー

 「その……来てしまいました」

 言い終えたあと、小さく息を整える。

 控えめで、丁寧な言葉。

 けれどその中にあるのは、まっすぐな“会いたかった”という気持ち。

 「……なんだ、これ」

 誰かの声が、ぽつりと落ちる。

 (か、可愛すぎるだろ……)

 騎士たちの内心が大混乱に陥る。

 (弁当持参で来た?)
 
 (公衆の面前で?)

 (しかもーー直接?)

 一瞬の静止。

 (隊長相手に)

 (ランチデートに誘っている……‼)

 (こんな、正面突破の令嬢、見た事ないぞ!)

 (……強い)

 (いや、強いんじゃない)

 (これ、無自覚だな)

 (これを、計算でやってないのが、一番まずい)
 
 (……無理だろ、こんなの)

 (断れるわけがない)

 ベイルは一度、目を閉じて息を吐いた。

 観念したように。

 「……わかった」

 短く答え、彼女を見る。

 そして、副隊長へ視線を向けた。

 「急ぎの案件はあるか」

 「いや、ひとまずは」

 わずかな間。

 「……なら問題ないな」

 セレスティアへ向き直る。

 「ちょうど、昼食をとろうと思っていたところだ」

 「……行こう」

 「はい」

 ベイルの言葉に頷きながらも、セレスティアは一度足を止めた。

 「皆さま、お忙しいところ失礼いたしました」

 丁寧に一礼する。

 その整った所作に、騎士たちは一瞬言葉を失う。

 「い、いえ……!」
 「どうぞ、お気になさらず!」

 小さく微笑み、ベイルの後を追う。

 二人は並んで歩き出す。

 距離は保たれている。

 それでも、空気は明らかに近かった。

 そのまま詰め所を後にする。

 ——沈黙。

 数秒後。

 「……今の」

 「よく隊長、平然としていられるな」

 「いやーー」

 一人が、すぐに否定する。

 「そうでもないと思うぞ」

 「あの顔、見たか?」

 一瞬の沈黙。
 
 「見た」

 「……見たな」

 「完全に動揺してた」

 ざわり、と笑いが広がる。

 「まあ、無理もない」

 「あれで平然としてたら、それはそれで怖いわ」

 その中で、副隊長だけが苦笑し、小さく息を吐いた。

 「これは……」

 わずかに目を細める。

 「隊長は午後から、仕事が手につかんだろうな……」

 その場にいる誰も、否定できなかった。
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