騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
第五話「少女の正体」
森の闇が、ようやくほどけた。
密に絡み合っていた枝葉が途切れ、視界がひらける。
冷えた夜気の向こうに、ぽつりと橙色の灯りが揺れていた。
木造の素朴な平屋。
窓から漏れる光が、夜の帳に溶け込み、そこだけが静かに息づいている。
馬がゆっくりと歩みを止めた。
ベイルは、深く息を吸う。
ここは彼女の場所だ。
ベイルは先に馬から降りる。
土を踏む音が、静かな空気に溶ける。
そしてーー
何も言わず、そっと手を差し出した。
「……」
少女はその手を見る。
躊躇いが、わずかに瞳を揺らす。
けれどーー
ゆっくりと、その手に自分の指先を重ねた。
冷たい。
思ったよりも。
ベイルの指にわずかに力が入る。
夜気にさらされた彼女の素肌に、貸したマントが揺れる。
細い肩。冷えた指先。
視線を逸らすべきだと分かっていながら、ベイルは一瞬だけ目を止めてしまう。
少女は地面へと降り立つ。
「……ありがとう」
まだ、警戒はある。
だがそこに、拒絶はない。
「……ちょっと待ってて」
短く言い、少女は扉へ向かった。
マントを押さえながら、静かに中へ入っていく。
扉が閉まる音。
背後では、数騎の馬が小さく鼻を鳴らした。
従者たちは、主の指示通り一定の距離を保ち、家を囲まぬよう控えている。
「……あのお嬢さんは、ただの森の娘ではなさそうだな」
レオニードが小声で言う。
ベイルは答えない。
胸の奥が、わずかに騒いでいる。
果たしてあの剣士と少女が同じ存在なのかーー。
灯りの向こうで、微かな気配が動く。
声は聞こえない。だが、誰かと話しているようだ。
やがてーー
扉が、静かに開いた。
ベイルは反射的に顔を上げる。
一瞬、息が止まる。
現れたのは、ーー少女ではなかった。
長い黒髪を背に流した、優美な姿の男性。
年の頃は三十代半ばほどに見えるが、年齢という尺度が、彼にはどこか似つかわしくない雰囲気を纏っていた。
整った顔立ちに、柔らかな物腰。
薄灰色の軽やかな長衣に身を包み、その柔らかな色合いが室内の光を受けて静かに反射している。
男は二人を静かに見渡した。
「フェリスから話は伺いました。」
声音はやわらかい。
まるで旧知に語りかけるような自然さ。
ーーフェリス。
きっと、それが先ほどの少女の名なのだろう。
ベイルは淡くそれを胸に留める。
「どうぞ、中へ……」
男はわずかに身を引き、家の中を示す。
家の中の暖かな光が、足元まで差し込む。
ベイルは男を見据えた。
こちらを値踏みするでもなく、警戒するでもない。
ただ、ありのままを見ている。
それが逆に、隠し事を許さないような感覚を呼ぶ。
敷居をまたいだ瞬間、空気が変わった。
森の湿り気を含んだ夜気とは違う。
あたたかく、乾いた空気。
焚火ではなく、炉の火だろうか。
やわらかな熱が、冷えた指先をゆっくりと解かしていく。
木造の室内は質素だった。
磨きこまれた床。
簡素な机と椅子。
壁に掛けられた干し草の束と、乾燥させた薬草。
余計なものはない。
だが、貧しさとも違う。
整っている。
生活の跡はあるのに、乱れがない。
ーーこの家の主の気質が、そのまま形になっているようだった。
男は湯を沸かし始める。
火が小さく弾ける音。
木が軋むわずかな音。
森の外とは違う静寂。
ここは閉ざされているのではない。
守られているのだ。
この家の中では、緊張がわずかに緩む。
不思議な空間だった。
「助けていただいたそうで。礼を申し上げます」
「……いや」
ベイルは短く返す。
あの状況を助けたと言っても良いのか、正直よくわからない。
だが今は、それを言葉にする気になれなかった。
差し出された茶を一口飲み、わずかに間を置く。
「……失礼ですが、あなたは、彼女とどのような関係で。ここで共に暮らしているのか」
問いは穏やかだ。だがわずかに低く、慎重に選ばれた声だった。
男は柔らかく微笑む。
「ええ。私は彼女の師であり、保護者のようなものです」
その答えに、ベイルの胸の奥にあった、名のつかない小さな棘が、わずかに和らぐ。
師ーー。
なるほど、と内心で小さく息をつく。
