ヴァンパイアハーフにまもられて
 私は晩ご飯を済ませてたので、小さいおにぎりを二個。
 月詠さんには、家であまってたお弁当箱に、ご飯と、今日のから揚げと、冷蔵庫にポテトサラダとプチトマトがあってのでそれを詰めた。
 うーん、とてもシンプルだけど、待たせてもいけないし、これで完成にしよう。

 私の部屋に戻ると、窓のすぐ外で、ルチルさんが月詠さんに報告に来てくれてた。
 月詠さんは窓の内側にいるので、窓を挟んで二人が話してるのは、なんだかシュールだなあ。

「まゆ殿はご無事です。僕がいながら、ふがいない」
「そんなことはねえよ。お前がいなければ、それこそおれ一人じゃどうしようもなかった。助かったぜ、ありがとうな」

「それはそうと、月詠様はともかく、凛殿はこれからお出かけなのですか?」

 ルチルさんが、私のお弁当箱を見ながら言ってきた。

「ああ。植物園まで、夜のピクニックだ。邪魔すんなよ」

 月詠さんはそう言って笑うと、私のほうに手を差し伸べた。

「行こうぜ」
「は、はいっ」

「ごゆっくり」

 月詠さんは、私がその手を取るが早いか、私をお姫様抱っこして、窓の外に飛び出る。

「ひゃっ!?」
「安心しろ。君一人くらい、落としたりしないよ。靴は持ってきたな?」

 私がうなずくと、月詠さんはさらに高く舞い上がった。
 月が、ほんの少し近づいたように見える。
 まわりの家も、木々も、鉄塔も、みんな私たちの下のほうで夜の闇の中に沈んでた。
 ……夜に飛ぶ鳥って、いつもこんな景色を見てるのかな。
 なんてことも思いつつも、私はそれどころじゃない。
勢いに任せて抱っこされちゃったけど、月詠さんの胸にぴったり頬をつけて、顔のすぐ真上にあの月詠さんのきれいな顔があると、なぜだか息をするのも恥ずかしい。

「ほんの数分で着くからな」
「は、はい……助かります」

「? そうか?」

 月詠さんが何度か羽を羽ばたかせると、ぐんぐんスピードが増した。
 そして本当にすぐに、ガラスのドームやビニールハウス、それにちょっとした林くらいの木が植えられた場所に着いちゃった。
 ……ちょっと名残惜しいけど。

「ここが……」
「ああ。ここがおれの食堂。吸血鬼の知り合いがここを使わせてくれているおかげで、おれは人間の血を吸わずに生きていける。どれ、特等席に座るとするか」

 植物園はまっくらで、職員の人たちはもう帰ってるみたいだった。
 そんな敷地を見下ろせる、ひときわ高い木のてっぺんに、月詠さんは着陸(?)する。

「ここ、木の先端に、ベンチみたいになるよう平たい木材をくくりつけてあるんだ。とはいえ凛を座らせるのは危ないから、このままな」

 こ、このままっ?
 お姫様抱っこのままですかっ?

 月詠さんは、自分の両足をイス代わりにして私を座らせると(これがまた恥ずかしかった)、右腕で私の背中を支えたまま、器用に左手だけでお弁当の包みを開けていく。
 いまさらながらに、もっと凝った中身にしておけばよかったな、と思っちゃう。
 でも、月詠さんは、

「あー! これ、鶏のから揚げってやつだな!? すごいな、これ凛が作ったんだろ? うちは、まだ揚げ物系はチャレンジしてないんだ。店で買ったんじゃないから揚げなんて、初めて食べるんじゃないか!?」

