騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 離宮へ戻る道すがら、陽はまだ高く、白い壁がまぶしく光っている。

 訓練場の熱気が噓のように、庭は静かだった。

 侍女のリタが、廊下の奥から姿を見せる。

 「あら?お早いお戻りですね」

 フェリスは足を止める。

 「……ああ……うん」

 どこか歯切れが悪い。

 「ベイル様とご一緒ではなかったのですか?」

 一瞬、視線が揺れる。

 「……途中で、案内はここまでにすると」
 
 「まあ」

 「冷静になる時間が必要だ、と言って去っていった」

 リタの睫毛(まつげ)がわずかに動く。
 
 「冷静に……?」

 フェリスは眉を寄せる。

 「怒っているのかと聞いたら、すまないと謝れられて……でも、ひどく不機嫌そうで」
  
 ティーセットを整えていたリタの手が、かすかに止まる。

 「何か、心を乱されることがあったのでは?」

 問われて、フェリスは記憶を辿る。

 「う~ん……。手合わせに応じて……その後騎士たちに取り囲まれて……そしたら急に、手を引っ張って外に連れ出してしまって……」

 カチャッ、とティーポットがわずかに鳴る。

 その瞬間、リタの動きが止まった。

 
 ゆっくり、……ゆ~っくりと振り向く。

 
 「騎士たちに取り囲まれたら、外に連れ出された……?」


 (……あ、まずい……これ……前にも……)

 その目が、ぎらりと光る。

 「ひっ!」

 やはり、フェリスが声をあげる。

 「ーーそれです!フェリス様!!」

 ぴしっと指をさされる。

 「えっ?なに⁉」

 フェリスは、瞬きをする。

 リタはゆっくりと、フェリスを見つめた。

 まるで、何かの答えを見つけたように。

 「おそらく、ベイル様の不機嫌になった理由は、そこにございます!」

 「そこ?」


 リタは一度、ふう、と息を整える。

 もったいぶるようにーー間を置く。

 そして、満を持して口を開く。



 「……や・き・も・ち です!」

 「や・き・も・ち?」

 フェリスは眉を寄せる。

 「ベイルが?……」

 「誰に?」

 「それは、フェリス様にですよ!」

 「えっ!?……わ、私!」

 思わず、声が(ひるがえ)りそうになる。

 「な、なんで?」

 「それは……大切に思っている方が、他の殿方に囲まれていたら、心穏やかではいられませんもの」
 
 フェリスは、小さく首を傾げる。

 「……大切」

 言葉を確かめるように繰り返す。

 「それは……同じ剣の道を歩む者として?」

 真剣な顔だ。

 本気でそう考えている。

 「それとも……友人、という意味で?」


 リタは、しばし沈黙した。


 
 「……いいえ」

 やわらかな否定。


 「女性として、でございます」

 空気が、一瞬止まる。


 フェリスは瞬きをする。

 「……女性……?」


 その響きが、遠いもののように感じられる。

 「それは……」


 一拍。


 「私が、ということ?」

 ゆっくりと理解が追いつく。


 「ベイルが?……私を?」

 驚きというより、戸惑い。
 自分が“そういう風に見られる”存在だという前提が、まだない。


 リタは、静かに微笑む。

 「お気づきではございませんでしたか?」

 「き、気づくって……」

 視線が泳ぐ。

 「なんで、そう思うの?」

 リタは静かに答える。
  
 「ベイル様は、普段そのように強引なことはなさいませんし、感情を表に出すのもお得意ではないーー」

 フェリスは小さく頷く。

 「それでも、手を引いて連れ出された」
 
 フェリスの指が、ぴくりと動く。

 「我慢できなかったのだと思います」

 「……」

 「大切に思っておられるからこそ」

 フェリスは視線を落とす。
 
 あの時の、強く握られた手。
 振り返らなかった背中。
 掠れた声。
 
 「……あれは」

 小さく呟く。

 「そういう、こと……?」

 しかしすぐに眉を寄せる。

 「でも……そんな……」

 否定しきれない。けれど、信じきれない。

 半分、戸惑い。
 半分、現実味がない。

 「少なくとも、どうでもよい相手に、そのような事はなさらないと思われますよ」

 「……」
 
 否定しようとしたのに、うまく理由が見つからない。

 胸の奥が、少しだけざわつく。

 「……私のことを、そういう風に見ることなんて……」

 あるのだろうか。

 自分で言って、変な感じがする。

 リタは微笑むだけで、答えない。

 その沈黙が妙に意味深に思える。
 
 フェリスは落ち着かなくなり、視線を逸らす。

 「昨日まで、そんなこと考えたこともなかったのに……」

 なのに今は、

 ベイルの視線や、手の強さ、声の温度がやけに鮮明に思い出される。

 胸の奥が、わずかに熱い。

 「……そう……なんだ……」
 
 指先が衣の裾を握る。

 「……私、何も考えてなかった」

 ぽつりと、こぼれる。
 
 「ベイルのこと、……全然……」

 静かに息を吐く。

 「……私……どうすれば、よかったんだろう」
 
 白磁のティーカップが、フェリスの前に静かに置かれる。
 リタは、ティーポットを傾けた。

 「どうすればよかったか、ではございません」

 フェリスが顔を上げる。

 「これから、どうなさるか、でございます」


 責めるでもなく、急かすでもない声。
 ただ、道を示すように。

 「……これから、どうするのか……」
 
 フェリスは小さく呟く。

 琥珀色の紅茶が細く流れ、静かな音を立てて満ちていく。
 
 
 思えば、今までーー
 
 女性として見られることから逃げてきた。
 そうした感情を向けられることからも……。


 注がれた紅茶の波紋が幾重にも重なり、やがて静まる。
 琥珀色の水面に、フェリスの顔が映し出される。

 揺らぎを残した、淡紫の瞳。

 その瞳を見つめているうちに、ふとーー

 あの時のベイルの事が脳裏に浮かぶ。

 強く握られた手。
 振り返らない背中。
 低く押し殺した声。

 『……すまない』

 あの時の、ベイルの表情。

 怒っていたわけではない。

 むしろーー
 どこか、苦しそうだった。

 胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
 
 
 「……ベイルのことは、嫌な気はしない」

 かすかな告白のような呟き。

 胸に残る熱を、そっと受け止める。
 
 ざわめきは消えない。

 けれどーー
 
 フェリスは、小さく息を吸った。

 紅茶の水面に映る自分の瞳を、まっすぐに見つめる。

 「……逃げないで、向き合ってみる」

 小さな声。

 けれど、それは確かな決意だった。

 ポットが戻され、カップがそっと、押し出される。

 リタはその様子を見て、ふっと笑った。

 「ええ。きっと、その方が面白くなります」
 
 フェリスが顔を上げる。

 「……面白く?」

 「はい」

 少しだけ悪戯っぽく、肩をすくめる。

 「恋のお話は、ここからが楽しいところですから」

 紅茶の湯気が、午後の光に溶ける。
 
 その向こうで、リタは静かに微笑んだ。
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