騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした

第二話「セレスティア嬢として」

 朝の光が、やわらかく室内に差し込んでいた。

 西離宮の一室。

 「本格的な舞踏や音楽の稽古は、後ほど講師を手配いたしますがーー」

 リタが静かに続けた。

 「まずは日常の所作から整えて参りましょう」

 そう、言われーー

 整えられた空間の中で、フェリスは鏡の前に立っている。

 背筋を伸ばし、顎を引く。

 ほんのわずかな角度。

 それだけで。映る姿の印象が変わる。

 「もう少しだけ、視線を柔らかく」

 背後から、リタの声が落ちる。

 フェリスは鏡の中の自分を見る。

 意識して、力を抜く。

 「……こう、かな」

 「はい、とてもよろしいです」

 即座に返る肯定。

 迷いのない声音。

 だが次の瞬間には、リタはわずかに首を傾げた。

 「ただーー少しだけ、“見ている”印象が強いですね」

 「見ている……?」

 「ええ。相手を捉える目になっています」

 フェリスは、思わず小さく息を漏らした。

 「ああ……それは……」

 わずかに苦笑が混じる。

 それは、癖だ。

 森で生きていた頃。
 相手の動き、気配、呼吸。
 それらを、読むことは、生きるための前提だった。

 「ご令嬢としては、“見せる”側になります」

 静かな説明。

 「見抜くのではなく、安心させる視線を」

 (……“見せる”側……安心させる視線、か)
 
 少しだけ、困ったように眉が寄る。

 一瞬だけーー

 視線を向けられる側だった頃の感覚が、よぎった。

 値踏みするような目。
 品定めするような空気。

 わずかに、肩が強張る。

 だが、それもすぐに消すように。

 小さく、苦笑がこぼれる。

 「……なかなか難しい注文だね」

 「そう言うの……慣れていないから」

 ほんの少しだけ視線を逸らしながら、フェリスが言う。

 「ええ、なんとなくそのように見受けられました」

 さらりと返されて、フェリスが思わず瞬きをする。

 「分かるんだ……」

 「はい」

 迷いのない即答。

 その迷いのなさに、今度はフェリスが小さく笑う。

 「ですが、ご安心ください」

 少しだけ、いたずらっぽく微笑んでーー

 「慣れていなくても、困ることはございません」

 「では、その点も踏まえて整えて参りましょう」

 フェリスはもう一度、鏡を見る。

 先ほどよりも、少しだけ力を抜いて。

 ただそこに在るように。

 「……難しい」

 小さく零れた本音に、リタは微笑む。

 「ええ。ですが、セレスティア様はまるっきり初心者というわけではないので、きっとすぐに馴染まれます」

 断言に近い言葉。
 
 フェリスはしばらく鏡を見つめる。

 そこに映るのはーー
 
 見慣れないはずの、自分。

 けれど、完全に異物というわけでもない。

 (……本来の、姿)

 ふと、そんな言葉がよぎる。

 だが、それが何を指すのかは、まだ分からない。

 「では次に、歩き方を」

 リタの声で、意識が戻る。
 
 「歩き方……」

 「はい。音を立てず、しかし弱くもならない歩みを」

 フェリスは一歩、踏み出す。

 床に触れる感覚。

 重心の移動。

 無意識に、最も効率の良い動きが運ばれる。

 静かで、無駄のない足運び。

 ーーだが。

 「少しだけ、速いですね」

 「……」

 「急ぐ必要はございません」

 リタの言葉に、フェリスはわずかに足を止める。

 急いでいるつもりはなかった。

 けれどーー

 これもまた、森での生活では必要としなかったこと。

 だが今はーー
 
 それを求められている。

 「……ゆっくり、ですね」

 フェリスはもう一度、歩く。

 先ほどよりも、わずかに速度を落として。

 空間に溶けるように。

 「……よろしいかと」

 リタの声が、静かに落ちる。

 その評価に、フェリスは小さく息を吐いた。

 理解はしている。

 けれどそれを、“自然にする”にはーー

 まだ、わずかな距離があった。

 しかしーー

 ここに居ることを、拒む気持ちはなかった。

 窓の外、木立が揺れる。

 森とは違う。

 けれど。

 完全に遠いわけでもない。

 その中間に立つような感覚のまま、フェリスは静かに立っていた。

 
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