騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 西離宮へと続く木立の道は、ひどく静かだった。

 踏みしめる砂利の音だけが、やけに耳につく。
 風が葉を揺らすたびに、光が細かく砕けて落ちる。
 その揺れに、視界がわずかに揺らぐ気がした。

 ——落ち着け。

 そう思うのに、呼吸が整わない。
 胸の奥が、まだざわついている。

 足を止めることもできず、フェリスはそのまま歩き続けた。
 振り返ることはしない。
 振り返れば、何かが崩れる気がした。

 離宮の扉をくぐると、空気が変わる。

 静けさは同じはずなのに、どこか閉じた、やわらかな温度。

 「——おかえりなさいませ」

 すぐに声がかかる。

 顔を上げると、リタがこちらへ歩み寄ってきていた。
 いつも通りの、少し勢いのある足取り。
 けれど——

 「……セレスティア様?」

 出迎えたリタの声が、ほんのわずかに揺れた。

 フェリスは答えようとして、言葉を失う。

 代わりに、小さく息を吐いた。

 「……ただいま」

 それだけを絞り出す。
 
 リタは一歩近づき、じっとフェリスを見つめた。

 視線が、頬へ、呼吸へ、指先へと移る。

 「……随分と、息が上がっていらっしゃいますね」

 「少し、動いたから」

 短く返す。

 それ以上は続けないつもりだったのに。

 「訓練、ですか?」

 「……ええ」

 嘘ではない。
 だが、それだけではないことを、自分でも分かっている。

 リタは、ふっとわずかに笑った。
 
 「珍しいですね。セレスティア様が、そこまで消耗されるなんて」

 繰り返す声音が、わずかに含みを帯びる。
 だが、それ以上は追及しない。

 「顔、赤いですよ」

 「……気のせいよ」

 「そうですか」

 あっさりと引く。

 それが、かえって落ち着かない。

 数秒の沈黙。

 リタはそれ以上踏み込まず、静かに一歩下がった。

 「お部屋、整っております。お休みになりますか?」

 「……そうする」

 それだけ答えて、フェリスは部屋へ入った。

 扉を閉めた瞬間、背を預ける。

 息が、整わない。
 
 ゆっくり吸って、吐いて。

 それでも、どこか引っかかる。

 視線を落とす。

 自分の手。

 わずかに震えている。

 「……」

 剣を握っていたはずの、その手が——

 ふと。
 思い出す。
 踏み込んでくる気配。
 逃がさないとでも言うような圧。
 正面から押し込まれる感覚。

 ——あれは。

 無意識に、息が浅くなる。

 「……違う」

 小さく、呟く。
 何が、とは言わない。
 言えない。

 ただ、否定だけが先に出る。

 あれは、剣ではない。
 受けても、間合いが開かない。
 逸らしても、離れられない。
 呼吸だけが、近づいてくる。

 ーー少なくとも、自分が知っている“それ”ではなかった。

 寝台に横たわる。

 考えたくないのに、浮かぶ。
 
 あの、圧。
 あの、距離。
 あの、視線。

 強引に迫ってくるような……。
 ーーベイル、そのものが。

 「……次は」

 ぽつりと、零れる。

 「……無理だ」

 はっきりと、自覚する。
 あれを、もう一度受けることは。

 ーーあの距離を、もう一度許すことは。

 ——できない。

 視線が揺れる。
 逃げるように、顔を上げる。
 何もない部屋。
 静かな空気。

 それでも、どこかで分かっている。
 完全に断ち切ったわけではないことを。

 「……もう、手合わせのお願いはしないと」

 そう言ったはずだ。
 言い切ったはずだ。

 なのに。
 胸の奥に残るものが、それを否定する。
 言葉と、感覚が噛み合わない。
 その違和感だけが、静かに残る。
 フェリスは、ゆっくりと目を閉じた。

 ——整わない。
 何一つ。
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