騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
「同家において、特定の資質を持つ者にのみ与えられてきた名です」
「……」
「古い記録では、“精霊に選ばれし器”――あるいは、“境界を超える者”とも記されている」
セレスティアは黙ったまま、ノクティスを見つめている。
「もっとも」
ノクティスは指を組む。
「エルランドの血筋には、古くから精霊との感応に優れた者が現れています」
「精霊の力を借り、現象へ干渉するーーいわゆる精霊術を扱う者たちです」
「……それなら、私も同じでは?」
ノクティスがわずかに目を細める。
「いいえ」
静かな否定だった。
「“イル”の名を持つ者はそれとも異なる」
セレスティアの瞳が、わずかに揺れる。
「精霊の力を借りるのではない。時として、自らがその領域へ近づく」
「……自らが?」
「ええ」
一拍。
「だから私は以前、あなたの力をーー神域に近い、と申し上げた」
その視線が、静かにセレスティアを捉える。
「あなたが龍を還した、あの力も」
ベイルの目が、鋭く細められた。
ーーなぜ、こいつが龍のことを知っている。
以前から、この男がセレスティアの力について何かを掴んでいることは察していた。
だがーー
どこまで知っている。
そして、どこから知った。
問いただしたい衝動を、ベイルは押し留める。
今は、話を遮るべきではない。
ただ、その視線だけが、明らかに鋭さを増していた。
ノクティスはそれに構うことなく、続ける。
「通常の精霊術では、説明がつかない」
「……」
何かを観察するような目。
「……実に、興味深い」
セレスティアの胸が、わずかに冷えた。
――まただ。
以前にも向けられた。
人を見るものとは、どこか違う眼差し。
「アストレア公」
王国側の書記官が口を開く。
「それは、今回の継承権に関する手続きと、どのような関係が?」
「直接の関係はありません」
あっさりと答える。
「ですから、継承権の放棄については先ほど申し上げた通りです」
一拍。
「爵位は、放棄できます」
ノクティスは、セレスティアを見る。
「家督も、領地も」
静かな声。
「どの国で生きるのかも、本人が選択すればいい」
セレスティアの瞳が、わずかに揺れる。
「ですが」
一拍。
「血は違う」
空気が。
ほんのわずかに、変わった。
「……」
「あなたが何を選ぼうと、“イル”として生まれた事実は変わりません」
セレスティアの呼吸が浅くなる。
「それは……分かっています」
「本当に?」
穏やかな問い。
責める響きはない。
それが、かえって胸に刺さる。
「あなたは昨日から、“何を選ぶか”について考えている」
ノクティスは淡々と続ける。
「エルランド家を継ぐか。放棄するか。帝国に残るか。ヴェルディアへ戻るか」
「……」
「それらは、すべて選べます」
そして。
「ですが、自分が何者として生まれたかは――選べない」
セレスティアの指先が、わずかに震えた。
昨日。
ようやく見つけた答え。
自分で選んでいいのだと。
自分が生きたい場所を選んでいいのだと。
そう思えた。
なのに。
「エルランド家の記録を遡っても、“イル”の名を持つ者は極めて少ない。帝国に現存する記録だけなら、あなたを含めても片手で足ります」
「あなたは、ご自身の価値を理解していない」
ノクティスの声が続く。
「……」
「そして、あなたは単に、これまで現れた“イル”の一人ではない」
ノクティスの暗赤の瞳が、静かにセレスティアを捉える。
「これまで記録された“イル”の中でも、その性質を最も強く発現している可能性がある」
「……だから、何だというのですか」
セレスティアの声が、わずかに硬くなる。
ノクティスは、一瞬、黙った。
わずかに眉を寄せる。
その表情に浮かんだのは、嘲りでも、苛立ちでもない。
ただーーセレスティアの問いの意味を、本当に測りかねているようだった。
