騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
ベイルは腕の中に戻ってきたセレスティアを確かめるように、その身体を抱き留める。
室内には、静けさが戻っていた。
いやーー
静かだったのは、ほんの僅かな間だけだった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が響いてくる。
「何が起きた!」
「窓から離れろ!」
遠くで、誰かの声が飛び交っている。
室内も、酷い有様だった。
割れた窓。
床に散らばった書類。
倒れた椅子。
王国側の書記官も、帝国側の書記官も、担当官も、まだ呆然とした様子でその場に立ちつくしている。
リタだけが、我に返ったようにセレスティアへ駆け寄った。
「セレスティア様……!」
「大丈夫だ」
ベイルが短く答える。
「眠っている」
「……よかった……」
リタが、胸元を押さえる。
その時。
靴音が響いた。
ベイルが顔を上げる。
ノクティスだった。
ゆっくりと。
二人の方へ歩いてくる。
ベイルの表情が、すぐに険しくなった。
セレスティアを抱く腕に、僅かに力が入る。
数歩手前で足を止める。
その視線は、ベイルではなくーー
彼の腕の中で眠っているセレスティアへ向けられていた。
白銀だった髪は、すでに見慣れた灰銀へと戻っている。
沈黙が落ちる。
「……まさか、これほどのものとは」
「私の予想を、はるかに超えていました」
「……」
ノクティスはしばらく何も言わなかった。
セレスティアへ向けられた視線を動かさないまま、静かに口を開く。
「私から、あなた方の婚約について、異を唱えるつもりはありません」
「最終的な判断は、陛下がお決めになることですがーー」
一度言葉を切る。
「少なくとも、私がそれを妨げることはない」
「セレスティア殿を帝国へ留めることはーー」
一瞬。
ノクティスの言葉が途切れた。
「……諦めましょう」
「……本当か」
「ええ」
そこでようやく、ノクティスはベイルへ視線を向けた。
「今日の現象を目の当たりにして、そのように判断しました」
廊下から、再び慌ただしい足音が近づいてきた。
「アストレア公!」
一人の兵士が、開け放たれた扉の前へ駈け込んでくる。
「宮廷各所で被害が出ています。窓の破損や、一部では壁にも亀裂がーー」
「負傷者は?」
「現在、確認中です」
「負傷者の確認を最優先に。建物の被害状況も調べてください」
「はっ!」
「それから、先ほどの現象について憶測で情報を広めないように」
一瞬。
ノクティスが言葉を切る。
「陛下への報告は、私から行います」
「承知しました!」
兵士が踵を返す。
慌ただしい足音が、再び廊下の向こうへ遠ざかっていった。
しばらく。
ノクティスは何も言わなかった。
やがて。
その視線が、再びベイルの腕の中へ向けられる。
灰銀の髪を取り戻したセレスティアは、静かに眠っている。
先ほどまで、あれほどの現象の中心にいたことが嘘のようだった。
「……とはいえ」
ノクティスが、静かに口を開く。
「彼女に興味がなくなったわけではないのですが……」
「なんだって」
ベイルの声が、途端に低くなる。
ノクティスは、気に留めた様子もない。
「彼女の意思が、ここまで現象そのものへ影響するとは思いませんでした」
ノクティスは、ベイルの腕の中で眠るセレスティアを見つめたまま続ける。
「彼女の意思を無視することが、その“イル”としての状態そのものを著しく不安定にする可能性がある」
「……」
「そして、その状態から戻すことができたのはーー」
ノクティスの視線が、ベイルへ移る。
「……あなただった」
ベイルの眉が、僅かに動く。
「……何が言いたい」
「そのままの意味です」
ノクティスは淡々と答えた。
「あのまま現象が拡大していれば、私にも止められなかった」
一度、言葉を切る。
「今回はーーあなたに救われました」
「……別に、お前を救ったつもりはない」
「ええ」
「俺は、セレスティアを連れて帰りたかっただけだ」
「わかっています」
「ですがーー結果は同じです」
ノクティスは、静かにセレスティアを見つめた。
「あなたが彼女を戻さなければ、この帝都ーーいや、帝国ーーそのものがどうなっていたか分からない」
僅かな間。
「あるいは、それ以上の範囲に影響が及んでいた可能性もある」
「……」
「だから、礼を言っているのです」
ベイルは、しばらくノクティスを見つめた。
