騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
第5章 婚約披露の庭園

第一話「婚約披露パーティー」

 婚約披露パーティー当日。

 当初は控えめな茶会として予定されていたが、フェリスが森での生活に慣れ親しんでいたこと、
 そしてエルランド家が精霊と縁の深い血筋であることも考慮され、
 最終的に、ベイルの屋敷の庭を開いたガーデンパーティーとして催されることとなった。
 

 西離宮の室内は、外のざわめきから切り離されたように静かだった。

 開け放たれた窓から、やわらかな光が差し込んでいる。

 白いカーテンが風に揺れ、かすかな衣擦れの音だけが耳に残る。

 フェリスは、姿見の前に立っていた。

 整えられた髪。
 淡い灰銀色の髪は丁寧に結い上げられ、後れ毛一つすら計算されている。
 耳元には小さな装飾が添えられ、動くたびにかすかに光を拾った。

 王都で流行の型だと聞いたそれは、上質な生地で仕立てられている。
 身体の線に沿うように緩やかに絞られ、裾に向かって静かに広がる。

 余計な装飾は少ない。
 だが、その分だけ、仕立ての良さと均整の取れた形が際立っていた。

 わずかに開いた首元。
 何もないその空間が、かえって目を引く。

 ——扉が叩かれた。

 「セレスティア様、ベイル様がお見えです」
 リタの声。

 一瞬、指先が止まる。

 「……通して」
 声は、かろうじて平静を保っていた。

 扉が開く。
 足音が、静かに近づく。

 鏡越しに、その姿が映る。

 ベイルだった。

 正装姿。
 深い色合いの礼装は無駄がなく、直線的な仕立てがそのまま彼の体格を際立たせている。
 肩から胸にかけての線は崩れず、動きに合わせても乱れない。

 装飾は最小限。
 家格を示す徽章(きしょう)と、控えめな刺繍のみ。

 それでもーー
 一目でわかる。

 この場の中心に立つ者の装いだった。

 
 鏡越しに一瞬、視線が合う。
 それだけで、胸の奥がわずかに揺れる。

 (……落ち着いて)

 理由は分からない。
 だが、落ち着かない。

 フェリスはゆっくりと振り返った。

 「お待たせしました」

 形式通りの言葉。
 ベイルは短く頷く。

 フェリスの首元へ、視線が落ちる。

 ほんのわずかな間。
 逸らされるまでが、ほんの少し長い。

 それだけで、意識されているとわかる。

 「……これを」

 低く、落ち着いた声。
 そう言って、小さな箱を差し出した。

 フェリスはそれを受け取る。

 軽い。
 けれど、妙に重く感じた。

 「今日の装いに似合うと思って選んでみた」
 
 「……ベイル様が?」

 一拍置いて、視線が戻る。

 「……今まで、君の負担になるかと思い、こうしたことは控えていたが」
 「……受け取って欲しい」

 一瞬、意味が、うまく飲み込めない。
 箱と、ベイルの顔とを、交互に見てーー

 蓋を開ける。

 細いチェーンのネックレスが、静かに光を返した。
 極細の鎖は、光を受けるたびに繊細に揺れ、その中心には、小さな意匠がひとつ。
 
 雫のようにも見えるが、よく見ればそれは単なる水滴ではない。

 先端に向かってわずかに尖り、根元には、ごく細かい筋が刻まれている。

 まるで、風に揺れる若葉の輪郭を、そのまま金属に写し取ったかのような形。

 中央には、淡く光る光を含んだ小さな石が一粒。
 透明に近いそれは、光の角度によってわずかに銀とも青ともつかない色を返す。

 主張はしない。
 だが、視線を外すときに、ふと引っかかる。

 気づけばもう一度見てしまうーー
 そんな、静かな存在感を持っていた。

 それは、華やかさを飾るためのものではなく、ただそこにあることで、
 身につける者を引き立てるための意匠だった。

 「……素敵」
 
 思わず、零れる。

 それを見て、ベイルの目元が、ほんのわずかに和らぐ。

 ーーそのあと。
 わずかな間。

 「俺が、付けてもいいだろうか?」

 フェリスの指先が止まる。
 言葉の意味が、遅れて届く。

 それから、ゆっくりと顔を上げた。
 視線が合う。

 ほんのわずかに、息が詰まる。

 「……お願いします」

 そう言うしかない。

 ここで拒む理由はない。
 拒める場でもない。

 分かっているのに。

 胸の奥が、落ち着かない。

 「失礼する」

 そう言って、ベイルは()めていた手袋に指をかけた。

 外すべきかーー
 ほんの一瞬、指先が止まる。

 だがすぐに、それを外す。
 整えた手袋を上着の内側へと収める。

 それから、一歩踏み込む。

 近いーーそう思った瞬間。
 ベイルは迷いなく背後へ回った。

 視界から姿が消える。

 その直後、気配だけがすぐ後ろに落ちる。

 伸ばされた手が、視界の外で動く。

 首の後ろに、触れる。

 冷たい金具。
 それを留める動き。

 だが——
 止まる。

 外すはずの指が、離れない。

 触れているだけの、沈黙。
 
 短いはずなのに、長く感じる。

 (……まだ?)

 理由はわからない。
 だが、離れる気配が来ない。

 見えないのに、分かる。
 向けられている気配。

 一点に。

 (……向いている)

 言葉にならないまま、理解だけが先に来る。

 「……ベイル様」

 静かな声。
 リタだった。

 「お時間でございます」

 その一言で——
 金具が留められた。

 名残を惜しむように、指が遅れて離れる。

 一気に、距離が戻る。

 「……ああ」

 ベイルが短く応じる。

 フェリスは、わずかに息を吐いた。
 抑えていたものが、遅れてほどける。

 首元に、軽い重み。
 触れられていた場所だけが、妙に残る。

 「……よく似合っている」

 不意の言葉。

 視線を上げる。

 わずかに熱を帯びたベイルの視線。

 フェリスの心臓が、大きく鳴る。

 「……ありがとうございます」

 それだけ返す。

 それ以上は、言えない。

 沈黙。

 「では、参りましょう」

 リタが、自然に言葉を差し込む。

 空気を整えるように。

 フェリスは小さく頷いた。

 その直後ーー

 「……行こう」

 低く落ちる声。

 差し出された腕。

 先ほどまでの近さとは違う、一定の距離を保った所作。

 一瞬だけ迷い、フェリスはその腕に手を添える。

 布越しの感触。

 直接ではないのに、先ほど触れられた首元の感覚が、ふと蘇る。

 並んで歩き出す。
 
 足並みは自然に揃う。
 無理に引かれることもない。

 それでも、確かに導かれている。
 
 その一歩ごとに、首元のネックレスが、わずかに揺れた。

 
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