ヴァンパイアハーフにまもられて
「ステラは、レイスと呼ばれる、……そうだな、日本でいう幽霊みたいなものだ。もともとは生きた人間で、その霊魂が、生きていた時と同じ姿でここにある。おれと出会って、今年で五年くらいかな。去年ごろまでは、夜中にその辺を散歩したり、しゃべったり、笑ったり歌ったりしていた」

 しゃべったり、笑ったり……。
とても信じられない。
 だって、目の前のステラは、表情なんてほとんどなくて、まるでひとひらの雪みたいに、はかない感じがする。
 少し息苦しい。私が強く息を吹いたら、目の前の女の子が消えてしまいそうで、心配で胸がどきどきする。そのせいで、呼吸が浅くなっているんだ。

「そうは見えないだろ?」
「は……い……」

「もうすぐ、消えてしまうんだ、ステラは。いや、とっくに消えていてもおかしくなかった。がんばってこの世に残っていたが、もっても今夜一晩だろう」

 私は、ばっと月詠さんのほうを向いた。

「こ、今夜!? 今晩中に、消えちゃうんですか!?」
「だから、急がせて悪かった。怪異にも寿命はある。人間のそれとは少し違うがな。ステラの場合は、自然な形で、霊として力尽きるんだ。人間でいうところの、老衰に近いかな」

 そんな……。
 こんなに若い、っていうより幼い感じなのに、老衰……?

「おれとステラは、お互いに身寄りのない同士、本当に妹ができたみたいだったよ。どうやら生きていた時は読書家だったらしくて、おれが本を買ってきてやるとよく読んでた……んだが」
「だが?」

 月詠さんが、肩をすくめる。

「おれはあまり小説に詳しくない。だから、有名な文豪の作品なら間違いないだろうと思って、近代日本で有名な作家の本ばかり渡してたんだ」
「有名っていうと、たとえばどんな?」

 そうして月詠さんが口にした作家は、日本人なら誰もが知っているような、でも意外と作品はあんまり読んでいないような、大正時代の文豪の名前ばっかりだった。
 月詠さんが頭をかく。

「どうやら、ステラには難しかったみたいなんだ。生きてた時は、中一くらいだったし。それにステラ自身、生きていた時の記憶がなくて、どんな本が好きなのか具体的には分からなくて。今にして思えば、おれの本の選び方が偏ってたかなーと」
「それは……そうかもですね……」

 そこで、まゆが質問した。

「でも、そのことと、月詠さんが凛を守る理由と、どう関係するんですか?」

 あ。
 そういえば、確かに。
 私、文豪のみなさんとなんて、血縁関係もないし、特に知り合いもいないのに。
 ……。
 あ。
 ま、まさか。

「そのまさかだ」
「なにも言ってませんけど!?」

「昨夜、君の書いた小説をおれは読んだ。で、面白いなと思ったんで、ここでステラにも見せたんだ」

 う、うわああああ。
 それは、なんだか、とっても恥ずかしいような!?
 文豪作品をたしなんでた本好きの子に、私の小説を!?

「勝手なことをして申し訳ない。ステラは、ここ一年くらいで、急激に衰弱していったから、最近はほとんど本も読んでいなかったんだ。それでも、これで最後になるかもしれないと思って、凛の話を読ませてみたら」
「よ、読ませてみたら?」

 月詠さんが、とても愉快そうに笑顔を浮かべる。

「さいしょはやっぱり、しんどそうにしてた。でもだんだん、……あんなに頼りなげに透けてるくせに、やおらいきいきとして、かぶりつきで読みだしたよ。そのベッドで、生きてる人間みたいに、座ったり、寝そべったり、正座したり。あんな姿を見たのは、久しぶり……いや、初めてかもしれないな。生きているときは、あんなふうだったのかもしれない」

 私は、あらためて、ステラを見た。
 なにかを読んだり話したりするどころか、指一本動かすことのない、半透明のお人形のようにも見える。
 この子が、昨夜は、私の本を……そんなに……?

