騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 セレスティアの瞳が、大きく揺れた。

 「……え……」

 掠れた声が零れる。

 ベイルは、その手を離さない。

 「俺のところに帰ってこい」

 もう、止めるつもりはなかった。

 「俺は――」

 一瞬。

 声が詰まる。

 それでも。

 ベイルは、逃げなかった。

 「お前に、帰ってきてほしい」

 セレスティアの唇が震えた。

 深い黒の瞳から、また一筋。

 涙が零れ落ちる。

 「……私、が……?」

 「ああ」

 「……ベイルの……ところに……?」

 「ああ」

 迷いなく。

 ベイルは答えた。

 「だから――」

 握った手を、引き寄せる。

 「帰ってこい!」

 声が、震えた。

 怒りでも。

 焦りでもない。

 今まで決して口にできなかった、その願いだけを込めて。

 「帰ってこい、セレスティア!」

 その瞬間。

 漆黒の瞳が、大きく揺れた。

 「……ベイル……」

 小さな声だった。

 けれど。

 今度は、はっきりと彼を呼んだ。

 ベイルの鋼色の瞳が見開かれる。

 「……私……」

 セレスティアの指先が動いた。

 握られているだけだった手が。

 ほんの僅かに。

 ベイルの手を――握り返す。

 「……帰り、たい……」

 「……!」

 「ベイルの……ところに……」

 ぽろりと。

 大粒の涙が零れた。

 「……帰りたい……」

 ――ゴォッ!

 風が、大きく膨れ上がった。

 ベイルは咄嗟に、つないだ手に力を込める。

 また、押し返されるーー。

 そう思った。

 だが。

 違う。

 その風はもう、ベイルを拒んではいなかった。

 何かがーー解けていく。

 それまで静かに漂っていた白銀の髪が、初めて大きく風に煽られた。

 そして。

 その髪に、変化が現れた。

 毛先から。

 少しずつ。

 見慣れた灰銀の色が戻っていく。

 「……!」

 離れた場所から二人を見ていたノクティスの目がその変化を追う。

 「……これは……」

 誰に聞かせるでもなく、呟いた。

 同時に。

 深い黒に染まっていた瞳にも、変化が現れていた。

 その奥にーー

 ほんの僅か。
 
 淡い紫が滲む。

 黒が、薄れていく。

 一滴の光を落としたように。

 深い黒の中へ、淡紫の色がゆっくりと広がっていく。

 窓の外で轟いていた雷鳴が、遠ざかる。

 大地の揺れが止まり。

 荒れ狂っていた風が、次第に弱まっていく。

 厚く空を覆っていた雲の切れ間から。

 細い光が差し込んだ。

 その光の中で。

 セレスティアの身体が、ぐらりと傾く。

 「セレスティア!」

 ベイルが、その身体を抱き留めた。

 腕の中へ。

 今度こそ。

 離してしまわないように。

 セレスティアから、全ての力が抜けていた。

 ベイルの腕に身体を預けたまま、動かない。

 「……セレスティア」

 返事はなかった。

 ベイルは、その身体を抱く腕に力を込めた。

 室内には、次第に静けさが戻っていく。

 舞い上がっていた紙が、一枚、また一枚と床へ落ちた。

 その中で。

 ベイルだけが、腕の中のセレスティアを見つめていた。

 ーーやがて。

 腕の中で、セレスティアの瞼が微かに震えた。

 ゆっくりと。

 その瞼が開く。

 そこにあったのは。

 深い黒ではない。

 見慣れたーー淡紫の瞳だった。

 しばらく。

 ベイルは何も言わなかった。

 ただ、その瞳の色を確かめるように見つめる。

 やがて。

 淡紫の瞳が、ゆっくりとベイルを捉えた。

 その瞳の中に、ベイルの姿が映る。

 張り詰めていたベイルの表情が、ゆっくりとほどけた。

 「……おかえり、セレスティア」

 その言葉に、セレスティアがゆっくりと瞬く。

 何も言わない。

 ただ。

 ベイルの腕に身体を預けたまま、ゆっくりと息をする。

 やがて、その指先が動いた。

 ベイルの服を、そっと掴む。

 そして。

 彼の胸元へ、ほんの少しだけ頬を寄せる。

 そこにある温もりを確かめるように、静かに瞳を閉じた。

 「……ただいま」

 小さく零れたその声と共に、一粒の涙が頬を伝った。
 
 ベイルの鋼色の瞳が、揺れる。

 けれど。

 それ以上、セレスティアが言葉を続けることはなかった。

 ベイルの服を掴んでいた指先から、少しずつ力が抜けていく。

 やがて。

 そのまま、深い眠りへ落ちていった。
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