騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
第三騎士団の執務室。
書類に視線を落とす。
ーー先ほどまでの静けさなど、欠片も残っていない。
報告内容を確認し、必要な個所に簡潔に指示を書き入れる。
無駄のない動作。
思考も、滞りはない。
「こちらは以上です」
「ああ」
短く応じ、次の書類へ手を伸ばす。
いつも通りの執務。
問題はない。
ーーはずだった。
ふと。
指先が、止まる。
一瞬だけ、思考が逸れる。
芝の上。
風に揺れる髪。
穏やかに眠る、あの表情。
(……無防備すぎる)
小さく、眉が寄る。
(あれでは、誰に見られてもおかしくない)
ーーいや。
(見られていいわけがない)
「……」
ペン先が、わずかに紙を滑る。
本来書くべき文字とは、違う線を引きかけてーー止めた。
「……失礼」
何事もなかったように、書き直す。
ーー違う。
今は関係ない。
意識的に、思考を切り替える。
書類へ視線を戻す。
「隊長、この箇所ですが」
「ああ、そこはーー」
言葉は淀まない。
判断も正確だ。
だが。
頁をめくる、そのわずかな間。
ほんの一瞬だけ。
(……俺に見つからない場所をえらぶな)
自分でも、説明のつかない言葉。
理屈に合わない。
合理性もない。
それでもーー
(あの状態で、庭に放置するなど論外だ)
(最低限、周囲の視線は遮るべきだろう)
「……」
無意識にペンが止まる。
(……いや、なぜ俺がそこまで考える必要がある)
「隊長?」
呼びかけに、すぐに顔を上げる。
「問題ない。続けてくれ」
何事もなかったように、答える。
再び、書類へ視線を落とす。
思考は、すぐに業務へと戻る。
正確に。
冷静に。
ーーだが。
完全ではない。
(……寝顔)
一瞬、鮮明に浮かぶ。
すぐに、消す。
(……面倒だな)
誰にも聞こえないほどの小さな声で、呟く。
「以上で、本日の報告はすべてです」
書類が閉じられる音。
「……ご苦労」
一拍。
わずかに空気が緩む。
そして。
「あの、隊長」
先ほどまで報告していた部下が、口を開く。
「そう言えば、ご婚約されたそうですね」
顔を上げる。
「ああ」
「正直、皆驚いてました」
「隊長は、その……女性よりも剣一筋という印象でしたので」
「……」
(否定は、しない)
「ですから、そんな隊長が心動かされた方というのは、一体どのような方なのか気になりまして」
ベイルは、わずかに視線を落とした。
(どのような……か)
一瞬。
思考が、あの庭へ戻る。
「……そうだな」
ぽつり、と呟くように。
「放っておくと、どこでも眠る」
「……は?」
騎士が、間の抜けた声を漏らした。
「さっき、ついでに様子を見に行ったら、芝の上で寝ていた」
「芝……?」
「前には、酒に酔ってそのまま晩餐中に……」
「ば、晩餐中⁉」
「日差しも気にしない」
「はぁ……」
「周囲の視線にも無頓着だ」
「……」
騎士の表情が、少しずつ固まっていく。
だが、ベイルは気にしない。
「防備も甘い」
「ぼ、防備……?」
「隙が多すぎる」
「……」
(あれでは危ない)
「だから」
一瞬だけ、言葉を選ぶ間。
「目の届くところに置く必要がある」
沈黙。
完全に、沈黙。
部下は、瞬きを忘れたように固まっている。
「……隊長」
「それは、その……」
言葉に詰まる。
「ずいぶん……」
さらに詰まる。
「自由な方、ですね……?」
ベイルは、顔を上げる。
「……そう、だな」
部下に言われて、改めてそう言えばと思う。
「……ああいう無防備さは、好ましくない」
ぽつり、と。
独り言のように続く。
「……まぁ、その予測不能なところが、可愛くもあるんだが……」
「……」
部下、固まる。
(今、何と……)
ベイルは気づかない。
視線はどこか遠く。
完全に思考がそちらへ向いている。
「……いや、しかし」
「木漏れ日の中眠るあの様子はーー」
一拍。
「……まるで精霊のようだ」
「……」
沈黙。
(……精霊?)
