騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
第三話「帝都グランツレイル」
馬車の揺れが、わずかに変わった。
石畳を踏む規則正しい振動に、セレスティアは顔を上げる。
窓の外に広がる街並みは、記憶の中とほとんど変わらない。
整然と並ぶ建物。
無駄のない街路。
(ーー変わっていない)
思わず、そんな感想が浮かぶ。
「……帝都グランツレイル、ですね」
王宮書記官が、静かに呟き、手元の記録板に筆を走らせる。
セレスティアは、ただ窓の外を見ていた。
角を曲がる。
見覚えのある通り。
(……ここ)
思い出す。
朝、焼き立てのパンの匂いが流れてきた場所。
少し歩けば、窓辺に花を置く家があって。
季節が変わるたびに、色が変わるのが好きだった。
何も特別ではない。
どこにでもあるような景色。
けれど確かに、そこにあった時間。
「懐かしそうな顔をされていますね」
向かいから、リタの声が落ちて来た。
セレスティアは、少しだけ目を瞬かせる。
「……そう?」
「ええ」
からかうでもなく、ただ事実を言うような声音だった。
「毎年、養父の公務などに同行して、数か月間帝都には来ていたから……」
セレスティアはわずかに息を止める。
ふと、別の光景が脳裏をかすめた。
玄関先で見送る養母の姿。
「寒くなる前に帰ってらっしゃい」と、少しだけ眉を下げて笑う顔。
出発の朝、まだ眠そうにしていた弟。
無理に起きてきて、「土産、忘れないでよ」と言った声。
妹は、最後まで手を振っていた。
馬車が見えなくなるまで、ずっと。
(……元気にしているだろうか)
手紙は届いているはずだ。
無事も、伝わっているはずだ。
それでも。
胸の奥に、ほんのわずかなざわめきが残る。
すべてはーー
自分の幸せを願って計画されたことだ。
(……それは、わかっている)
だからこそ。
その選択の上に立っている自分が、何も感じないわけにはいかない。
ゆっくりと息を吐き、視線を窓の外へ戻す。
馬車の窓越しに、帝都の街並みがゆっくりと流れていく。
幼い頃、確かにここで過ごしていた。
記憶の中にある景色と、ほとんど違わない。
それなのにーー
(少し、遠い)
触れればほどけてしまいそうな、曖昧な距離感。
懐かしさと同時に、どこか現実感が薄い。
(帰ってきた……)
その言葉を、心の中でなぞる。
けれど。
(……違う)
これは、ただの帰郷ではない。
わずかに視線を伏せる。
(ここに来たのはーー)
指先が、無意識に重なった。
(手続きのため)
淡々とした言葉を、あえて選ぶ。
(婚約の承認を得るための、身分の確認)
感情を切り離すように。
(……それだけ)
そう思考を整えながらも、胸の奥に残るかすかな揺らぎだけは、拭えなかった。
ーーもし、あのままここに残っていたら。
自分はいったいどんな顔で、この街を歩いていたのだろう。
通りを行きかう人々。
整った制服の兵士たち。
そのどれもが、見覚えのあるものだ。
緊張はない。
威圧もない。
ただ、きちんとそこにある「役割」の気配。
(ちゃんとしている)
昔から、この国はそうだった。
曖昧にしない。
崩さない。
決められた形を守る。
それが安心でもありーー
少しだけ、息苦しくもある。
視界の端に映るのは、帝国兵の列。
整った装備。
揃えられた歩調。
その視線は、任務としてこちらへ向けられている。
警戒ーーというより、確認。
訪問者に対する、当然の手続き。
その均質さが、この国らしいと、セレスティアは思う。
向かいに座るリタが、窓の方へわずかに身を乗り出すと、目を細めた。
「綺麗に揃っていて、ずいぶんときっちりしているわね……でも、気が抜けなさそうね」
小さく呟いてから、肩をすくめる。
それを聞いたセレスティアがくすりと笑う。
「ヴェルディア王国は、もう少し肩の力が抜けている感じだものね」
ベイルは何も言わず、その様子を静かに見据えていた。
やがて――
馬車が、ゆっくりと速度を落とした。
重厚な門が視界に入る。
帝国の正門。
高くそびえるそれは、威圧ではなく、明確な境界としてそこに在った。
内と外を分け、秩序を保つための象徴。
その前に、整列する兵たち。
一歩前に出る影がある。
「……来ましたね」
書記官が、小さく息を整える。
馬車が止まる。
わずかな揺れとともに、完全に静止した。
その音をセレスティアは静かに受け止める。
