騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした

第四話「手合わせ稽古」

 
 訓練場には、まだ人影はまばらだった。

 夜の冷気を残した空気の中、数人の騎士が、それぞれ無言で体を動かしている。

 その隅に、ベイルとフェリスは向かい合っていた。

 ベイルが、壁際に立てかけられた剣へ手を伸ばす。
 実戦用ではない。
 刃を潰し、重さだけを残した訓練用の鈍剣。

 一本を取り、わずかに重さを確かめる。

 そしてもう一本を、フェリスへ差し出した。

 「これを使え」

 フェリスは無言で受け取る。

 「重さは問題ないか」

 「……大丈夫、です」

 ほんのわずかに間があった。
 だが、それ以上は続かない。

 ベイルも剣を構える。
 向かい合う。

 距離はーー思っていたより、近い。

 「では、始めるぞ」

 「はい」

 ベイルが踏み込む。

 鋭い一閃。

 フェリスの剣が、それを受ける。

 ーー軽い。

 違う。
 軽いのではない。

 手応えが、残らない。

 触れたはずの力が、そのまま流れていく。

 (……やはり)

 以前、この場で見たフェリスの剣。
 その通りの動き。

 だがーー

 実際に交えると、感覚が違う。

 もう一撃。
 今度は押し込む。

 逃がさないよう、踏み込みを深くする。

 だがーー
 
 流れる。

 確かに捉えたはずの刃が、すでに外れている。

 捕まらない。

 まるで、水を掴もうとしているようだ。

 (理屈では理解しているはずだ)

 だが、納得が追いつかない。

 フェリスは静かに動く。
 踏み込みは浅い。

 それでも次の瞬間には、間合いの内側にいる。

 近い。

 刃が触れるたび、距離が詰まる。
 呼吸が、わずかに重なる。

 不意に、視線が上がる。
 
 灰銀色の髪が、朝の光を受けて揺れる。
 その奥の淡紫の瞳。

 静かでーー澄んでいる。

 次の瞬間。

 わずかに、刃が遅れた。

 フェリスの剣が、するりと力を外へ流す。

 「……っ」

 (今のは)

 剣の問題ではない。
 わかっている。
 
 だが、認める気はない。

 踏み込みを速める。
 力を乗せる。

 騎士としての剣を、正面から叩きつける。

 それでもーー

 触れた瞬間、崩される。

 成立しない。

 「……掴めないな」

 思わず、低く漏れる。

 剣だけではない。
 距離も、気配も。

 ーー意識が逸れる。

 (……集中しろ)

 内心で切り捨てる。

 だが。

 再び刃を合わせた瞬間、確信する。
 これは、単なる技術差ではない。

 崩せるところで、崩してこない。
 取れるはずの間合いを、あえて外している。

 ーー勝とうとしていない。

 フェリスは変わらない。
 静かに受け、逸らし、返す。

 だがーー

 どこかで止めている。

 崩し切れるはずのところで、わずかに引く。

 ーー踏み込みが、半歩だけ浅い。


 (……なぜだ)

 
 疑問が浮かぶ。

 その答えに届く前にーー

 遠くで号令が上がり始めていた。
 朝の正式な訓練が、始まる。


 「……ここまでだ」

 短く告げる。

 フェリスは静かに剣を下ろした。

 「……ありがとうございました」

 その声も、乱れはない。

 それ以上は続けない。

 「続きは、また今度にしよう」

 視線を外したまま言う。

 フェリスは一瞬だけ間を置き、頷いた。

 「……はい」

 わずかに遅れた返答。

 べイルは剣を下ろす。
 
 指先には、まだ残っている。

 触れたはずなのに、掴めなかった感触。

 技術の問題ではない。
 そう分かっている。

 ーー問題は、そこではない。

 掴めないままの何かと、あまりにも近すぎた距離だけが、やけに鮮明に残っていた。
< 88 / 111 >

この作品をシェア

pagetop