誰も、すぐには反応できない。
ベイルは気づかない。
視線は、完全にここではないどこかへ向いている。
「風に揺れている髪がな……」
ぽつりと、続く。
「……光を、弾くようでーー」
「……」
部下が、そっと隣を見る。
(隊長、戻って来てないな)
(完全に、あっちだ)
部下が、小声で隣の者に囁く。
「隊長、ああいう顔するんだな……」
「初めて見た……」
ひそひそと、ざわめきが広がる。
(報告、終わっているんだがな……)
(……聞くんじゃなかった)
小さく、誰かが息を吐く。
諦めたように。
「……今日はもう、これでいいか」
誰も否定しなかった。
その中心で。
ベイルだけがーー
まだ、“あの庭”にいた。
書類に視線を落とす。
ーー先ほどまでの静けさなど、欠片も残っていない。
報告内容を確認し、必要な個所に簡潔に指示を書き入れる。
無駄のない動作。
思考も、滞りはない。
「こちらは以上です」
「ああ」
短く応じ、次の書類へ手を伸ばす。
いつも通りの執務。
問題はない。
ーーはずだった。
ふと。
指先が、止まる。
一瞬だけ、思考が逸れる。
芝の上。
風に揺れる髪。
穏やかに眠る、あの表情。
(……無防備すぎる)
小さく、眉が寄る。
(あれでは、誰に見られてもおかしくない)
ーーいや。
(見られていいわけがない)
「……」
ペン先が、わずかに紙を滑る。
本来書くべき文字とは、違う線を引きかけてーー止めた。
「……失礼」
何事もなかったように、書き直す。
ーー違う。
今は関係ない。
意識的に、思考を切り替える。
書類へ視線を戻す。
「隊長、この箇所ですが」
「ああ、そこはーー」
言葉は淀まない。
判断も正確だ。
だが。
頁をめくる、そのわずかな間。
ほんの一瞬だけ。
(……俺に見つからない場所をえらぶな)
自分でも、説明のつかない言葉。
理屈に合わない。
合理性もない。
それでもーー
(あの状態で、庭に放置するなど論外だ)
(最低限、周囲の視線は遮るべきだろう)
「……」
無意識にペンが止まる。
(……いや、なぜ俺がそこまで考える必要がある)
「隊長?」
呼びかけに、すぐに顔を上げる。
「問題ない。続けてくれ」
何事もなかったように、答える。
再び、書類へ視線を落とす。
思考は、すぐに業務へと戻る。
正確に。
冷静に。
ーーだが。
完全ではない。
(……寝顔)
一瞬、鮮明に浮かぶ。
すぐに、消す。
(……面倒だな)
誰にも聞こえないほどの小さな声で、呟く。
「以上で、本日の報告はすべてです」
書類が閉じられる音。
「……ご苦労」
一拍。
わずかに空気が緩む。
そして。
「あの、隊長」
先ほどまで報告していた部下が、口を開く。
「そう言えば、ご婚約されたそうですね」
顔を上げる。
「ああ」
「正直、皆驚いてました」
「隊長は、その……女性よりも剣一筋という印象でしたので」
「……」
(否定は、しない)
「ですから、そんな隊長が心動かされた方というのは、一体どのような方なのか気になりまして」
ベイルは、わずかに視線を落とした。
(どのような……か)
一瞬。
思考が、あの庭へ戻る。
「……そうだな」
ぽつり、と呟くように。
「放っておくと、どこでも眠る」
「……は?」
騎士が、間の抜けた声を漏らした。
「さっき、ついでに様子を見に行ったら、芝の上で寝ていた」
「芝……?」
「前には、酒に酔ってそのまま晩餐中に……」
「ば、晩餐中⁉」
「日差しも気にしない」
「はぁ……」
「周囲の視線にも無頓着だ」
「……」
騎士の表情が、少しずつ固まっていく。
だが、ベイルは気にしない。
「防備も甘い」
「ぼ、防備……?」
「隙が多すぎる」
「……」
(あれでは危ない)
「だから」
一瞬だけ、言葉を選ぶ間。
「目の届くところに置く必要がある」
沈黙。
完全に、沈黙。
部下は、瞬きを忘れたように固まっている。
「……隊長」
「それは、その……」
言葉に詰まる。
「ずいぶん……」
さらに詰まる。
「自由な方、ですね……?」
ベイルは、顔を上げる。
「……そう、だな」
部下に言われて、改めてそう言えばと思う。
「……ああいう無防備さは、好ましくない」
ぽつり、と。
独り言のように続く。
「……まぁ、その予測不能なところが、可愛くもあるんだが……」
「……」
部下、固まる。
(今、何と……)
ベイルは気づかない。
視線はどこか遠く。
完全に思考がそちらへ向いている。
「……いや、しかし」
「木漏れ日の中眠るあの様子はーー」
一拍。
「……まるで精霊のようだ」
「……」
沈黙。
(……精霊?)
誰も、すぐには反応できない。
ベイルは気づかない。
視線は、完全にここではないどこかへ向いている。
「風に揺れている髪がな……」
ぽつりと、続く。
「……光を、弾くようでーー」
「……」
部下が、そっと隣を見る。
(隊長、戻って来てないな)
(完全に、あっちだ)
部下が、小声で隣の者に囁く。
「隊長、ああいう顔するんだな……」
「初めて見た……」
ひそひそと、ざわめきが広がる。
(報告、終わっているんだがな……)
(……聞くんじゃなかった)
小さく、誰かが息を吐く。
諦めたように。
「……今日はもう、これでいいか」
誰も否定しなかった。
その中心で。
ベイルだけがーー
まだ、“あの庭”にいた。