そして、ゆっくりと背筋を伸ばした。
その動きは、無意識のものではなかった。
石畳を踏む規則正しい振動に、セレスティアは顔を上げる。
窓の外に広がる街並みは、記憶の中とほとんど変わらない。
整然と並ぶ建物。
無駄のない街路。
(ーー変わっていない)
思わず、そんな感想が浮かぶ。
「……帝都グランツレイル、ですね」
王宮書記官が、静かに呟き、手元の記録板に筆を走らせる。
セレスティアは、ただ窓の外を見ていた。
角を曲がる。
見覚えのある通り。
(……ここ)
思い出す。
朝、焼き立てのパンの匂いが流れてきた場所。
少し歩けば、窓辺に花を置く家があって。
季節が変わるたびに、色が変わるのが好きだった。
何も特別ではない。
どこにでもあるような景色。
けれど確かに、そこにあった時間。
「懐かしそうな顔をされていますね」
向かいから、リタの声が落ちて来た。
セレスティアは、少しだけ目を瞬かせる。
「……そう?」
「ええ」
からかうでもなく、ただ事実を言うような声音だった。
「毎年、養父の公務などに同行して、数か月間帝都には来ていたから……」
セレスティアはわずかに息を止める。
ふと、別の光景が脳裏をかすめた。
玄関先で見送る養母の姿。
「寒くなる前に帰ってらっしゃい」と、少しだけ眉を下げて笑う顔。
出発の朝、まだ眠そうにしていた弟。
無理に起きてきて、「土産、忘れないでよ」と言った声。
妹は、最後まで手を振っていた。
馬車が見えなくなるまで、ずっと。
(……元気にしているだろうか)
手紙は届いているはずだ。
無事も、伝わっているはずだ。
それでも。
胸の奥に、ほんのわずかなざわめきが残る。
すべてはーー
自分の幸せを願って計画されたことだ。
(……それは、わかっている)
だからこそ。
その選択の上に立っている自分が、何も感じないわけにはいかない。
ゆっくりと息を吐き、視線を窓の外へ戻す。
馬車の窓越しに、帝都の街並みがゆっくりと流れていく。
幼い頃、確かにここで過ごしていた。
記憶の中にある景色と、ほとんど違わない。
それなのにーー
(少し、遠い)
触れればほどけてしまいそうな、曖昧な距離感。
懐かしさと同時に、どこか現実感が薄い。
(帰ってきた……)
その言葉を、心の中でなぞる。
けれど。
(……違う)
これは、ただの帰郷ではない。
わずかに視線を伏せる。
(ここに来たのはーー)
指先が、無意識に重なった。
(手続きのため)
淡々とした言葉を、あえて選ぶ。
(婚約の承認を得るための、身分の確認)
感情を切り離すように。
(……それだけ)
そう思考を整えながらも、胸の奥に残るかすかな揺らぎだけは、拭えなかった。
ーーもし、あのままここに残っていたら。
自分はいったいどんな顔で、この街を歩いていたのだろう。
通りを行きかう人々。
整った制服の兵士たち。
そのどれもが、見覚えのあるものだ。
緊張はない。
威圧もない。
ただ、きちんとそこにある「役割」の気配。
(ちゃんとしている)
昔から、この国はそうだった。
曖昧にしない。
崩さない。
決められた形を守る。
それが安心でもありーー
少しだけ、息苦しくもある。
視界の端に映るのは、帝国兵の列。
整った装備。
揃えられた歩調。
その視線は、任務としてこちらへ向けられている。
警戒ーーというより、確認。
訪問者に対する、当然の手続き。
その均質さが、この国らしいと、セレスティアは思う。
向かいに座るリタが、窓の方へわずかに身を乗り出すと、目を細めた。
「綺麗に揃っていて、ずいぶんときっちりしているわね……でも、気が抜けなさそうね」
小さく呟いてから、肩をすくめる。
それを聞いたセレスティアがくすりと笑う。
「ヴェルディア王国は、もう少し肩の力が抜けている感じだものね」
ベイルは何も言わず、その様子を静かに見据えていた。
やがて――
馬車が、ゆっくりと速度を落とした。
重厚な門が視界に入る。
帝国の正門。
高くそびえるそれは、威圧ではなく、明確な境界としてそこに在った。
内と外を分け、秩序を保つための象徴。
その前に、整列する兵たち。
一歩前に出る影がある。
「……来ましたね」
書記官が、小さく息を整える。
馬車が止まる。
わずかな揺れとともに、完全に静止した。
その音をセレスティアは静かに受け止める。
そして、ゆっくりと背筋を伸ばした。
その動きは、無意識のものではなかった。