 と、なんだかとてもうれしそうな声をあげてくれた。
 よかったー……。そして、私のほうこそうれしい。

 月詠さんが、いただきますと言ってお箸を持つのが、ちょっと不思議な感じがした。

「なんだ、変か? この挨拶は、日本でかなり最初のころに習ったんだが」
「いえ、変じゃないです、全然。月詠さんも、私たちと同じようにご飯食べるんですもんね」

「そうだ。血も吸わずにな。ちなみに、手近にある植物からは、すでに少しずつ精気をもらってる。おまけに腹も満たせるなんて、ありがたいぜ」

 月詠さんがさっそくから揚げを食べて、「ああ、これはうまい。冷ましてもおいしく食べられるってのは、実にすごいな」と言ってくれたので、思わず顔がにやけちゃう。

 私も自分用のおにぎりを出したけど、晩ご飯は食べ終わってるし、月詠さんの膝の上に座ってるしで、味なんて全然分からなかった。
 月詠さんは、お弁当を食べ終わると、、「ごちそう様」と手を合わせた。吸血鬼が仏教徒みたいで、やっぱりちょっと不思議に見えちゃう。

「でも、月詠さんて、本当に血を飲まなくても大丈夫なんですか?」
「ああ。そういう変わり者も今までにはいたらしいんだが、詳しい記録は残ってないから、全く問題ないのかどうかはおれもまだ分からない。今のところはどうってことない」

「……こんなこと言うの、よくないかもしれないんですけど」
「なんだ? よくないことは割と好きだぞ」

「……私の血でよかったら、飲んでみたりしますか?」

 月詠さんが、目をぱちくりとさせた。

「そんなこと考えてたのか?」
「私、月詠さんになにかできることがないか、ずっと考えてて……実はお弁当も練習してたんです。でも吸血鬼の人にあげるなら、人間の食べ物より、血のほうがいいんじゃないかって……」

「ふうん。そりゃまた、気を遣ってくれたもんだな」

 月詠さんが軽くため息をつく。

「私は、月詠さんになら、血ぐらいあげます。本当に必要ないならいいんですけど、もし、我慢してるのなら……」
「いらない。君も含めて、人間の血は飲まない。偶然のけがによる流血でも、献血された血液でも、輸血パックでもなんでもだ」

 ぴしゃりと言われて、私は体が硬直しちゃった。
 月詠さんがこんなにきっぱりとした言い方をするのは、なにげに珍しい気がする。

「ご、ごめんなさい。私、勝手なこと言って」

 目を伏せたら、優しく頭をなでられた。
 それで顔を上げると、月詠さんは、微笑んで私を見てた。
 月明かりの中のその顔は、昼間に見るよりずっときれいだ。瞳に吸い込まれそうになる。

「おれが人間の血を飲まないのはな、凛。決して飲まないという事実が大事だからだ。たとえば君がいいと言ってくれて血をくれて、おれがそれを飲んだとするだろ? そうするとおれは、結局、『血を飲みたがってる吸血鬼』なわけだよ。前後の状況はともかく、それは確かだってことになる」
「それは……そうですね」

「おれは、人間にはできるだけ脅威を与えたくない。すると、『人の血を決して飲まない吸血鬼』と『条件さえ整えば飲んじゃう吸血鬼』では、だいぶ人間からの見え方が違うだろうと思うわけだ。だからおれは、可能な限り前者でいたい」

 どうしてそこまで、と思ったところで、前にルチルさんから聞いたことを思い出す。

「月詠さん……私、ルチルさんから、月詠さんの昔の話を聞いちゃってまして」
「ああ、ルチルから聞いてる。別に隠してることじゃないから、全然かまわないけどな。まったく、あいつめ」

「人間に、ひどい目にあわされたんですよね」
「まあな」

「でも、月詠さんのお父さんとお母さんが、人間を恨むなって。……だからですか?」
「それはあるよ。でも、すべてじゃない。確かにつらい目にもあったが、今日まで幼いおれを助けてくれたのも、人間だ。君の前にも、気の合う人間の友人は何人かいたんだぜ」

 月詠さんが、月を仰ぎ見る。

「人と吸血鬼でありながら、こうしてともにあってくれる凛も人間だろ。君たちが大切なんだよ、おれには」
「そんな、私なんて……思いつきで、浅はかなことを言って……すみま」