「……お前でも礼を言うんだな」
「私を何だと思っているんです?」
「言っていいのか?」
ノクティスは、ベイルの顔をじっと見た。
数秒。
「……いえ、遠慮しておきます」
ノクティスは、そこで僅かに目を伏せた。
「それにーー」
「どうやら、皮肉にもあなた方二人が出会うきっかけを作ったのは、私のようなので」
ベイルが怪訝そうに眉を寄せる。
「……何の話だ?」
ノクティスは顔を上げた。
一瞬。
何かを言いかけてーー
「……こちらの独り言です」
「?」
「アストレア公!」
再び、廊下から切迫した声が響いた。
今度は、宮廷魔術師の一人だった。
「先ほどの現象で、帝都を覆う防御結界の一部に異常が確認されています」
ノクティスが、そちらへ視線を向ける。
「魔術師団でも原因を特定できずーー」
「……修復は?」
「試みています。ですが、一部の術式が正常に反応しません」
「……分かりました。すぐに行きます」
ノクティスが、小さく息を吐く。
「どうやら、あなたと話している暇はなさそうですね」
ノクティスは踵を返しかけーー
ふと、足を止めた。
「ベイル殿」
「何だ」
「セレスティア殿を」
一瞬。
その視線がベイルの腕の中へ向けられる。
「早く、休ませてあげてください」
「……言われなくても、そのつもりだ」
「ーーでは、私はこれで」
今度こそ、ノクティスは二人に背を向けた。
歩きながら、待っていた宮廷魔術師へ指示を飛ばしていく。
慌ただしい足音と共に、ノクティスの姿が遠ざかって行く。
ベイルは、それを見送ることなく、腕の中へ視線を落とした。
「……リタ」
「はい」
「部屋へ戻ろう」
「はい」
「あの……ベイル殿」
遠慮がちな声に、ベイルが顔を上げる。
王国側の書記官だった。
「本日の件ですが……王国への報告は、どのように」
ベイルは一瞬、黙った。
「……まずレオニード殿下へ直接報告してくれ」
「殿下へ?」
「ああ。今日の記録についても、通常の報告としては扱わない方がいい」
腕の中のセレスティアへ、視線を落とす。
「どこまで共有するかは、殿下の判断を仰ごう」
「……承知しました」
書記官が深く頭を下げる。
「こちらは、お任せください」
「頼む」
ベイルは短く答えた。
そして、眠るセレスティアを抱き上げる。
「行こう、リタ」
「はい」
室内には、静けさが戻っていた。
いやーー
静かだったのは、ほんの僅かな間だけだった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が響いてくる。
「何が起きた!」
「窓から離れろ!」
遠くで、誰かの声が飛び交っている。
室内も、酷い有様だった。
割れた窓。
床に散らばった書類。
倒れた椅子。
王国側の書記官も、帝国側の書記官も、担当官も、まだ呆然とした様子でその場に立ちつくしている。
リタだけが、我に返ったようにセレスティアへ駆け寄った。
「セレスティア様……!」
「大丈夫だ」
ベイルが短く答える。
「眠っている」
「……よかった……」
リタが、胸元を押さえる。
その時。
靴音が響いた。
ベイルが顔を上げる。
ノクティスだった。
ゆっくりと。
二人の方へ歩いてくる。
ベイルの表情が、すぐに険しくなった。
セレスティアを抱く腕に、僅かに力が入る。
数歩手前で足を止める。
その視線は、ベイルではなくーー
彼の腕の中で眠っているセレスティアへ向けられていた。
白銀だった髪は、すでに見慣れた灰銀へと戻っている。
沈黙が落ちる。
「……まさか、これほどのものとは」
「私の予想を、はるかに超えていました」
「……」
ノクティスはしばらく何も言わなかった。
セレスティアへ向けられた視線を動かさないまま、静かに口を開く。
「私から、あなた方の婚約について、異を唱えるつもりはありません」
「最終的な判断は、陛下がお決めになることですがーー」
一度言葉を切る。
「少なくとも、私がそれを妨げることはない」
「セレスティア殿を帝国へ留めることはーー」
一瞬。
ノクティスの言葉が途切れた。
「……諦めましょう」
「……本当か」
「ええ」
そこでようやく、ノクティスはベイルへ視線を向けた。
「今日の現象を目の当たりにして、そのように判断しました」
廊下から、再び慌ただしい足音が近づいてきた。
「アストレア公!」
一人の兵士が、開け放たれた扉の前へ駈け込んでくる。
「宮廷各所で被害が出ています。窓の破損や、一部では壁にも亀裂がーー」
