騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 王宮西離宮、その一室。

 室内には、張り詰めた静けさがあった。
 だがそれは、敵意や不穏によりものではない。
 互いに言葉を選んでいるがゆえの、静かな緊張。

 先ほどの会議での内容を伝えるため、ベイルはセレスティアの元を訪れていた。

 向かいに座る彼女は、いつもと変わらぬ落ち着きを保っている。
 背筋は伸び、視線は静かにこちらを見据えている。

 「……帝国から、返書が来た」

 低く告げた声には、わずかな硬さが混じる。

 セレスティアは小さく息を整えた。
 促すでも、急かすでもない。
 ただ、受け止めるための静けさ。

 ベイルは一度だけ呼吸を整え、続ける。

 「婚約の正式な承認には、帝国側での手続きが必要になる」
 
 わずかに間を置く。

 「……あなたの身分についてだ」

 その言葉に、セレスティアのまばたきが一度だけ増えた。

 驚きというほどではない。
 だが、その言葉は、予想していたものとは少し違っていたようだった。

 「身分……ですか」

 確かめるような声音。

 「ああ。こちらでの生存が確認された以上、継承権や帰属の整理が必要になるそうだ」

 ベイルは淡々と続ける。

 「その手続きに立ち会うこと。それと……一定期間、帝国に滞在するよう求められている」

 空気が、わずかに重く沈む。

 セレスティアは言葉を失った。

 それは単なる手続きではない。
 帝国の中枢。
 ーーあの男のいる場所。

 そこへ、自ら踏み込むということは。

 事実上、その掌の内へ入るに等しい。
 
 沈黙。

 長くはない。
 だが、軽くもない。
 
 やがて、彼女はゆっくりと視線を落とした。

 わずかに息を含みーー

 「……やはり、そう簡単にはいきませんね」

 かすかに滲むのは、諦めではない。
 現実を受け止めた上での、静かな覚悟だった。

 ベイルは、その様子を静かに見つめーー

 「……俺も同行する」

 短く告げた。

 その言葉に、セレスティアは顔を上げる。

 「それはーー」

 反射的に言いかけて、言葉が続かない。

 本来ならば、自分一人で負うべきものだ。

 ーー巻き込むべきではない。

 そう思う気持ちが、胸の奥に引っかかる。

 セレスティアはゆっくりと視線を落とした。

 指先が、胸元へと伸びる。

 触れたのは、婚約披露の折に贈られたあのネックレス。

 淡い光を宿す小さな石が、繊細な銀の細工に包まれている。

 ほんの一瞬だけ、何かを確かめるように。

 その仕草に、ベイルの視線がわずかに動いた。

 セレスティが、静かに口を開く。

 「……ご迷惑を、おかけしていますね」

 責めるでもなく、拗ねるでもない。

 ただ事実として差し出された言葉。

 ベイルはわずかに眉を寄せた。

 「迷惑、か」

 短く繰り返す。

 そしてーー小さく息を吐いた。

 一拍。

 「……今さらだろう」

 低く、静かに。

 その声音には、迷いがなかった。

 「それを、お前一人の問題にするつもりはない」

 セレスティアが、顔を上げる。

 ベイルはそのまま続ける。

 「……最初から、そういうつもりで引き受けている」

 その言葉には、誇張も気負いもない。

 ただーー選んだという事実だけが、静かにそこにある。

 セレスティアは、しばらく何も言えなかった。

 胸の奥で、何かがほどける。

 抗う理由は、確かにあったはずなのに。

 それが、うまく形にならない。

 やがて、小さく息をつく。

 「……ありがとうございます」

 その声音は、先ほどよりもわずかに柔らかい。

 ベイルは軽く頷き、視線を外す。

 「出立の準備が必要になる。時間はそう多くない」

 現実的な話へと戻す声音。

 だが先ほどの一言は、確かに残っている。
 
 「……分かりました」

 セレスティアは頷いた。

 それ以上は、何も言わない。

 沈黙が落ちる。

 だがそれは、先ほどまでの張り詰めたものではない。

 静かに、同じ方向を向いている沈黙。

 それ以上、言葉は必要なかった。

 同じものを、引き受けているとーー

 互いに知っているから。

 
 
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