騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした

第二話「帝国からの返書」

 国王の執務室。
 重厚な扉の内側に、限られた者だけが集められていた。

 王。
 宰相。
 第一王子。
 第二王子レオニード。

 そして、ベイル。

 呼び出しは急だった。

 理由は一つ。
 
 ーーセレスティア生存の報告と、王国騎士との婚約を伝えた書簡に対する、帝国からの返書。
   それはすでに開封され、机上に静かに置かれている。

 だが。

 誰一人として、それを単なる外交文書とは見ていなかった。

 「では、皆さん揃いましたので、改めて読み上げます」

 宰相が、机上の書簡に手を置く。

 ゼルドレイン帝国より
 ヴェルディア王国 王家 御中
 
 拝啓

 貴国よりの書簡、確かに拝受いたしました。

 此度、故人とされていたセレスティア殿のご生存、ならびに貴国騎士ベイル殿とのご婚約の報に接し、心よりのお祝いを申し上げます。

 同殿は、かつて我が帝国において確かな血統を有し、然るべき家名に連なる者にございます。

 その身分に関する扱いは、従前の規定に照らし、慎重なる確認を有するものと存じます。

 つきましては、本件婚約の正式な承認に先立ち、当人自らによる出自および継承権に関する確認、ならびにこれに伴う諸手続きのため、一定期間、帝国領内においてその身分整理を行われることを求めるものにございます。

 当該手続が滞りなく完了した後、本件につきましては、改めて正式なる承認を与える所存にございます。

 貴国におかれましても、同殿の来歴およびその扱いの重要性に鑑み、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 末筆ながら、両国の更なる安寧と発展を祈念いたします。