「……分かりませんか」
今度は、セレスティアが黙る。
二人の間に、ほんの短い沈黙が落ちた。
「それほどのものを持って生まれながらーーなぜ、その価値から目を背けることに、そこまで固執するのですか?」
「人は、生まれながらに同じではない」
静かな声音だった。
「魔術を持たぬ者がいる。持つ者がいる。その中にも、凡庸な者と、卓越した者がいる」
「血も、才も、力もーー等しく与えられるものではない」
「ならば、与えられた者には、それを用いる責務がある」
セレスティアは黙ってノクティスを見る。
「あなたほどの存在が、自らそれを閉ざし、ただ一人の女性として生きることを選ぶ」
ノクティスの眼差しが、わずかに揺らいだ。
「私には、それがーーひどく惜しい」
いつも穏やかに整えられているその美しい表情が、ほんの一瞬だけ歪む。
それは怒りというよりーー
手に届くはずだった何かを失うことを惜しむような、苦い無念に見えた。
だが、それも一瞬だった。
ノクティスはゆっくりと息を吐き、わずかに視線を落とす。
やがて再びセレスティアを見た時には、その表情はいつもの静けさを取り戻していた。
ただ、暗赤の瞳の奥には、まだ何かを惜しむような翳りが残っていた。
「そしてーーだからこそ、あなた一代で終わらせるべきではない」
セレスティアの瞳が、わずかに動く。
「……どういう意味ですか?」
「以前にも、お話しましたね」
ノクティスは静かに言った。
「あなたと私の系譜が交われば、その次代に何が現れるのかーー私は、それにも興味を持っていた」
セレスティアの呼吸が止まる。
忘れてはいない。
あの屋敷で、この男が口にした言葉。
『いずれ、私と君の血が交わり……』
『……その子供にも、“イル”の資質が現れた場合……』
あの時感じた、冷たいものが胸の奥によみがえる。
「本来であれば」
ノクティスは、そこでほんのわずかに間を置いた。
「私自身との間に生まれる子で、それを確かめたかった」
「……っ」
ベイルの表情が、はっきりと変わった。
反射的に動きかけた身体を、寸前で押し留める。
奥歯が、微かに噛み締められた。
ノクティスは、ベイルを見ることなく続ける。
「それが叶わないのはーー残念ではありますが」
あまりにも静かな声だった。
失恋を惜しんでいるようにも聞こえる。
だが、その実。
彼が惜しんでいるものが何なのか、セレスティアには分からなかった。
自分なのか。
自分との間に生まれるはずだった子なのか。
それともーー
その子に、自分と同じ“イル”の資質が現れる可能性なのか。
「……失礼。話が逸れました」
一拍。
「ですがーー今となっては、父親が誰であるかより、あなたから生まれる次代に、“イル”の性質が発現するか否かーーその方が重要です」
セレスティアの指先が強張る。
「待ってください」
初めて。
セレスティアが言葉を遮った。
ノクティスが止まる。
「それは……私の」
声が、わずかに掠れた。
「私の……子供の話をしているのですか?」
室内が、静まり返った。
「その子が、私と同じ力を持っているか」
指先に力が入る。
「“イル”なのか」
「……」
「それを……確かめると言っているのですか?」
ノクティスはしばらくセレスティアを見つめた。
否定しなかった。
「資質が確認されれば、記録する必要はあるでしょう」
その答えに。
セレスティアの胸の奥で、何かが冷たく沈んだ。
「どうして……」
喉が詰まる。
「……私は、ヴェルディアへ戻ると言いました」
「ええ」
「エルランド家も継がない」
「承知しています」
「なのに……」
声が震えた。
「それでも、終わらないのですか」
ノクティスの眉が、ほんのわずかに動いた。
「終わる、とは?」
その問いに。
セレスティアは言葉を失った。
――この人には。
分からない。
きっと、どれだけ言葉を重ねても。
「私がどこへ行っても」
息が浅くなる。
「誰と生きても」
ノクティスは黙って聞いている。
