騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 午後の光が、やわらかく庭を満たしていた。

 ベイルの屋敷の庭園は、王宮のそれとは違う落ち着きを持っている。
 整えられているが、どこか静かで、過度に飾り立てられていない。
 低く剪定された木々と、季節の花々。
 白いテーブルと、控えめな装飾。

 ーーそれでも今日ばかりは、十分すぎるほど華やかだった。

 人の気配が多い。

 貴族たちの視線。
 交わされる言葉。
 遠くで響く音楽。

 開宴からしばらく経ち、庭には穏やかなざわめきが広がっていた。

 その全てが、フェリスに向けられているわけではない。

 けれどーー

 (……見られている)

 そう感じるには、十分だった。

 ほんの少しだけ、息を整える。

 ーーここからは、“セレスティア”として立つ。

 その意識が、静かに背筋を伸ばした。

 その時。

 「……大丈夫か」

 低く落ちる声。

 隣に立つベイルは、視線を正面に向けたまま、わずかに声だけを落としていた。

 セレスティアは一瞬きょとんとしてから、答える。

 「……大丈夫です」

 ベイルはわずかに視線を落とし、彼女を一瞥(いちべつ)した。

 「無理はするな」

 「はい」

 迷いなく頷く。

 そのやりとりは短い。
 けれど、二人の間では十分だった。

 「ベイル様」

 柔らかな声が割り込む。

 振り返ると、数人の令嬢たちがこちらへ歩み寄って来ていた。
 優雅な所作、整えられた笑み。

 「本日はおめでとうございます」

 「ああ、ありがとう」
 
 ベイルの対応は穏やかで、崩れない。

 自然な流れで、視線がセレスティアへと移る。

 「……こちらが」

 一瞬の間。

 「ご婚約者様でいらっしゃいますのね」

 セレスティアは、まっすぐ相手を見る。

 「セレスティアと申します」

 簡潔に、素直に。
 
 余計な飾りはない。

 その態度に、令嬢の一人がわずかに目を細めた。

 「隣国ゼルドレインのご出身と伺っておりますわ」

 「はい」

 「何でも、社交界にはお出にならず、森でお過ごしだったと」

 「……はい」

 セレスティアは否定しない。

 「確かに、王都にはいなかったがーー」

 ベイルが、静かに口を開いた。

 一拍。
 わずかに視線を落とし、続ける。

 「その分、余計なものに染まらずに済んだ」
 「ーーだから彼女は、私の隣にいる」

 セレスティアが、思わず視線を向ける。

 隣ーー

 ベイルはいつもの通りの顔で、何も変わらない。

 まるで今の言葉が、特別なものではないかのように。

 空気が一瞬だけ止まる。

 ほんの一拍。

 それだけで、十分だった。

 令嬢たちの間に、目に見えない波が走る。

 最初に口を開いたのは、一人の令嬢だった。
 先ほど問いを投げた本人だ。

 「……まあ」

 微笑みは崩れていない。
 けれど、その奥にわずかな硬さが混じる。

 「随分と、お気に入りでいらっしゃるのですね」

 軽やかな言葉。
 だが、響きはわずかに乾いていた。

 「余計なものに染まらない、というのはーー」

 一拍。

 「時に、大変貴重ですもの」

 視線が、セレスティアへ向く。

 「ですが」

 わずかに、首を傾げる。

 「こちらでは、そうも参りませんわ」

 にこやかに続ける。

 「王都の社交は、少々複雑でございますから」

 「どのように、これからこの場に馴染まれていくのか、楽しみですわ」

 やわらかく、微笑む。

 別の令嬢が、くすりと小さく笑う。

 「羨ましいですわ。ベイル様にそこまで仰っていただけるなんて」

 声音は柔らかい。
 だが視線は、セレスティアを値踏みするように静かに動く。

 「どのような方なのか……興味が湧いてしまいます」

 さらにもう一人。

 それまで黙っていた令嬢が、ゆっくりと口を開いた。

 「……確かに」

 その視線はまっすぐだった。
 飾りも、探りもない。

 「……作られていないのですね」

 一瞬、セレスティアを見る。

 「それだけで、十分にお分かりになりますわ」

 空気が、わずかに変わる。

 最初の令嬢は、扇の奥で表情を隠しながら、

 「……ええ。本当に」

 とだけ答えた。

 その声音には、先ほどよりも慎重さが滲む。
 
 だが、完全に退いたわけではない。

 「今後、王都の社交にもお出になられるのでしょう?」

 問いは穏やかだが、逃げ場を測る響き。

 その隣で、別の令嬢が柔らかく言葉を重ねる。

 「ぜひ、お話を伺いたいですわ」
 「……森での暮らしなど、滅多に聞けるものではありませんもの」

 興味。
 探り。
 そして、わずかな警戒。

 それらが、綺麗に整えられた言葉の下に折り重なる。

 セレスティアは、その視線を受け止める。
 
 逃げもせず、構えもせず。
 
 ただ、まっすぐに。

 「……大したものではありませんが」

 静かに口を開く。

 声は揺れない。

 「お話できることがあれば」

