騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした

 瘴気が晴れきらぬ森の中、ベイルは膝をついていた。

 肺が焼けるように痛い。
 視界が、まだ揺れる。

 足音はしなかった。

 気づけば、その”少年”はすぐ目の前に立っていた。

 髪の色とは真逆の漆黒の瞳が、静かにこちらを覗き込む。

 底の見えない黒。

 けれど、不思議なほど澄んでいる。

 「……お兄さん、瘴気を吸いすぎたね」

 声音は、思ったよりも柔らかかった。
 
 少年は腰の小袋から小さな瓶を取り出す。
 淡く光を帯びた液体が、硝子の中で揺れた。

 「これを飲んで」

 差し出された小瓶を、ベイルは反射的に受け取る。
 指先が触れそうになってーーわずかに、止まる。

 瘴気の臭いの中に、ほのかに清涼な香りが混じる。

 言われるまま口に含むと、冷たい水が喉を通り、胸の奥へと落ちていく。

 焼け付くようだった肺が、すう、と静まった。

 「……これは」

 「まぁ、聖水ってところかな。応急用だけど、効くと思うよ」

 次の瞬間、彼は迷いなくベイルの肩の鎧の留め具に触れた。
 
 「じっとしてて」

 手際よく鎧をずらし、裂けた布の下の傷口を確かめる。
 ためらいがない。けれど不躾でもない。

 薬草の香りがふわりと漂う。

 「深くない。瘴気が回っただけ。これ塗っとくね」
 
 指先が、傷口のすぐそばをなぞる。
 冷たい薬が染みて、思わず息が漏れた。

 「痛い?」

 「……いや」

 それだけだ。
 ただ治療されているだけだ。

 それなのにーー

 距離が、妙に近い。

 視線を上げると、漆黒の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
 吸い込まれそうなほど澄んでいる。

 ーー少年……か?

 自分でもわからない感情が、胸の奥でかすかに揺れる。

 「これで大丈夫」

 包帯をきゅっと結び、少年は満足そうに頷いた。

 その時。

 「隊長ー!」

 部下たちの声だ。

 少年の表情が、ふっと変わる。

「迎えが来たみたいだね」

 白銀の髪がひるがえる。

 次の瞬間、森の影へと溶けるように消えた。

 まるで最初から、そこにいなかったかのように。
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