「私はずっと……“イル”として見られるのですか」
「セレスティア殿?」
「そして、いつか子供が生まれたら」
声が、もう隠せないほど震えている。
「その子まで……?」
ぽたり。
膝の上で重ねられた手に。
雫が落ちた。
その震えた声が途切れた瞬間。
後方で、靴音が鋭く床を打った。
「ベイル殿ーー」
王国側の書記官が、咄嗟に腰を浮かせる。
だが、遅い。
ベイルはすでに長机を回り込んでいた。
その視界を、セレスティアの頬を伝う涙が掠める。
次の瞬間。
ベイルは片手でノクティスの胸元を掴み、その身体を強く引き寄せた。
座っていたノクティスの身体が、半ば椅子から引き上げられる。
「……貴様」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
それでも、剝き出しになった怒気は隠しようがなかった。
後方で、リタが息を呑む。
ノクティスの瞳が、わずかに見開かれた。
「……何を、そこまでお怒りになるのです」
「黙れ」
即座に切り捨てる。
胸元を掴む指に、さらに力がこもった。
「さっきから聞いていればーー」
声が、低く沈む。
「血だ、資質だ、次代だと」
引き寄せられたノクティスとの距離が、さらに詰まる。
「こいつを、何だと思ってる」
「……」
「……お前の研究のために生まれてきたんじゃない」
一拍。
「ましてーー」
声の奥に、抑えきれない怒りが震えた。
「その先に生まれる子供もーー」
言葉が切れた。
空いた手が、拳となって振り上がるーー
「ベイル……!」
その声に。
ぴたりと。
拳が止まる。
ノクティスの目前。
あとわずかだった。
荒い呼吸だけが、静まり返った室内に落ちる。
「……もう……もういい」
小さな声だった。
ベイルの拳が止まったまま、セレスティアへ視線が向く。
淡い紫の瞳が涙に滲んでいた。
溢れた雫が、頬を伝って落ちていく。
「もう、どうでも……いい」
「……セレスティア?」
ベイルの声が、わずかに変わった。
ノクティスの胸元を掴んでいた指が、ゆっくりと緩む。
「……」
「古い記録では、“精霊に選ばれし器”――あるいは、“境界を超える者”とも記されている」
セレスティアは黙ったまま、ノクティスを見つめている。
「もっとも」
ノクティスは指を組む。
「エルランドの血筋には、古くから精霊との感応に優れた者が現れています」
「精霊の力を借り、現象へ干渉するーーいわゆる精霊術を扱う者たちです」
「……それなら、私も同じでは?」
ノクティスがわずかに目を細める。
「いいえ」
静かな否定だった。
「“イル”の名を持つ者はそれとも異なる」
セレスティアの瞳が、わずかに揺れる。
「精霊の力を借りるのではない。時として、自らがその領域へ近づく」
「……自らが?」
「ええ」
一拍。
「だから私は以前、あなたの力をーー神域に近い、と申し上げた」
その視線が、静かにセレスティアを捉える。
「あなたが龍を還した、あの力も」
ベイルの目が、鋭く細められた。
ーーなぜ、こいつが龍のことを知っている。
以前から、この男がセレスティアの力について何かを掴んでいることは察していた。
だがーー
どこまで知っている。
そして、どこから知った。
問いただしたい衝動を、ベイルは押し留める。
今は、話を遮るべきではない。
ただ、その視線だけが、明らかに鋭さを増していた。
ノクティスはそれに構うことなく、続ける。
「通常の精霊術では、説明がつかない」
「……」
何かを観察するような目。
「……実に、興味深い」
セレスティアの胸が、わずかに冷えた。
――まただ。
以前にも向けられた。
人を見るものとは、どこか違う眼差し。
「アストレア公」
王国側の書記官が口を開く。
「それは、今回の継承権に関する手続きと、どのような関係が?」
「直接の関係はありません」
あっさりと答える。
「ですから、継承権の放棄については先ほど申し上げた通りです」
一拍。