「真夜中に、読み終わったらぱっと顔を上げて、『お兄ちゃん、続きはないの?』ときたもんだ」

 ……。
 どうしよう。
 この子は、もうすぐ消えちゃうっていう時なのに。
 今、月詠さんはすごくやるせない思いでいるはずなのに。
 胸の奥が、甘酸っぱく、くすぐったい気持ちがこみ上げてきちゃう。

「それから十数分もしたら、この状態に戻った。でも、おれは嬉しかったよ、まともに会話したのなんて、半年ぶりくらいだ。それも、あんな笑顔で……」

 気がつくと、私の足は、前に歩いてた。

「凛?」と月詠さん。
 どんどん、半透明の女の子が、目の前に近づいてくる。
 本棚の、本のタイトルが目に入った。月詠さんの言ったとおり、有名な文学作品ばっかりだった。
 私なんて、この中の一冊だって、まともに読み通したことはないと思う。

 ベッドの、すぐ前まで来た。

「ステラ、ちゃん」

 女の子は、まったく反応しない。
 でも。

「私、来栖凛といいます。昨夜、ステラちゃんが読んだ小説は、私が書いたの。読んでくれて、ありがとう」

 聞こえているのかどうか。
 ううん、私の声が耳に届いてなくても、いい。
 それでも伝えたい。
 ……そう思っていたのだけど。

「……はい……?」

 とってもか細い、消え入りそうな声は、確かに彼女の口から聞こえてきた。

「え? い、今、ステラちゃんしゃべった?」
「ステラ?」って、月詠さんも驚いてる。

「……あのお話を……書いた……人? あなたが……?」

 私は、さらに一歩踏み出す。
 ひざがベッドに当たりそうになった。

「そ、そうだよ! 聞こえる!? ステラちゃん、私があの話の作者なの!」

 その瞬間、すごく色の薄いゼリーみたいだった彼女の体が、透明水彩の絵くらいの濃さに変わった。

「ほ……本当ですかっ!?」
「へっ!? は、はいっ! わ、私が書きましたっ!」

「あ、あなたが、あれを書いたお方……先生! 来栖先生とおっしゃるんですねっ!? こんなにお若くて、かわいらしいなんてっ!」

 か、かわいらしい!?
 そういうステラちゃんこそ、はっきり見えるようになると、アイドル並みにかわいい。
 見開いた目がくりっとして、表情も愛くるしくて、もう、ちゃんづけでしか呼べない。

「わ、私、ステラといいますっ! あんな作品を読んだのは、初めてですっ! 仮名づかいや言い回しが現代的で、すっごく読みやすくて!」
「あ、あー……それは……私が、普通に今の人間なので……普通かと」

 急に褒められて、思わず「普通」を連発しちゃった。

 後ろで、月詠さんがぼそりと、
「やっぱりおれの選書には問題があったんだな……」
 とつぶやくのが聞こえた。

「登場人物も、なんだかすごく身近に感じられて! 私がもし学校とかに通ってたら、こんなお友達と一緒に過ごしてみたいなって、そう思いました! 特に、夢をあきらめそうになった女の子を、男子三人がみんなで助けに来てくれるシーン! 最高です、あの『どんなに遠い夢も希望も、君のためならおれたちが――』」
「せ、セリフは唱えなくていいっ!」

 そこで、ステラちゃんは、はたと私の後ろを見た。
 私も振り返る。
 月詠さんが、穏やかな笑顔を浮かべてる。
 その横で、まゆが両手で顔の下半分を覆ってた。

 ステラちゃんは、月詠さんに向かって、
「お兄ちゃん! お兄ちゃんが、先生を連れてきてくれたの!? って、そちらのかたは!?」

 まゆのことらしい。
 月詠さんが、「来栖『先生』のお友達だ」と紹介する。
 まゆが、はじめまして、とお辞儀した。

「お、お友達までっ!? 無理言って、ご迷惑をおかけしたりしてないよねっ!?」
「ああ、まあ、多分。ちょっとしか」

 私はあわてて両手を横に振った。ちらっと見えたけど、まゆも同じリアクションをしてる。
「め、迷惑なんて、なんにもないよ! むしろ、私のほうが月詠さんには助けてもらってて!」
「そうなんですね、……さすがは月詠お兄ちゃん」

 ステラちゃんは、小さな腕組みをしてうなずく。
 そのしぐさで、この二人、本当に仲がいいんだなってことが分かる。

「月詠お兄ちゃんは、すごいんですよ。霧になったり、動物に化けたり、力もとっても強いし、なんでもできるんです」

 ……さらっと、すごいことを聞いた気がする。

「なんでもはできんぞ。……肝心なことに限って、無力だしな」
「もう……お兄ちゃん。私のことなんて、気にしなくていいのに」

 ステラちゃんが、困った顔をして笑った。
 そこで、改めて、ステラちゃんの寿命のことを意識する。
 こんな子が、もうあと少しで消えちゃうなんて……。

「あの、ところででですね、来栖先生」

 ステラちゃんがもじもじと言ってきた。
 わざわざ言い直させるのもなんだからいいんだけど、せ、先生はやっぱりちょっとなー。

「言いにくいのですけど、その、御作の続きなんて、あったり……するんでしょうか。私、あの続きが気になって気になって……」

 胸がずきんと痛んだ。
 あの小説は、昨日やっと形になって、あそこまでで一区切りをつけたんだった。
 もちろん、続きなんてない。というか、この後の展開をどうするのか、ちゃんと考えてもない。
 これは……ちゃんと言わないと。

