騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
ヴェルディア王国の王都オルディナ。

第三騎士団の詰め所、その一室。

午後の光が差し込む中、ベイルは書類に目を通していた。

規則的に走るペン先。

その静けさを、扉を叩く音が破る。

「失礼致します。ベイル隊長、来客が……」

「……誰だ」

 顔を上げずに問う。

 一拍の間。

「それが……東方の方で、シャオ・ウェンと名乗っております」

 ーーその名に。

 ペン先が、わずかに止まった。

 紙の上に、淡いインクの(にじ)みが広がる。

 それが何を意味するのか、理解するより先にーー

 嫌な予感だけが、胸の奥に落ちた。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 「……通してくれ」

 短く告げる声は、すでに変わっていた。

 やがて扉が開く。

 静かな足取りで入ってくる、薄灰色の長衣の男。

 翡翠の瞳。

 変わらぬ佇まい。

 「お久しぶりです、ベイル殿」
 
 穏やかな声。

 ベイルは立ち上がる。

 わずかに一礼を返す。

 「シャオ・ウェン殿が、王都まで足を運ばれるとは……」

 そこまで言って、言葉を切る。

 余計な確認は、必要なかった。

 視線をまっすぐ向ける。

 「ーー何か、あったのですか?」

 断定に近い声音。

 シャオ・ウェンは、静かに頷いた。

 肯定は、それだけで十分だった。

 空気が、ひとつ沈む。

 ベイルはゆっくりと椅子を引き、向かいを示す。

 「どうぞ」

 互いに腰を下ろす。

 短い沈黙。

 だが、それは探り合いではない。

 言葉を選ぶための間だった。

 先に口を開いたのは、シャオ・ウェン。

 「フェリスが、連れ去られました」
 「……私が居ながら、防ぎきれませんでした」

 静かな声。
 飾りのない事実。

 その一言で、理解する。
 この男が“防げなかった”という事実の重さを。

 そして、あまりに唐突な言葉に一瞬、呼吸が止まる。

 「今……なんと?」

 耳を疑う。
 理解が追いつかない。

 それでも、ようやく絞り出す。

 「……無事なのか」

 その問いは、確認ではない。
 祈りに近い。

 「彼の目的は、フェリスの命ではないので、無事かと……」

 即答だった。
 その言い方に、ためらいも、推測の色もない。

 「彼?」

 ベイルの声が低くなる。
 
 「貴殿も知る相手なのか?」

 「多少は」

 ベイルは、眉を寄せる。
 
 「……誰です」

 「隣国、ゼルドレイン帝国のノクティス・アストレア公爵」

 その名に、ベイルは目を細める。

 「……ノクティス・アストレア」

 聞いたことがある。

 「確か……ゼルドレインの宮廷魔術師長」

 一拍。

 「若くして公爵位を継ぎ、魔術院において、強い影響力を持つ男だ」

 わずかに、目が細くなる。

 「……良い噂は聞かない」

 額に手を当てる。

 「隣国の公爵が……なぜ?」

 納得ではなく、状況の重さを測る声。

 シャオ・ウェンは、わずかに目を伏せる。
 
 一拍。

 「……フェリスは、本来」

 静かに口を開く。

 「ゼルドレイン帝国の伯爵家の娘です」

 沈黙。

 ベイルは、すぐには反応しなかった。

 王宮の回廊。
 初めて訪れたはずの場所で、「どこも似ている」とーー

 そう言った声音。

 王宮の庭園を案内した際にバラ園で「久しぶり」と言った事。

 あの時感じた、違和感が、今、静かに繋がるーー。

 「……なるほどな」

 息のように落ちる声。
 
 だが、その目は細められたままだ。

 「……それで、森に」

 一拍。

 「身を隠していた、ということですか」
 
 視線を上げる。

 シャオ・ウェンはわずかに頷く。

 「そうなります」

 「……そうか」

 沈黙が落ちる。

 だが次の瞬間、ベイルは顔を上げた。

 その目には、迷いがない。

 「まずは、レオニード殿下に話を通してみよう」

 「相手が相手だ。下手には動けない」

 シャオ・ウェンは、静かに頭を下げた。

 ベイルは、扉へと向かいかけてーーふと、足が止まった。

 無意識に、胸元へと手が伸びる。

 指先に触れたのは、小さなガラス石のペンダント。
 
 淡く光を受けるそれはーー
 
 フェリスの瞳と、同じ色。

 フェリスからの手紙ーー

 今は、まだ会えない。
 
 だが、
 いつか答えが出たときには、その時はきちんと向き合う、と。

 それならば、待とうと決めた。

 ーー待つと決めたはずだった。

 だが。

 ペンダントを握る手に、力がこもる。

 「それとこれとは、話が別だ」

 低く、はっきりと。

 誰に向けたわけでもない言葉。

 手を離す。
 背筋が、すっと伸びる。

 扉に手をかける。

 「行きましょう」

 振り返らずに告げる。

 シャオ・ウェンも、静かに立ち上がった。

 二人の足音が、廊下へと消えていく。

 その歩みは、速い。
 迷いを、置き去りにして。
 
 
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