騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 薄く灯された執務室の空気は、重く沈んでいた。

 地図の上に置かれた駒は動かない。
 誰もが、決定打を欠いていた。

 「……正面からの突入は、愚策だな」

 低く言ったのはベイルだった。
 腕を組み、視線は机上の一点に落ちている。

 「相手はノクティスだ。屋敷そのものが罠と見ていい」

 「かといって、裏から忍び込んでも限界がある」

 レオニードは椅子の背にもたれ、軽く指先で机を叩いた。

 「長期潜入は現実的じゃない。フェリス嬢の位置も特定しきれていない以上、時間をかけるほど不利になる」
 
 静寂。

 その中で、シャオ・ウェンだけが、静かに目を伏せていた。

 ーーフェリスは、生きている。
 
 確信はある。だが、それだけだ。

 その時だった。

 「……ああ、なるほど」

 ぽつりと、レオニードが呟いた。

 顔を上げる。

 その瞳に、いたずらめいた光が宿っていた。

 「正面から、行けばいいじゃないか」

 ベイルが眉を寄せる。

 「……何だと?」
 
 「ただしーー」
 
 「剣じゃなく、礼を尽くして、だ」

 わずかな沈黙。

 意味を探るように、ベイルの視線が動く。

 「ノクティスの屋敷に“拒めない理由”を持って訪れる」

 沈黙。

 「……社交か」

 レオニードは、ゆっくりと笑った。

 「そう……。しかも、ただの訪問じゃない」

 一歩、机から離れる。

 「相手が、無碍(むげ)にできない理由だ」

 ほんのわずかの間。

 そしてーー

 「筋書きはこうだ……行方不明だった婚約者が、“無事であるらしい”という情報を得た」

 静かに、言葉を重ねる。

 「その礼と、確認のためにノクティス邸を訪ねる」

 一歩、机から離れる。

 沈黙。

 「婚約者?」

 ベイルの視線が、わずかに鋭くなる。

 ーー意味が、落ちる。

 「……誰の、だ」
 
 ほんのわずかに、声音が低くなる。

 「お前に決まっているだろう?」

 即答だった。

 「相手はまさか……」
 
 レオニードは、にやりと笑った。

 「……そう、フェリス嬢……いや、セレスティア嬢、か」

 ーー一瞬。

 ベイルの思考が、止まった。

 「……は?」

 珍しく、間の抜けた声が漏れた。

 レオニードは、くすりと笑った。

 「いやいや、理にかなってる。彼女は事故死したはずの令嬢だが、本来の名ーーセレスティア・イル・エルランドは生きている」

 シャオ・ウェンの瞳が、わずかに細められた。

 わずかな間を置いて、ベイルが口を開く。

 「……エルランドの正統血統として、か」

 「そう。王家が認めれば、それは“生きていた”ことになる。事故で死んではいなかったと公表すれば、それで終わる」

 「それにおそらく、社交界に出る歳には、ルヴェールではなくエルランドを名乗る予定だったはずだ」

 レオニードは指を一本立てた。

 「その高貴な令嬢と“婚約した”ことにするのさ」
 
 ベイルがわずかに眉を寄せる。

 「そしてーーその令嬢が“無事であるらしい”という話がある以上」

 わずかに目を細める。

 「礼を尽くさないわけにはいかないだろう?」

 ベイルが、静かに息を吐く。

 「……つまり」

 「“探しに行く”のではなく、“礼を言いに行く”」

 「その過程で、確かめる」

 レオニードが頷く。

 「そういうことだ」

 「拒めば、不自然になる」

 「迎えればーー探られることになる」
 
 「どちらにしても、逃げ場はない」

 
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