「……実はね、ステラちゃん。あの話は、まだ、完結してなくって」
「そうなんですね……」

「それどころか、あの後、登場人物たちがどうなるかも、ちゃんとは決めてないの。大枠では考えてるんだけど、細かいストーリーは全然まだで。だから、あらすじも教えてあげられないんだ……」

 こんなに、ふがいない気持ちになったのは初めてだ。
 どうして、もっと一生懸命書いておかなかったんだろう。
 どうして、もっと早く書かなかったんだろう。
 こんなに素敵な読者さんと出会えるなんて、もっと先に知っていれば……

「……本当ですか、来栖先生」
「うん。本当だよ……。お話はほとんど未定。ごめ……」

 そうして、目を伏せかけた時。

「すごいっ!」
「……え?」

 いつの間にかうつむいていた顔を、ステラちゃんの声に驚いてぱっと上げる。
 そこには、輝くようなステラちゃんの笑顔があった。

「ステラ……ちゃん? その、ひまわりのような笑顔は、なに?」
「だって、まだ物語は終わってないんでしょう!? それどころか、どうなるのかも決まっていないんでしょう!? 最後に読むことができたのが、終わりのない、無限の可能性を持った物語だなんて、素敵!」

 ……。
 ……そ、そうとも言える、のかな……?

「彼らの冒険は、果てしなく続いているんですね……! いつまでも、どこまでも……私がいなくなっても、どこかで、ずっと……」

 ステラちゃんは、両手のひらを胸の前で合わせて、お祈りをするように上を見上げた。
 昔、観光地の古い教会で見た、マリア像みたいだった。

「先生……一つだけ聞いてもいいですか?」
「うん。なんでも」

「細かいストーリーはできていないということなのですが」
「うん」

「こんなの、本当はいけないと思うんですけど……どうしても知りたいんです。あの小説は、最後は、ハッピーエンドなんでしょうか。なんだか、悲しい終わり方にもなりそうかなって思ったんですけど……」
「……それは」

「ごめんなさいっ。こんなこと聞くのは、読者としてはいけないって分かってるんです。これは、知りたいっていうか、私の願いみたいなものなんです。祈りなんです。ハッピーエンドだけが正しいなんて思いません。でも、できることなら、あのみんなが……」
「ハッピーエンドだよ」

 私は、笑顔で答える。

「……えっ」
「みんな、幸せになるよ。どんなにつらいことがあっても、最後は全員で、幸せになって終わるよ」

 ステラちゃんは、私と、月詠さんと、まゆを、ゆっくりと見渡した。

「本当ですか。」
「うん。それだけは本当。最初に決めてあったから」

「よかった。それなら――」

 そして、ステラちゃんは、とても穏やかに微笑んだ。

「――それなら、私と同じです」
「……ステラちゃん」

「先生、私、決めました」

 ステラちゃんは、いつの間にか、両手をこぶしにしてガッツポーズを作ってた。

「先生。日本の仏教に、輪廻転生ってありますよね。人はまた生まれ変わるってやつ。あれ、私の国の宗教でも、宗派によっては同じような思想があるんです」
「……うん?」

 あ。ということは。
 私は、カンがいいほうじゃないけど。
この時は、ステラちゃんがなにを言うのか、分かった。

「私、生まれ変わります! この国で――いいえ、この国じゃなかったとしても、絶対にまたすぐにこの世に生まれてきて、先生の作品を読みます! 絶対ですよ、約束します!」

「そんな都合のいい輪廻転生があるのか……?」
 そう言いながら、月詠さんがステラちゃんのそばに来た。

「いい思い出、できたか?」
「うんっ。先生の小説を読めた昨夜も、先生に会えたたった今も、最高だよ! 私、なんで幽霊になんてなったんだろうって、ずっと思ってた。寒くて寂しくて、つらいだけで、人間として死んだときに、なんで魂も消滅しちゃわなかったんだろうって」

「ステラ――」
「お兄ちゃんに、会うまでは」
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