「爵位は、放棄できます」
ノクティスは、セレスティアを見る。
「家督も、領地も」
静かな声。
「どの国で生きるのかも、本人が選択すればいい」
セレスティアの瞳が、わずかに揺れる。
「ですが」
一拍。
「血は違う」
空気が。
ほんのわずかに、変わった。
「……」
「あなたが何を選ぼうと、“イル”として生まれた事実は変わりません」
セレスティアの呼吸が浅くなる。
「それは……分かっています」
「本当に?」
穏やかな問い。
責める響きはない。
それが、かえって胸に刺さる。
「あなたは昨日から、“何を選ぶか”について考えている」
ノクティスは淡々と続ける。
「エルランド家を継ぐか。放棄するか。帝国に残るか。ヴェルディアへ戻るか」
「……」
「それらは、すべて選べます」
そして。
「ですが、自分が何者として生まれたかは――選べない」
セレスティアの指先が、わずかに震えた。
昨日。
ようやく見つけた答え。
自分で選んでいいのだと。
自分が生きたい場所を選んでいいのだと。
そう思えた。
なのに。
「エルランド家の記録を遡っても、“イル”の名を持つ者は極めて少ない。帝国に現存する記録だけなら、あなたを含めても片手で足ります」
「あなたは、ご自身の価値を理解していない」
ノクティスの声が続く。
「……」
「そして、あなたは単に、これまで現れた“イル”の一人ではない」
ノクティスの暗赤の瞳が、静かにセレスティアを捉える。
「これまで記録された“イル”の中でも、その性質を最も強く発現している可能性がある」
「……だから、何だというのですか」
セレスティアの声が、わずかに硬くなる。
ノクティスは、一瞬、黙った。
わずかに眉を寄せる。
その表情に浮かんだのは、嘲りでも、苛立ちでもない。
ただーーセレスティアの問いの意味を、本当に測りかねているようだった。
「……分かりませんか」
今度は、セレスティアが黙る。
二人の間に、ほんの短い沈黙が落ちた。
「それほどのものを持って生まれながらーーなぜ、その価値から目を背けることに、そこまで固執するのですか?」
「人は、生まれながらに同じではない」
静かな声音だった。
「魔術を持たぬ者がいる。持つ者がいる。その中にも、凡庸な者と、卓越した者がいる」
「血も、才も、力もーー等しく与えられるものではない」
「ならば、与えられた者には、それを用いる責務がある」
セレスティアは黙ってノクティスを見る。
「あなたほどの存在が、自らそれを閉ざし、ただ一人の女性として生きることを選ぶ」
ノクティスの眼差しが、わずかに揺らいだ。
「私には、それがーーひどく惜しい」
いつも穏やかに整えられているその美しい表情が、ほんの一瞬だけ歪む。
それは怒りというよりーー
手に届くはずだった何かを失うことを惜しむような、苦い無念に見えた。
だが、それも一瞬だった。
ノクティスはゆっくりと息を吐き、わずかに視線を落とす。
やがて再びセレスティアを見た時には、その表情はいつもの静けさを取り戻していた。
ただ、暗赤の瞳の奥には、まだ何かを惜しむような翳りが残っていた。
「そしてーーだからこそ、あなた一代で終わらせるべきではない」
セレスティアの瞳が、わずかに動く。
「……どういう意味ですか?」
「以前にも、お話しましたね」
ノクティスは静かに言った。
「あなたと私の系譜が交われば、その次代に何が現れるのかーー私は、それにも興味を持っていた」
セレスティアの呼吸が止まる。
忘れてはいない。
あの屋敷で、この男が口にした言葉。
『いずれ、私と君の血が交わり……』
『……その子供にも、“イル”の資質が現れた場合……』
あの時感じた、冷たいものが胸の奥によみがえる。
「本来であれば」
ノクティスは、そこでほんのわずかに間を置いた。
「私自身との間に生まれる子で、それを確かめたかった」
「……っ」
ベイルの表情が、はっきりと変わった。
反射的に動きかけた身体を、寸前で押し留める。