 月詠さんは再び私の顔を覗き込んで、唇に指先を当ててきた。

「謝ることじゃない。おれのことを考えてくれたんだろ。人間が持つそういう思いやりが、おれは大好きなんだよ。ありがとうな」

 私は、急に、月詠さんを思いっきり抱きしめたくなった。
 でも、さすがにできない。
 自分が今月詠さんに伝えたい気持ちも、なんて言葉にしていいか分からない。
 だから、これだけは伝えようと思った。

「月詠さん、私、小説書いてるじゃないですか」
「ん? そうだな?」

「小説って、大事なテーマを設定して、それについてお話を作るのがいいそうなんです」
「うん?」

 首をかしげる月詠さんに、私は、いつの間にか握りこぶしを作って語ってた。

「私、怪異のことを書きたいです。ただ怖いだけのお話とかじゃなくて、性質もありかたも違うから私たち人間とは別の生き方をしてるけど、でも同じ場所で……普段は見えなくても、隣りあわせみたいにして、一緒に生きてる。生きていける。そういう、お話を」
「……荒唐無稽だ、と言われやしないか、君が?」

 私は、なぜか、勢い込んで言う。

「いえっ! 妖怪とかお化けって、ジャンル自体は全然珍しくないので! ていうか吸血鬼とか人気の題材だと思いますし!」
「え、そうなのか。本なんて、ステラ絡み以外であんまりまじめにあさったことないからなあ。……一緒に生きていける、か。別々の存在でも、同じところで。隣同士で、か」

「人間でも、気の合うお隣さんもいれば、そうでない人もいますし。でも、悪気があったりひどいことをしなければ、違う考え方の人でも、思いやりあって暮らすことはできるかもじゃないですか」
「怪異も、そうなれると?」

「……そうだといいな、と思います」
「……ふふ。そうだな。そうだといいな。でもあんまりいきいきと小説を書いたら、今より怪異から目をつけられるかもしれんが」

 あ。
 そういえば、私が怪異に襲われるようになったのは、小説がきっかけだったんだっけ。

「それは……困りますけど、でも」
「大丈夫だよ。おれがいるから。一緒に、いつも」

 そう言われて、思わず息をのんだ。
 そこで、一度話が途切れた。
 おしゃべりがやむと、急に、柔らかな夜風の中の沈黙が、気恥ずかしくなってくる。
 月詠さんの腕や胸元の感触に、意識が行っちゃうのを止められなかった。
 そうだ、私今、月詠さんに抱きかかえられてるんだ……。

 耳が熱い。
 手のひらも、やたらと熱い。
 なにか言わなきゃ。どうしよう。話題、話題。なにか。

「凛」
「へ、はいっ!? なんでしょう!?」

「君、警護される見返りに、おれになにかしてくれようと思ってるんだよな?」
「それは、はい。私にできることなら」

「一つ、頼みたいことがある」

 月詠さんが、私に?
 私は、はい、と強くうなずいた。

「おれの、名前をつけてくれないか」

 ……。
 ん?
 名前?

 私の顔に、大きな疑問符が浮かんでたらしくて、月詠さんがぷっと吹き出した。

「え、どういうことですか? 月詠さんは、月詠さんじゃ」
「ああ。大鴉と違って、それは確かにおれの名前だよ。ただそれはファミリーネーム……いわゆる、苗字なんだ。おれの母親のな」

「そうなんですか。じゃ、下の名前は……」
「それが、覚えてない。さすがに小さすぎてな。おれの確かな名前は、短い間両親と過ごした家の表札にあった、『月詠』。それだけなんだ。それで今まで、特に不自由もなかった」

 はー。
 そうなんだ。それで、下の名前を……
 下の名前を。
 ……。
 私が!?

