騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 やがて執務室の前に立つ。

 軽く扉を叩く。

 「入れ」

 明るい声。

 中に入ると、レオニードが机の向こうで書簡を置いた。

 金糸の刺繍を施した濃紺の衣。
 胸元には王家の紋章。

 森で共に食卓を囲んだ青年とは、まるで別人のようだ。
 柔らかな笑みは同じなのに、その佇まいには自然と威厳(いげん)(にじ)む。

 ーー本当に、王子なんだ。

 今さらのように実感して、フェリスは小さく息を吸う。

 背筋を伸ばし、一歩進む。

 「お招きいただき、ありがとうございます。……レオニード殿下」

 ほんの一瞬だけ、呼びなれない継承(けいしょう)が舌に引っかかる。
 けれど礼はきちんと。

 流れるような一礼。

 旅装のままだが、所作は無駄がない。

 レオニードの目が、わずかに楽しげに細められる。

 「堅いな。森ではそんな顔をしていなかっただろう?」

 フェリスは顔を上げ、くすっと笑った。

 「だって、ここは王宮だよ?」
 
 そして少し首を傾げる。

 「それに、森で会った時より、ずっと“王子”してる」

 フェリスがそう言うと、レオニードは軽く笑った。

 「失礼だな。森でも王子だったぞ?」

 「そうだけど」
 
 フェリスは静かに言う。

 「今はちゃんと、王家の人って感じ。でもーー」

 目元がやわらぐ。

 「中身は変わってなくて、ちょっと安心した」

 一瞬の沈黙。
 それからレオニードが小さく笑う。

 「それは光栄だな」 

 空気がやわらぐ。

 「……よく来てくれた」

 レオニードは書簡を脇へ置き、改めて告げる。

 「滞在は六日間。宿は西離宮だ。庭に面した棟の一室を用意してある」

 フェリスは頷く。

 「侍女も一人つけている。滞在中は身の回りの世話を任せる」

 その言葉に、フェリスの表情がわずかに曇る。

 「侍女は……そこまでしてもらわなくても」

 控えめな遠慮。
 
 レオニードは穏やかに返す。

 「王宮の客人だ。形式でもある」

 フェリスは一瞬だけ視線を落とす。

 「……そういうもの、か」
 
 小さく息を吐く。

 「それなら……。過度なことは望まないけど、任せるよ」

 「それでいい」

 レオニードは満足げに頷いた。
 
 「それから、今夜と五日目の夜は、内々で夕食を共にしよう。形式ばったものではない。私とベイルと君だけだ」

 ベイルは黙って立っている。

 その横顔を、レオニードは一瞬だけ見る。

 「手紙にも書いたが、六日間の案内はベイルが担当する。せっかくの機会だ。騎士団の訓練場も、希望があれば見学できるぞ」
 
 フェリスの瞳がわずかに光る。
 
 「訓練場?」

 「興味があるなら、な」

 ほんの少しの含み。

 (余計なことを)
 
 ベイルは内心でため息をつくが、表情は変わらない。

 レオニードは椅子にもたれ、軽く笑う。

 「今回は、礼を兼ねた滞在だ。気軽に過ごしてくれ。滞在中、困ったことがあれば、何でも言ってくれ。遠慮は不要だ」
 
 「ありがとう。そう言ってもらえると心強いよ」
 
 形式は整っている。
 だが、空気はどこか柔らかい。

 「では、まずは離宮へ。案内役、頼むぞ」

 「……は」

 ベイルが一礼する。

 執務室を出る直前。
 レオニードは、ごく小さく、ベイルにだけ聞こえる声で言った。

 「舞台は整えた。ーー六日間、私も楽しませてもらうとしよう」

 一瞬。
 ほんの一瞬だけ、ベイルの眉が動く。

 (……完全に面白がっているな)

 声だけで分かる。
 あの抑えきれない愉悦(ゆえつ)は、昔から変わらない。
 
 (暇なのか、王子)

 内心でだけ毒づく。

 (人の恋路を娯楽にするな)

 だが、否定できないのがまた腹立たしい。
 
 わずかに息を吐き、いつもの表情へ戻る。

 フェリスは気づかない。
 気づかないまま、王宮の回廊を歩き出す。

 六日間の王都滞在が、静かにーー
 そして確実に、動き始めた。
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