奥歯が、微かに噛み締められた。
ノクティスは、ベイルを見ることなく続ける。
「それが叶わないのはーー残念ではありますが」
あまりにも静かな声だった。
失恋を惜しんでいるようにも聞こえる。
だが、その実。
彼が惜しんでいるものが何なのか、セレスティアには分からなかった。
自分なのか。
自分との間に生まれるはずだった子なのか。
それともーー
その子に、自分と同じ“イル”の資質が現れる可能性なのか。
「……失礼。話が逸れました」
一拍。
「ですがーー今となっては、父親が誰であるかより、あなたから生まれる次代に、“イル”の性質が発現するか否かーーその方が重要です」
セレスティアの指先が強張る。
「待ってください」
初めて。
セレスティアが言葉を遮った。
ノクティスが止まる。
「それは……私の」
声が、わずかに掠れた。
「私の……子供の話をしているのですか?」
室内が、静まり返った。
「その子が、私と同じ力を持っているか」
指先に力が入る。
「“イル”なのか」
「……」
「それを……確かめると言っているのですか?」
ノクティスはしばらくセレスティアを見つめた。
否定しなかった。
「資質が確認されれば、記録する必要はあるでしょう」
その答えに。
セレスティアの胸の奥で、何かが冷たく沈んだ。
「どうして……」
喉が詰まる。
「……私は、ヴェルディアへ戻ると言いました」
「ええ」
「エルランド家も継がない」
「承知しています」
「なのに……」
声が震えた。
「それでも、終わらないのですか」
ノクティスの眉が、ほんのわずかに動いた。
「終わる、とは?」
その問いに。
セレスティアは言葉を失った。
――この人には。
分からない。
きっと、どれだけ言葉を重ねても。
「私がどこへ行っても」
息が浅くなる。
「誰と生きても」
ノクティスは黙って聞いている。
「私はずっと……“イル”として見られるのですか」
「セレスティア殿?」
「そして、いつか子供が生まれたら」
声が、もう隠せないほど震えている。
「その子まで……?」
ぽたり。
膝の上で重ねられた手に。
雫が落ちた。
その震えた声が途切れた瞬間。
後方で、靴音が鋭く床を打った。
「ベイル殿ーー」
王国側の書記官が、咄嗟に腰を浮かせる。
だが、遅い。
ベイルはすでに長机を回り込んでいた。
その視界を、セレスティアの頬を伝う涙が掠める。
次の瞬間。
ベイルは片手でノクティスの胸元を掴み、その身体を強く引き寄せた。
座っていたノクティスの身体が、半ば椅子から引き上げられる。
「……貴様」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
それでも、剝き出しになった怒気は隠しようがなかった。
後方で、リタが息を呑む。
ノクティスの瞳が、わずかに見開かれた。
「……何を、そこまでお怒りになるのです」
「黙れ」
即座に切り捨てる。
胸元を掴む指に、さらに力がこもった。
「さっきから聞いていればーー」
声が、低く沈む。
「血だ、資質だ、次代だと」
引き寄せられたノクティスとの距離が、さらに詰まる。
「こいつを、何だと思ってる」
「……」
「……お前の研究のために生まれてきたんじゃない」
一拍。
「ましてーー」
声の奥に、抑えきれない怒りが震えた。
「その先に生まれる子供もーー」
言葉が切れた。
空いた手が、拳となって振り上がるーー
「ベイル……!」
その声に。
ぴたりと。
拳が止まる。
ノクティスの目前。
あとわずかだった。
荒い呼吸だけが、静まり返った室内に落ちる。
「……もう……もういい」
小さな声だった。
ベイルの拳が止まったまま、セレスティアへ視線が向く。
淡い紫の瞳が涙に滲んでいた。
溢れた雫が、頬を伝って落ちていく。
「もう、どうでも……いい」
「……セレスティア?」
ベイルの声が、わずかに変わった。
ノクティスの胸元を掴んでいた指が、ゆっくりと緩む。