 敬具

 ゼルドレイン帝国 首席外交官
 ジルベール・ハルフォード
 

 沈黙が室内に落ちる。

 やがて、第一王子が口を開く。

 「これは“承認”ではない」
 
 第一王子の視線が、書簡へと落ちる。

 「だが、“拒絶”でもない」

 しばし文面を見据えた後、低く告げる。

 「……誘導だな」

 その言葉に、宰相が静かに頷いた。

 「はい。形式上は、あくまで“確認手続きの要請”です」

 「だが実質は違う」

 第一王子の声は低い。

 「帝国領に呼び込むための条件提示だ」

 沈黙。

 レオニードが、ふっと息を吐いた。

 「しかも断れない形で、な」

 書簡の一節を、指先で軽く示す。

 「“承認の前提”って言われりゃ、こっちは拒否しにくい」

 「ええ」

 宰相が続ける。

 「拒否すれば、“手続きを拒んだ側”となります」

 「つまり」

 第一王子が引き取る。

 「正当性は、あちらに移る」

 「正式な婚約の承認は、帝国の裁可を経る形となるな」

 空気がわずかに張り詰める。

 ーーそのとき。

 レオニードの視線が、ふと止まった。

 書簡の一節。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 「……妙だな」

 誰もすぐには反応しない。

 だが、その一言で空気が変わる。

 第一王子が視線を向ける。

 「何がだ」

 レオニードは答えず、書簡をもう一度なぞるように見る。

 「首席外交官の文にしては、整いすぎている」

 沈黙。

 「……意図的に調整されている、と?」

 「そうだな」

 レオニードは軽く肩をすくめる。

 「押すところは押してる」

 「だが、絶対に越えちゃいけない線は踏んでない」

 机を指先で叩く。

 「こちらが“断れない上に、拒絶もできない”位置にきっちり収めてる」

 第一王子が静かに言う。

 「偶然ではないな」

 「あるわけないだろう」

 レオニードは即答する。

 そしてーー
 
 ほんの僅かに、口元が歪んだ。

 「これは、誰が書いた?」

 沈黙。

 名は書簡に記されている。

 ーーだが、それが答えではないことを、誰もが理解していた。

 宰相がゆっくりと口を開いた。

 「少なくとも、“通常の起草”ではありません」

 一拍。

 第一王子が口を開く。

 「背後に、別の意思がある……か」

 レオニードが小さく息を吐く。

 「国家の都合じゃないな」

 薄く笑う。
 
 「……意図が露骨すぎる。誰かの都合を押し通すための文だ」

 空気が、わずかに冷える。

 ベイルは、書簡を見つめたまま口を開いた。

 「……あいつか」

 沈黙。

 だがーー
 
 誰も「誰のことだ」とは聞かなかった。

 レオニードが、わずかに口元を歪める。

 「だろうな……諦めが悪い」

 一拍。

 「欲しいものは、取りに来る」

 「しかも、“自分で選んだと思わせる形”でな」

 第一王子が静かに言う。

 「……厄介だな」

 一拍。

 「レオニードから話は聞いているが……」

 視線をわずかに細める。
 
 「そのセレスティアという娘は、そこまでして手に入れたい人物なのか?」

 宰相が、静かに口を開いた。

 「……断言はできませんが」

 宰相は慎重に言葉を選ぶ。

 「神殿の耳に入れば、動く可能性はございます」

 視線を落とし、言葉を選ぶ。

 「精霊との繋がりが、極めて深い者ーー場合によっては、“聖女”として迎え入れようとするでしょう」

 わずかな沈黙。

 「おそらく……」

 ゆっくりと顔を上げる。

 「そうなる前に、自分の側に“取り込む”つもりだったのでしょう」
 
 レオニードが低く息を吐いた。

 「……アストレア公らしい」

 「でなければ、社交界にも出ていない娘にーー」
 
 「わざわざ婚姻を迫る理由がない」

 椅子の背へわずかに身を預ける。

 「ーー養家が逃がした理由も、分かる」 
 
 一拍。

 「あの男は……優れたものを“集める”」

 「人も、より高みへ至るための“素材”だ」

 沈黙。

 王が、ゆっくりと口を開いた。
 
 「つまり」

 低い声。

 「行けば戻れぬ可能性があるのだな」

 誰も否定しない。

 その事実が、場に沈む。

 王がベイルを見る。

 「お前はどう見る」

 唐突な問い。

 だが避けられない。

 ベイルは一瞬だけ考え、

 「……連れて行く気でしょう」

 簡潔に言う。

 「ただし、“奪う”形ではなく」

 視線を上げる。

 「“本人の意思で行った”形にして」

 宰相が小さく頷く。

 「その通りかと」

 第一王子が続ける。

 「故に、厄介だ」

 沈黙。

 王が腕を組む。

 「ならば問う」

 静かに落ちる声。

 「我らは、どこまで応じる」

 第一王子が即答する。

 「全面拒否は不可」

 「だが全面受諾も危険」

 宰相が補足する。

 「交渉の余地を残すべきかと」

 レオニードが、わずかに目を細めた。

 「……行かせる。だが、相手の自由にはさせないーーそういうことか」

 誰も否定しない。

 王がゆっくり頷く。

 「では、条件を付す」

 短い決定。

 第一王子が続ける。

 「監督下での滞在」

 「期限の明示」

 「単独拘束の禁止」

 一拍置いて、言葉を継ぐ。

 「ーー加えて」

 わずかに視線がベイルへ向く。

 「帝国による正式承認が得られるまで」
 「当該婚約は“仮認可”に留める」

 静かながら、はっきりとした線引き。

 宰相が補う。
 「並びに、“婚約関係の維持”の明文化」

 その一言で、空気が変わる。

 ーー均衡が整った。

 ーー打開策としては、正しい。

 だが。

 ベイルの視線が、わずかに上がる。

 ーー維持。

 その言葉が、胸に引っかかる。

 社交の場に並び、
 言葉を交わし、
 少しずつ距離を埋めてきた。

 あの時間は、確かに積み重なっている。

 それなのに。

 それを、まだ“維持すべきもの”として扱うのか。

 (……先には、進めさせないつもりか)

 帝国の返書が、脳裏をよぎる。

 ーーいや。

 あれは、帝国の総意ではない。

 (……ノクティスか)

 奥歯が、わずかに噛み合う。

 (盤を握られている)

 理解している。
 これが最善手の一つであることも。

 だがーー

 (気に入らないな)

 感情は別だ。

 一瞬だけ、思考が逸れる。

 無防備に笑った顔。
 空気を読まずに距離を詰めてくる、あの調子。

 (……あいつは)

 この状況を、どう受け取る。

 その問いは、口には出さない。

 出せば、これはただの外交の話ではなくなる。

 セレスティアの意志と、自分の関係の話になる。

 そしてーー

 今は、そこを問うつもりはない。

 ベイルはゆっくりと顔を上げた。

 (なら、やることは一つだ)

 止められているのなら、その中で進める。

 それだけだ。 

  レオニードが続ける。

 「帝国が“血統を盾に”来るなら」

 一拍。

 「こちらは“契約”で押さえる」

 静かな断定。

 王が最後に告げる。
 
 「受ける」

  一拍。

 「本件は、帝国の裁可に委ねる形となろう」

 静かに言い切る。

 「だがーー」

 わずかに間。

 「それで我らの意志が定まらぬわけではない」

 空気が張る。

 「主導は渡さぬ」

 沈黙。

 そして。

 全員が理解する。

 (これは外交ではない)
 
 (盤上戦だ)

 そしてーー

 (盤面は、すでに動かされている)

  
< 115 / 120 >

この作品をシェア

pagetop