騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 朝の訓練場は、すでに熱を帯びていた。

 打ち合う音。
 掛け声。
 乾いた足音。

 その中で、ベイルとフェリスは向かい合っていた。

 前回と同じ距離。
 同じ構え。

 だが——
(来ないな)

 踏み込みがない。
 構えは崩れていない。
 隙もない。
 
 ーーにもかかわらず、動かない。

 待っているわけでもない。
 誘っているわけでもない。

 ただ、そこにいる。

 (……なら)

 ベイルは一歩、踏み込んだ。

 鋭く、速い一閃。
 迷いのない、騎士として正しい踏み込み。

 それをーー
 受ける。
 流される。

 手応えが残らない。

 だが——それでいい。

 二撃目。三撃目。
 間を詰める。
 
 反応はいい。
 遅れもない。

 ならばーー崩れるはずだ。

 (押し切れる)

 合理的な判断だった。
 向こうが踏み込んで来ないならば、こちらが前に出て圧すればいい。

 それだけのことだ。

 四撃目。五撃目。
 連続で叩き込む。

 フェリスは(さば)く。
 逸らす。
 崩れない。

 だが——
 (やはり、来ない)

 応じていない。

 受けているだけだ。

 そこに、意思の返しがない。

 (……それでいいのか?)

 一瞬、引っかかる。

 だがすぐに、思考を切る。

 戦いに不要な感情だ。

 踏み込みを、さらに強める。

 一歩。
 もう一歩。

 速さに、重さを乗せる。
 間を詰め、逃がさない。

 受け続ければ、いずれ崩れる。
 体力差は明確だ。

 (……それで、終わりか)

 ふと、違和感が差す。

 勝てる形だ。
 だがーー

 満たされない。

 剣がぶつかる。
 流される。

 間合いは詰まっている。
 優位はこちらにある。

 それでも。
 
 (足りない)

 何がーーとは分からない。

 ただ、届いていない感覚だけが残る。

 「……っ」

 わずかに、踏み込みを変える。

 速さではない。
 力でもない。

 ーー逃がさない。

 そういう踏み込み。

 間合いを外させない。
 退く余地を削る。

 押し込むのではなく、閉じ込める。

 もう一歩。

 踏み込む。

 フェリスの動きが、ほんのわずかに遅れる。

 (今だ)
 
 さらに詰める。

 刃が絡む。
 外させない。

 近い。

 近すぎる。

 呼吸が、触れる。

 (--来い)

 思考より先に、何かが動く。

 応じろ。

 逃げるな。

 その奥を見せろ。

 ーーそう思った、次の瞬間。

 フェリスの呼吸が、乱れた。

 「…っ」

 吸うタイミングがずれる。
 剣が、わずかに遅れる。

 視線が揺れる。

 逃げ場がない。

 (ーー捉えた)

 そう思った、次の瞬間。

 「……も、……や……ぁ」

 かすれた声。

 息と一緒に零れる。

 それは、言葉にならない音だった。

 だがーー

 確かに、届いた。

 ベイルの動きが、止まる。

 剣が止まる。

 ーー何だ、今のは。

 剣ではない。
 戦いでもない。

 理解が追いつかない。

 一瞬の空白。

 その間に、フェリスは距離を外した。

 数歩下がる。

 呼吸が荒い。
 肩が、わずかに上下する。

 頬が赤い。
 
 伏せきれない淡紫の瞳が、潤んでいる。

 「……っ」

 ベイルの喉が、わずかに鳴る。

 ーー見たことのない顔だった。

 戦いの中で、向けられるものではない。

 それなのに、目が離せない。

 フェリスは息を整えようとしている。
 だが、整わない。

 わずかに視線を逸らし、
 そして。

 「……もう、」

 声が、揺れる。

 「もう……手合わせは、」

 一度、言葉を切る。

 呼吸を整えきれないまま。

 「……大丈夫、ですから」

 それは、断りだった。

 だが——

 逃げるように聞こえた。

 ベイルは、何も言えない。

 言葉が出ない。

 フェリスは一礼する。
 形だけは、崩さない。

 だが次の瞬間には、踵を返していた。

 足早に、その場を去る。

 背を向けたまま、振り返らない。

 訓練場のざわめきの中へ、紛れるように消えていく。

 残されたのは、ベイル一人。

 剣を持ったまま、動けない。

 (……今のは、何だ)

 問いは浮かぶ。

 だが答えがない。

 剣の感触は、消えている。

 代わりに残っているのは——
 
 あの声と、
 あの表情。

 妙に、生々しく焼きついている。

 あれは、剣を受けたときのものではない。

 ましてや、崩された時の声でもない。

 (……なら、何だ)

 考えようとして、止まる。

 思考の外側にある。

 言葉にしようとすると、どこかが引っかかる。

 続けるべきではないと、本能が告げる。

 ベイルは小さく息を吐いた。

 無意識に、足を動かす。

 フェリスが去っていった方へーー

 一歩。

 だが、そこで止まる。

 (……追う必要はない)

 理由は、いくらでもつけられる。

 訓練は終わった。
 あちらが断った。
 無理に続けるものではない。

 ーーそれでいい。

 それで、いいはずなのに。

 足が動かない。

 代わりに、胸の奥に引っかかりが残る。

 (もう一度)

 ふと、そんな思考が浮かぶ。

 ーーもう一度、確かめたい。

 何を、とは言わない。

 だが、あの瞬間。

 あの変化。
 
 あれが、何だったのか。

 (……次は)

 そこまで考えて、止まる。

 何をするつもりだ。

 何を、させるつもりだ。

 答えは出ない。

 ただ、言葉にできない何かだけが、残る。
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