 私は、ぶんぶんと頭を横に振った。

「む、むりむりむりむり、無理ですよ! 私が月詠さんの名前なんて、決められるわけがないじゃないですか!?」
「そこをなんとか。ルチルはもともとカラスだからファーストネームだけでいいのかもしれないが、おれとしてはあいつは『月詠ルチル』だと思ってるからな。ステラは、『月詠ステラ』だ。そうなると、おれだけ名無しは寂しいじゃないか」

「で、でも! もっとこう、名づけ名人みたいな人に頼んだほうが」
「どこにいるんだ、そんな名人」と月詠さんが半目になる。

 い、いや、そんな大役を任せてもらえたのはうれしいよ。
 でも、私が月詠さんの名前をつけるなんて、そんなたいそれたこと。
 私が、そんな……

「あの」
「ん?」

「どうして、私なんですか?」
「……どうしてだろうな。君と出会ってから、まだそんなに経ってはいないけど。でも、君がいいと思ったんだ。理由は、今は分からないけど、これから分かる。……そんな気がする」

 うう。
 そうまで言ってもらえると、申し訳なさより、うれしさのほうがぐいぐいと大きく膨らんできちゃう。
 でも、でも。

「私は、ルチルさんに、カーくんと名づけようとしたやつですよ……?」
「そうだな。できれば、ヴァン太郎とか吸血ノ助とかじゃないとありがたいよ」

 も、もう。
 今度は、二人で顔を見合わせて、笑い出しちゃった。

「急なこと言って、悪かったな。今すぐってわけじゃないから、考えておいてくれよ」
「くっ……。ネットで、よさげな言葉を検索しまくります……」

「ははは、頼もしいな。さて、秋の夜風に長く吹かれていると、君によくないな。そろそろ、降りようか」

 はい。
 私は、ちょっと名残惜しい気持ちで、すぐ目の前にある月詠さんの顔をじっと見た。
 前髪で少し隠れた瞳が、雲の間からのぞく月みたいだ。
 私たちは今、空にいる。
 夜空。向こうに月がある。暗いのに、月明かりに照らされた月詠さんの顔が明るい。
明るい夜。光に包まれてるみたいな夜。って、それじゃ夜じゃないか。
 あ。

「……白夜」
「ん? びゃくや?」

 木の上のベンチから降りるために、私を抱えなおした月詠さんが、聞き返してくる。

「日が沈まない夜です。月詠さんといると、私、夜でもまるで、明るい中にいるみたいだから……」
「……それが、おれの名前?」

 ちょっとぼうっとしたまま、うなずきそうになって、私はあわてて両手を横に振った。

「あ、す、すみません! ちょっと思いつきで、口に出しちゃって! もっとちゃんと考えますから!」

 月詠さんが、にやりと笑う。

「いや、いいよ。気に入った。白夜ね。月詠白夜。いいじゃないか」
「え、えー! だって名前ですよ、もっと慎重に検討を……!」

「考えた考えた。アレだほら、ヴァンパイアの能力で、今の一瞬で人間でいう百万時間くらい考えた末の決定だ」
「き、聞いたことないうえに適当すぎます!」

 月詠さんが、ベンチの上に立ち上がった。
 私を抱えたまま、翼を出して、夜空に踊りだす。

「さ、姫君を家まで送ろう。この月詠白夜がな」

 とにかく、気に入ってくれたみたいだったのは、よかった。
 私がつけた、月詠さんの名前。
 改めて考えると、胸が激しく高鳴ってきた。
 火照った頬を風がかすめる。
 いや、私たちが、夜の空気を切り裂いて飛んでる。
 見下ろす家々は、さっきよりも少し明かりが減って、夜が深まってきてた。
 こんな光景が見られるなんて、思ったこともなかった。
 飛行機でも気球でもなく、こんな風に自分が空にいることも、怪異が見えるようになったことも、吸血鬼に名前をつけて、そばにいて守ってもらうことも。起こるはずのないことが次々に起きて、私は――

「凛。楽しいな。おれは今、すごく楽しいよ」
「はい。私もです。月詠さんといるの、すごく楽しい」

 このまま、ずっと家に着かなければいいのに。
 月詠さんの腕と胸のぬくもりの中で、そんな風に思った。


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