ヴァンパイアハーフにまもられて
 次の日。
 普通に家を出て、普通にまゆと合流し、普通に校門をくぐった。……んだけど。

「あのさ、凛。さっきから気になってたんだけど、その、肩にとまった、ステラちゃんの繭」
「……うん」

 教室に続く廊下で、まゆがひそひそと耳打ちしてくる。
 まゆと、ステラちゃんの白い繭。どっちもまゆで紛らわしいかも、と思いながら昨日は家に帰ってすぐに寝ちゃったんだけど。
 その心配は、もうしなくていいみたいだった。
 その白い塊が、おうとつのない球体だったのは、昨日までで。今日見てみると、なんと、羽みたいなパーツと、つぶらな黒い瞳、それにちょこんとしたくちばし状のとがりが現れてたのだった。
 もう、繭には見えない。その見た目は、完全に――

「鳥になってるじゃない……」
「うん……シマエナガ、だっけ。あの鳥にそっくり……。これからどんどん形が変わったりするのかなあ……」

 このステラちゃん(仮)は普通の人には見えないみたいで、ためしに投稿してる間特に隠さずにふわふわ浮かせてたんだけど、今のところ見とがめられたのは、まゆだけだった。

「本当に凛になついてるんだね。わ、ほおずりしてる。本物の鳥みたい」
「そうなの……正直、朝から、愛くるしくて仕方なくて」

 自慢じゃないけど、猫や犬を撫でようとして逃げられたことはあっても、こんなにかわいい生き物になつかれたことなんてない。
 ……なんだか、動物(?)に好かれると、自分がすごくいい人みたいに思えてくるなあ……

「それはそうと。凛、この学校……っていうか、隣のクラスに、いるんだよね? 夢魔っていう……」

 私は、まじめな顔でうなずく。

「そう。それに、ほかにもいくつも、妖怪みたいなのがいるらしいっていうし……。月詠さんは、とりあえず普通の生活をしてればいいって言ってくれたけど」
「すごいよねー」

「え、なにが?」
「だって、吸血鬼がボディガードなんて人、そういないでしょ」

 ……確かに、あんまり聞いたことはない。
 吸血鬼に身を守ってもらうなんて体験を、私がすることになるなんて……

 そう思いながら、階段を上がって、二階の教室に着いた時。
 とんでもないものが、目の前に立ってた。

「凛?」

 まゆが不思議そうな顔をしてから、はっと気づく。

「凛、なにかいる……のね? そこに? 目の前に?」

 私は小さく、首を縦に振った。
 まゆには、見えるものと見えないものがあるんだ。
 そして私には、ほとんどが見えちゃう。
 人外、って呼ばれる存在が。

 そこにいたのは、先生たちよりも頭二つか三つ分高い、鳥みたいな顔をした、山伏みたいな大男だった。
 左手には六角形の杖を持ってる。右手には、羽でできたうちわ。
 知ってる。これ、知ってる。
 そんな。こんな朝から現れるものなの?

「天……狗」
「いかにも。見えているのだな。あやかしを引きつける人間の女というのは、近頃はとんと減ったが。こうしてみると、やはり――」

 天狗は、くちばしになってる口元から、舌をべろりと出した。

「――うまそうだのう。ただ殺すのではもったいない。どれ、横の女ともども」

 私は、まゆの手をつかんで、後ろに駆け出そうとする。
 その時、ステラちゃんが私の方から飛び立って、天狗に向かっていった。

「ステラちゃん!?」
「ちい、なんだこの鳥妖は!? どけい!」

 天狗が、杖でステラちゃんを打ち据えようとして振りかぶる。
 でもその動きは、杖を振り下ろそうとした瞬間に、なぜか止まった。

「なに……?」

 見ると、天狗の体の周りに、白いもやがみえる。
 廊下の途中にぽつぽつといる、ほかの生徒たちにも、この霧みたいなものは見えるみたいで、少し驚いた顔をしてた。……学校の廊下に、霧?
 もしかして――

「天狗様ともあろうお方が、ずいぶん無粋な真似をなさる。ひとまず、そのまま動かないでいただこう」と、どこからともなく、声が日々いいた。知ってる。聞き覚えがある、その声。
「……西洋の血吸い鬼ふぜいが」

 血吸い鬼……やっぱり、月詠さん!

「そんな鬼ふぜいの霧にとらわれて、手も足も出なくなっているご自身を、かえりみられてはいかがか。おれはもう天狗殿を、どうにでもできますがね」
「調子に乗るなよ。こわっぱ!」

 天狗が叫んで、まるで体を縛られてたロープを引きちぎるような動きで、霧を弾き飛ばした。
 それから右手のうちわを仰ぐと、廊下に強烈な風が吹く。
 ……え、これ、月詠さん大丈夫!?

「月詠さ……!」
「どっちが調子に乗ってんだ、この鳥頭!」

 霧は、風邪を無視して、天井近くの一点に、渦を巻いて集まる。
 それがまばたきする間に、黒い服を着た人間の姿になった。
 や、やっぱり!

