騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
王宮の回廊を抜け、しばらく。
人の気配が、ゆるやかに遠のいていく。
石造りの壁に反響していた足音も、次第にやわらぎ、
代わりにーー風の音が、耳に届くようになった。
「こちらです」
先導していた侍女が、足を止める。
視線の先。
木立に囲まれるようにして、静かに佇む建物。
王宮本館の重厚さとは違う。
どこか、呼吸を許すような柔らかさを持った場所。
(……戻ってきた)
無意識に、足が止まる。
ついこの間まで、滞在していた6日間のことが、ふとよぎった。
まさかあの時は、こんな風になるなんて思いもよらなかった。
「セレスティア様」
侍女の声に、意識が戻される。
「お部屋のご用意が整っております」
扉が開かれた瞬間、フェリスはわずかに息を呑む。
整えられている。
あの時は「滞在」のための部屋だった。
けれど今、目の前にある空間はーー
“ここで生きるための場所”になっていた。
「……お気に召したかな」
背後からの声に、フェリスはゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、穏やかな微笑を浮かべたレオニードだった。
「……とても、綺麗です」
言葉はそれだけだったが、視線は室内を彷徨っている。
見覚えのある窓。庭へと続く扉。
それらは確かに同じなのに、どこか違う。
レオニードは、その様子を静かに眺めていたがーー
やがて、何でもないことのように口を開いた。
「当面、この離宮は君の為に空けてある」
その一言に、フェリスの視線が止まる。
「……え……」
理解が、少し遅れる。
「他の来客は入れていない。人の出入りも最小限にしてある」
あまりにあっさりと告げられる内容が、逆に現実味を帯びない。
「ここは本来、要人の為の離宮だが……今は君のための場所だ」
“君のため”
その言葉が、ゆっくりと胸の奥へ沈んでいく。
「……私、の……?」
かすかに揺れた声に、レオニードは小さく頷く。
「君の立場を考えれば、王宮の中心に置くには早い。かといって外に出すには危うい」
淡々とした説明。だがその裏にあるものを、フェリスは感じ取ってしまう。
守られているはずなのに、
なぜか、わずかな違和が胸に残る。
「窮屈か?」
ふと、レオニードが問う。
その声音は軽い。
だが、試すようでもあった。
フェリスは一瞬だけ言葉を探し、そしてーーゆっくりと首を振る。
「……いいえ」
答えながら、ほんのわずかにだけ、迷いが残る。
窓の向こう、木立が揺れている。
あの森と違う。けれど、完全に閉ざされているわけでもない。
「……ここに、居ても……いいのですね」
確かめるような声だった。
レオニードがわずかに目を細める。
「もちろんだ」
間を置かずに返された言葉は、驚くほどあっさりとしている。
けれどーー
「君が望む限りはな」
その一言が、静かに重なった。
フェリスは、ほんのわずかに目を伏せる。
(……望む、限り)
選べるのだと。
ここにいることも。
ここを出ることも。
その上でーー
用意されている場所。
守られているという事実。
「……ありがとうございます」
小さく零れた言葉に、レオニードは柔らかく笑った。
「礼を言う相手は、私だけではないと思うがね」
その意味に、フェリスの視線がわずかに揺れる。
ベイル。
名を出されることはなかったが、それでも分かる。
この場所はーー
ただ与えられただけのものではない。
「さて」
レオニードは軽く踵を返す。
「長居は無粋だ。あとはゆっくり見て回るといい」
扉へ向かいながら、ふと思い出したように振り返る。
「庭へ出る扉は、施錠していない。……君にはその方が良いだろう」
それだけ告げて、彼は去っていった。
扉が静かに閉じる。
残された静寂の中でーー
フェリスはゆっくりと、庭へ続く扉へ歩み寄る。
手をかける。
開く。
外の空気が、柔らかく流れ込んできた。
(……外に、出られる)
完全に閉ざされた場所ではない。
けれどーー
完全に自由でもない。
その境界に、自分は立っている。
「……ここが……」
呟きは、誰に向けたものでもなかった。
けれどその胸の奥に、確かに生まれた感覚がある。
ーー還る場所。
まだ、そう呼ぶには早いかもしれない。