「負傷者は?」
「現在、確認中です」
「負傷者の確認を最優先に。建物の被害状況も調べてください」
「はっ!」
「それから、先ほどの現象について憶測で情報を広めないように」
一瞬。
ノクティスが言葉を切る。
「陛下への報告は、私から行います」
「承知しました!」
兵士が踵を返す。
慌ただしい足音が、再び廊下の向こうへ遠ざかっていった。
しばらく。
ノクティスは何も言わなかった。
やがて。
その視線が、再びベイルの腕の中へ向けられる。
灰銀の髪を取り戻したセレスティアは、静かに眠っている。
先ほどまで、あれほどの現象の中心にいたことが嘘のようだった。
「……とはいえ」
ノクティスが、静かに口を開く。
「彼女に興味がなくなったわけではないのですが……」
「なんだって」
ベイルの声が、途端に低くなる。
ノクティスは、気に留めた様子もない。
「彼女の意思が、ここまで現象そのものへ影響するとは思いませんでした」
ノクティスは、ベイルの腕の中で眠るセレスティアを見つめたまま続ける。
「彼女の意思を無視することが、その“イル”としての状態そのものを著しく不安定にする可能性がある」
「……」
「そして、その状態から戻すことができたのはーー」
ノクティスの視線が、ベイルへ移る。
「……あなただった」
ベイルの眉が、僅かに動く。
「……何が言いたい」
「そのままの意味です」
ノクティスは淡々と答えた。
「あのまま現象が拡大していれば、私にも止められなかった」
一度、言葉を切る。
「今回はーーあなたに救われました」
「……別に、お前を救ったつもりはない」
「ええ」
「俺は、セレスティアを連れて帰りたかっただけだ」
「わかっています」
「ですがーー結果は同じです」
ノクティスは、静かにセレスティアを見つめた。
「あなたが彼女を戻さなければ、この帝都ーーいや、帝国ーーそのものがどうなっていたか分からない」
僅かな間。
「あるいは、それ以上の範囲に影響が及んでいた可能性もある」
「……」
「だから、礼を言っているのです」
ベイルは、しばらくノクティスを見つめた。
「……お前でも礼を言うんだな」
「私を何だと思っているんです?」
「言っていいのか?」
ノクティスは、ベイルの顔をじっと見た。
数秒。
「……いえ、遠慮しておきます」
ノクティスは、そこで僅かに目を伏せた。
「それにーー」
「どうやら、皮肉にもあなた方二人が出会うきっかけを作ったのは、私のようなので」
ベイルが怪訝そうに眉を寄せる。
「……何の話だ?」
ノクティスは顔を上げた。
一瞬。
何かを言いかけてーー
「……こちらの独り言です」
「?」
「アストレア公!」
再び、廊下から切迫した声が響いた。
今度は、宮廷魔術師の一人だった。
「先ほどの現象で、帝都を覆う防御結界の一部に異常が確認されています」
ノクティスが、そちらへ視線を向ける。
「魔術師団でも原因を特定できずーー」
「……修復は?」
「試みています。ですが、一部の術式が正常に反応しません」
「……分かりました。すぐに行きます」
ノクティスが、小さく息を吐く。
「どうやら、あなたと話している暇はなさそうですね」
ノクティスは踵を返しかけーー
ふと、足を止めた。
「ベイル殿」
「何だ」
「セレスティア殿を」
一瞬。
その視線がベイルの腕の中へ向けられる。
「早く、休ませてあげてください」
「……言われなくても、そのつもりだ」
「ーーでは、私はこれで」
今度こそ、ノクティスは二人に背を向けた。
歩きながら、待っていた宮廷魔術師へ指示を飛ばしていく。
慌ただしい足音と共に、ノクティスの姿が遠ざかって行く。
ベイルは、それを見送ることなく、腕の中へ視線を落とした。
「……リタ」
「はい」
「部屋へ戻ろう」
「はい」
「あの……ベイル殿」
遠慮がちな声に、ベイルが顔を上げる。
王国側の書記官だった。
「本日の件ですが……王国への報告は、どのように」
ベイルは一瞬、黙った。
「……まずレオニード殿下へ直接報告してくれ」
「殿下へ?」
「ああ。今日の記録についても、通常の報告としては扱わない方がいい」
腕の中のセレスティアへ、視線を落とす。
「どこまで共有するかは、殿下の判断を仰ごう」
「……承知しました」
書記官が深く頭を下げる。
「こちらは、お任せください」
「頼む」
ベイルは短く答えた。
そして、眠るセレスティアを抱き上げる。
「行こう、リタ」
「はい」