騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした

第三話「ノクティス公という男」

 
 静謐(せいひつ)な空間だった。

 磨き上げられた銀器が、窓から差し込む淡い光を反射している。

 白いクロスの上に落ちるその光は、どこまでも穏やかでーー

 この場にある緊張とは、ひどく不釣り合いだった。

 窓の外では、庭の木々が風に揺れている。
 鳥の影が、ひとつ横切った。

 音といえば、ナイフと皿が触れる、微かな気配だけ。

 向かいに座る男ーーノクティスは、ゆったりとした所作でグラスを傾けた。

 「口に合わないものはないかな」

 穏やかな声音だった。

 「……いえ。問題ありません」

 簡潔に答えながら、フェリスは視線を落とす。
 味など、ほとんど感じていなかった。

 視界の端で、陽光が銀器に弾かれる。
 その眩しさが、かえって現実感を希薄にする。

 「……三年の時を経て、こうして君を迎えることができた」

 「あの時、君が事故で亡くなったと聞いた時は、耳を疑ったが……」

 「疑って、よかったよ」
 
 わずかに、口元が歪む。

 (ーー喜んでいるのか)

 その感情の輪郭が、掴めない。
 だが、少なくとも、哀悼(あいとう)ではないことだけは確かだった。

 「……その、死んだはずの令嬢を迎えて、どうするつもりですか?」

 問いかけながら、呼吸を整える。

 不用意な言葉は、すぐに足場を崩す。

 「……ふむ、そうだな……」

 「公には、もう存在しない者であるなら……どう扱おうと問題は表面化しない」

 「私にとっては、好都合だ」

 フェリスは、わずかに喉を鳴らした。
 理解より先に、身体が反応していた。

 予想はしていた。
 だが、言葉として突きつけられると、内側の温度が静かに下がる。

 「君も知っていると思うが……我がアストレア家は、代々優秀な魔術師を多く輩出している家柄だ」

 一拍置く。

 「しかし、……君の力は、その延長にはない」

 わずかに、フェリスの視線が上がる。
 
 「精霊に属するものだ」

 「体系化された魔術のように、法則で扱えるものではない」

 フェリスの視線が細められる。

 「……むしろ、神域に近い」

 「……よって、君の血筋は、神官職、聖女といったものを多く輩出している」

 わずかな沈黙。

 ノクティスはグラスを傾け、光を受けた液面に視線を落とした。

 「ーーそして」

 そのまま、覗き込むように言葉を落とす。

 「君は、エルランドの名に加えて……“イル”の名を与えられている」

 空気が、変わった。

 フェリスの瞳がわずかに揺れる。

 「その名の意味を、私が知らないとでも?」

 ノクティスは静かに笑う。

 「精霊に選ばれし器。あるいは、境界を超える者」

 「おそらく……君が龍を還すことができた理由はそにあるのではと、みている」

 一瞬の沈黙。

 ノクティスはグラスをわずかに傾けた。

 淡い光を受けた液面の向こうに、フェリスの姿が揺らぐ。
 
 歪んだ輪郭を、確かめるように覗き込みーー

 値踏みするような視線が、フェリスをなぞる。

 「その方法に……興味がある」

 フェリスの背筋を、ぞくりとしたものが走る。

 「しばらくは……そのまま秘匿(ひとく)として置く方がいいが……。そのうち、そうはいかなくなる」

 「……?」
 
 「私の系譜と君の系譜があわされば、さらなる進化と繁栄が成されよう」

 「いずれ、私と君の血が交わり……」

 「……その子供が“イル”の名を継ぐ器であった場合……」

 「それを、世に出さない理由がない」

 「血は、示してこそ価値を持つ」

 空気が張り詰める。

 「その時には、私の元で、正式な身分を君に与えよう」

 「全てを、私の管理下に置く」

 フェリスの呼吸が、わずかに止まる。

 「安心したまえ」

 ノクティスは静かに続ける。

 「君が生きる上で必要なものは、すべてこちらで整えよう」

 「不自由は感じさせない」


 ーーわずかに、息を呑む。


 (……不自由は、感じさせない)
 
 胸の奥で、その言葉が引っかかった。

 思わず、笑いそうになる。
 
 ここが、閉じられた場所であることは、考えるまでもなく明白なのに。

 この場所に、自由など……ない。


 ーー静かに、食器の触れ合う音だけが残った。


 ふと、思い出す。

 ベイルからの、あの手紙。

 ーー会って、一度話がしたい。

 それに対して、自分が返した言葉ーー

 (まだ、時間が必要です)
 (けれどーーいつか、自分の中で答えが出た時には)
 (その時は、きちんと向き合うつもりです)
 
 確かに、そう書いた。

 あの時は、まだーー

 その“いつか”が来ると、思っていた。

 けれど。

 その時は、もう来ないのだと。

 胸の奥が、わずかに軋む。
 
 ーーだが。

 (……それでも)

 完全に、折れたわけではなかった。
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