それでもーー
フェリスは、初めてその言葉を思い浮かべていた。
人の気配が、ゆるやかに遠のいていく。
石造りの壁に反響していた足音も、次第にやわらぎ、
代わりにーー風の音が、耳に届くようになった。
「こちらです」
先導していた侍女が、足を止める。
視線の先。
木立に囲まれるようにして、静かに佇む建物。
王宮本館の重厚さとは違う。
どこか、呼吸を許すような柔らかさを持った場所。
(……戻ってきた)
無意識に、足が止まる。
ついこの間まで、滞在していた6日間のことが、ふとよぎった。
まさかあの時は、こんな風になるなんて思いもよらなかった。
「セレスティア様」
侍女の声に、意識が戻される。
「お部屋のご用意が整っております」
扉が開かれた瞬間、フェリスはわずかに息を呑む。
整えられている。
あの時は「滞在」のための部屋だった。
けれど今、目の前にある空間はーー
“ここで生きるための場所”になっていた。
「……お気に召したかな」
背後からの声に、フェリスはゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、穏やかな微笑を浮かべたレオニードだった。
「……とても、綺麗です」
言葉はそれだけだったが、視線は室内を彷徨っている。
見覚えのある窓。庭へと続く扉。
それらは確かに同じなのに、どこか違う。
レオニードは、その様子を静かに眺めていたがーー
やがて、何でもないことのように口を開いた。
「当面、この離宮は君の為に空けてある」
その一言に、フェリスの視線が止まる。
「……え……」
理解が、少し遅れる。
「他の来客は入れていない。人の出入りも最小限にしてある」
あまりにあっさりと告げられる内容が、逆に現実味を帯びない。
「ここは本来、要人の為の離宮だが……今は君のための場所だ」
“君のため”
その言葉が、ゆっくりと胸の奥へ沈んでいく。
「……私、の……?」
かすかに揺れた声に、レオニードは小さく頷く。
「君の立場を考えれば、王宮の中心に置くには早い。かといって外に出すには危うい」
淡々とした説明。だがその裏にあるものを、フェリスは感じ取ってしまう。
守られているはずなのに、
なぜか、わずかな違和が胸に残る。
「窮屈か?」
ふと、レオニードが問う。
その声音は軽い。
だが、試すようでもあった。
フェリスは一瞬だけ言葉を探し、そしてーーゆっくりと首を振る。
「……いいえ」
答えながら、ほんのわずかにだけ、迷いが残る。
窓の向こう、木立が揺れている。
あの森と違う。けれど、完全に閉ざされているわけでもない。
「……ここに、居ても……いいのですね」
確かめるような声だった。
レオニードがわずかに目を細める。
「もちろんだ」
間を置かずに返された言葉は、驚くほどあっさりとしている。
けれどーー
「君が望む限りはな」
その一言が、静かに重なった。
フェリスは、ほんのわずかに目を伏せる。
(……望む、限り)
選べるのだと。
ここにいることも。
ここを出ることも。
その上でーー
用意されている場所。
守られているという事実。
「……ありがとうございます」
小さく零れた言葉に、レオニードは柔らかく笑った。
「礼を言う相手は、私だけではないと思うがね」
その意味に、フェリスの視線がわずかに揺れる。
ベイル。
名を出されることはなかったが、それでも分かる。
この場所はーー
ただ与えられただけのものではない。
「さて」
レオニードは軽く踵を返す。
「長居は無粋だ。あとはゆっくり見て回るといい」
扉へ向かいながら、ふと思い出したように振り返る。
「庭へ出る扉は、施錠していない。……君にはその方が良いだろう」
それだけ告げて、彼は去っていった。
扉が静かに閉じる。
残された静寂の中でーー
フェリスはゆっくりと、庭へ続く扉へ歩み寄る。
手をかける。
開く。
外の空気が、柔らかく流れ込んできた。
(……外に、出られる)
完全に閉ざされた場所ではない。
けれどーー
完全に自由でもない。
その境界に、自分は立っている。
「……ここが……」
呟きは、誰に向けたものでもなかった。
けれどその胸の奥に、確かに生まれた感覚がある。
ーー還る場所。
まだ、そう呼ぶには早いかもしれない。
それでもーー
フェリスは、初めてその言葉を思い浮かべていた。