それ以上、何かを詮索する理由はないはずなのに、なぜか自分でも気づかぬうちに、少しだけ肩の力が抜けていた。
密に絡み合っていた枝葉が途切れ、視界がひらける。
冷えた夜気の向こうに、ぽつりと橙色の灯りが揺れていた。
木造の素朴な平屋。
窓から漏れる光が、夜の帳に溶け込み、そこだけが静かに息づいている。
馬がゆっくりと歩みを止めた。
ベイルは、深く息を吸う。
ここは彼女の場所だ。
ベイルは先に馬から降りる。
土を踏む音が、静かな空気に溶ける。
そしてーー
何も言わず、そっと手を差し出した。
「……」
少女はその手を見る。
躊躇いが、わずかに瞳を揺らす。
けれどーー
ゆっくりと、その手に自分の指先を重ねた。
冷たい。
思ったよりも。
ベイルの指にわずかに力が入る。
夜気にさらされた彼女の素肌に、貸したマントが揺れる。
細い肩。冷えた指先。
視線を逸らすべきだと分かっていながら、ベイルは一瞬だけ目を止めてしまう。
少女は地面へと降り立つ。
「……ありがとう」
まだ、警戒はある。
だがそこに、拒絶はない。
「……ちょっと待ってて」
短く言い、少女は扉へ向かった。
マントを押さえながら、静かに中へ入っていく。
扉が閉まる音。
背後では、数騎の馬が小さく鼻を鳴らした。
従者たちは、主の指示通り一定の距離を保ち、家を囲まぬよう控えている。
「……あのお嬢さんは、ただの森の娘ではなさそうだな」
レオニードが小声で言う。
ベイルは答えない。
胸の奥が、わずかに騒いでいる。
果たしてあの剣士と少女が同じ存在なのかーー。
灯りの向こうで、微かな気配が動く。
声は聞こえない。だが、誰かと話しているようだ。
やがてーー
扉が、静かに開いた。
ベイルは反射的に顔を上げる。
一瞬、息が止まる。
現れたのは、ーー少女ではなかった。
長い黒髪を背に流した、優美な姿の男性。
年の頃は三十代半ばほどに見えるが、年齢という尺度が、彼にはどこか似つかわしくない雰囲気を纏っていた。
整った顔立ちに、柔らかな物腰。
薄灰色の軽やかな長衣に身を包み、その柔らかな色合いが室内の光を受けて静かに反射している。
男は二人を静かに見渡した。
「フェリスから話は伺いました。」
声音はやわらかい。
まるで旧知に語りかけるような自然さ。
ーーフェリス。
きっと、それが先ほどの少女の名なのだろう。
ベイルは淡くそれを胸に留める。
「どうぞ、中へ……」
男はわずかに身を引き、家の中を示す。
家の中の暖かな光が、足元まで差し込む。
ベイルは男を見据えた。
こちらを値踏みするでもなく、警戒するでもない。
ただ、ありのままを見ている。
それが逆に、隠し事を許さないような感覚を呼ぶ。
敷居をまたいだ瞬間、空気が変わった。
森の湿り気を含んだ夜気とは違う。
あたたかく、乾いた空気。
焚火ではなく、炉の火だろうか。
やわらかな熱が、冷えた指先をゆっくりと解かしていく。
木造の室内は質素だった。
磨きこまれた床。
簡素な机と椅子。
壁に掛けられた干し草の束と、乾燥させた薬草。
余計なものはない。
だが、貧しさとも違う。
整っている。
生活の跡はあるのに、乱れがない。
ーーこの家の主の気質が、そのまま形になっているようだった。
男は湯を沸かし始める。
火が小さく弾ける音。
木が軋むわずかな音。
森の外とは違う静寂。
ここは閉ざされているのではない。
守られているのだ。
この家の中では、緊張がわずかに緩む。
不思議な空間だった。
「助けていただいたそうで。礼を申し上げます」
「……いや」
ベイルは短く返す。
あの状況を助けたと言っても良いのか、正直よくわからない。
だが今は、それを言葉にする気になれなかった。
差し出された茶を一口飲み、わずかに間を置く。
「……失礼ですが、あなたは、彼女とどのような関係で。ここで共に暮らしているのか」
問いは穏やかだ。だがわずかに低く、慎重に選ばれた声だった。
男は柔らかく微笑む。
「ええ。私は彼女の師であり、保護者のようなものです」
その答えに、ベイルの胸の奥にあった、名のつかない小さな棘が、わずかに和らぐ。
師ーー。
なるほど、と内心で小さく息をつく。
それ以上、何かを詮索する理由はないはずなのに、なぜか自分でも気づかぬうちに、少しだけ肩の力が抜けていた。