 一拍。

 ほんのわずかに間を置いてからーー
 令嬢らしく、にこやかに微笑む。
 
 ベイルは、その彼女の振る舞いを見て、わずかに目を細めた。

 ーー余計な心配だったか。
 ……むしろ、あまり他に見せたくないほどに。

 セレスティアへの視線を断つように、ベイルがわずかに立ち位置をずらした。

 そのまま自然に口を開く。

 「ーーただ」

 「彼女は、話をするよりも聞く側に回る方が性に合っている」

 穏やかな声音。

 「王都のことは、まだ知らないことも多い」
 「教えてやってくれれば助かる」

 一瞬。

 その場の空気が、わずかに華やいだ。
 
 互いに視線を交わす令嬢たちの表情が、ほんの少しだけやわらぐ。
 
 「ええ、もちろんでございますわ」
 「喜んで、お力になれれば」

 控えめに返される声は、いずれも穏やかで上品なものだったがーー

 その奥にあるわずかな高揚は、隠しきれないようだった。
 
 最初の令嬢が、微笑みを深める。

 「では、わたくしたちが“お手本”をお見せしませんといけませんわね」

 柔らかいが、わずかに試す響き。

 「どこまで“お聞きになれる”のかーー楽しみですわ」

 その時。

 「でしたら」

 やわらかな声が、自然に重なる。
 
 その声音に、セレスティアの意識がわずかに引かれる。

 ーーどこかで、聞いたことがある。

 振り向く。

 輪の外縁に、ひとりの令嬢が立っていた。

 淡い色合いのドレス。
 そして、バラの花弁のような赤みを帯びた亜麻色の髪。

 
 その瞬間。

 ふと、セレスティアの記憶がかすめる。

 王宮の庭園。
 バラの香り。
 柔らかな風の中で、
 同じように静かに立っていた姿。

 (……あの時の)

 確信には至らない。
 だが、違和感のない一致。

 令嬢は、柔らかく微笑んだ。

 ロザリーだった。
 
 「最初は、わたくしがお相手いたしますわ」

 「“聞く側がお得意”とのことでしたら」

 一歩、近づく。

 「無理にお話しさせるより、その方がよろしいでしょう?」

 視線は柔らかい。
 だが、意図は明確。

 「セレスティア様、とおっしゃいましたわね」

 改めて名を呼ぶ。

 「本日は、おめでとうございます」

 一歩、距離を詰める。

 近すぎず、遠すぎない。

 「とてもーー」
 
 わずかに、言葉を選ぶ。

 「印象的でいらっしゃる」

 それだけ。

 褒めているようで、評価している。

 「王都にも、すぐ慣れられますわ」

 さらりと言う。

 「ね?」

 軽く周囲へ視線を流す。

 「ええ、もちろん……」

 「その通りですわ」

 令嬢たちが、応じる。

 ロザリーは、それ以上何も言わない。

 ただ、
 わずかに扇を閉じる。

 その視線が、ほんの一瞬だけ
 セレスティアに残る。

 (……あの方)

 記憶の端に、かすかに触れる。

 王宮の庭園。
 バラの花。
 そしてーーベイルの隣に立っていた、女性の姿。

 (……似ている)

 だが。

 名も、立場も、あの時とは違う。

 (……気のせい、かしら)

 そう結論づけるには、わずかに引っかかりが残る。

 ロザリーは視線を外し、微笑みを保ったまま言った。

 「失礼致しましたわ。わたくし、少しご挨拶を残しておりますの」

 自然な理由。
 誰にも違和感を与えない離脱。
 
 「また、後ほど……」

 一礼し、輪を離れる。

 だがーー

 歩みを進めながら、もう一度だけ、思い出す。

 (……確かめても、よろしいかしら)

 ロザリーが去ったあと。

 わずかに残された空気の揺らぎを、ベイルは静かに見ていた。

 令嬢たちの視線。探るような気配。まだ完全には引いていない関心。

 そのすべてを一度受け止めるように、わずかに目を細める。

 ーー十分だと判断する。
 
 「本日はありがとう」

 低く、落ち着いた声が場に落ちた。
 
 「彼女のことは、いずれ改めて」

 わずかに間を置いてから、

 「ーー今は、私が案内する」

 「行こう」
 
 その一言と同時に、ベイルはごく自然にセレスティアの手を取った。
 まるで最初から、そうすることが決まっていたかのように。

 指先が触れた瞬間、わずかに引き寄せられる。

 ほんのわずかな動き。
 だが、それだけで二人の距離が明確になる。

 周囲の視線から、静かに切り離すように。
 
 そのまま、歩き出す。

 振り返らない。

 セレスティアは導かれるまま、一歩踏み出す。

 (……助けられた)

 ふと、セレスティアの胸の奥で言葉になる。

 手袋越しに繋がれた手に、わずかに力がこもる。

 安心と、少しのくすぐったさが、胸の奥に残る。

 (……あたたかい)

 胸の奥に落ちる感覚は、言葉にするには曖昧で。

 それでも、不思議と不安はなかった。

 むしろーー

 (……この人の隣なら)

 まだ慣れないこの場所でも、歩いていける気がした。
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