「くらえっ!」と、天狗が、先のとがった杖で月詠さんを突く。
 でもその先端は、月詠さんの胸に突き立ったかと思うと、手応えなく突き抜けちゃった。
 一瞬、月詠さんが刺されたのかと思ってぞっとしたけど、あまりにも手ごたえがなさそうで、杖はほとんど抵抗なくすり抜けたのが私にも分かった。

「な……!? そうか、貴様、幻覚か! だから刺してもきかんのだな! だがそうと分かれば、もはや恐れるに足ら……」
「残念、外れだ」

 どごんっ! ……

 月詠さんが上から振り落としたかかとが、天狗の脳天に打ち落とされた。

「幻覚じゃないんだな。ただ、おれの能力が、お前を圧倒的に上回ってるだけだ。部分的に体を霧にするくらい、わけないんだよ」

 天狗の体が、ずる、とその場に崩れ落ちる。
 その背中を、月詠さんはむんずとつかんで――

「飛んでいけえっ!」

 ――廊下の、開いてた窓にぶん投げた。

「ひえっ……」
 と私が声を漏らすころには、月詠さんはうやうやしく私たちに頭を下げて、

「お騒がせしたな。ステラも、よくがんばった」
 と言ってウインクした。

 ステラちゃんが、私の肩でぴょこぴょこジャンプして、羽を折り曲げて腰に手を当ててるようなポーズになる。
 ……き、器用だなあ。

 月詠さんの姿は、今日もまゆには普通に見えるみたいで、まゆは両手のひらを顔の前で合わせながら
「つ、強いんですね!」

「ああ、ま、今のは天狗の中でも下位のやつだな。図体は大きかったが。まったく、おれの凛に手なんぞ出そうとしやがって、許せんな」

 まゆが、きょときょとと、私と月詠さんを見比べて、
「おれの、凛……? 昨日の今日で、そんな感じに……?」

 私はあわててまゆの前に出た。
「お、恩人! 私のことを、恩人だと思ってくださってるってことですよね!? おれの恩人の凛、の略ですよねー!!」

 って、これ、自分で自分を恩人って言うの恥ずかしいな!

「お、見ろよ、二人とも」

 月詠さんが指さしたほうを見ると、窓の外で、空中を魚がふよふよ泳いでる。
 イワナとかヤマメみたいな、川魚に見えた。……詳しくはないけど、たぶん。
 魚たちは十何匹かが群れで一列になって、空のほうへと昇っていくみたいだった。

「空魚だ」
「くうぎょ」と私。

「空の魚、と書く。今日は午後から雨降るかもな」
「え、あれ、怪異ですか!?」

 首を前に突き出して空魚に顔を近づける私に、月詠さんが
「ああ。っていうか、怪異じゃなければいないだろ。空中を泳ぐ魚なんぞ」
「そ、それはそうですけど。え、怪異って、ほんとにこんなにそこら中に起きるんですか!?」

 まゆを見ると、空魚は見えてないみたいで、首をひょいひょいと横に振ってた。

「場合によってはな。そら、見ろよ。おでました」

 月詠さんが、親指で廊下の奥を指した。
 なにがですか、と聞こうとして、体が固まる。
 ……分かる。今の私には、分かる。そこにいるのは、今の天狗なんかより、ずっと……

「……まゆ。教室入ってて……」

 まゆが、なにか言おうとしたけど、うなずいて私たちの教室に入った。
 廊下には人がいる。さっきから、もっと増えてる。でも、「その人」の周りにいる人は、今日は残暑のせいで朝からそこそこ暑いのに、寒気で肩をすくめてた。

 廊下の奥から、淡々と歩いてくる。
 何の変哲もない、男子の制服。黒い、前髪は鼻のあたりまで伸びてる、つやのない長髪。
 はためには、おとなしそうなただの生徒にしか見えないと思う。
 でも、私には、その人を包む、とげとげしい黒い影が見えた。

「凛。それが霊気だ。感じて取れると、身の安全を守ることにつながる」
「は、はい、月詠さん。もしかして……あの人が……」

「ああ。夢魔だ」
「あの人が、私とまゆを……トラックで」

 長髪の男子は、隣にクラスに入っていった。
 私やまゆは2-A。あの男子は、2-Bだ。

「じゃ、いくか」
「……いく?」

「君、あんまり暴力沙汰が好きじゃなさそうだからな。目の前でどんぱちやるのはまずいだろうし、さっきの天狗みたいにふんづかまえて、リオデジャネイロあたりまでぶん投げてやろう」
「ロケットじゃないんですから……っていうか、今ここで、なんていうか、戦うつもりなんですか!?」

「危険だからな。一刻も早く、やつを君のそばから排除したい」
「騒ぎになるんじゃ!?」

「なるかもな。どうやら、やつは完全に、普通の生徒として人間の生活に溶け込んでいるらしい。だからこそ危険だ。多少騒動になっても、放っておくよりはいい。例のトラックドライバーはなんとかできたが、次は誰が大けがさせられるか分からないんだからな」
「で、でも……」

 私が渋ってると、月詠さんは、ふいと背中を丸めて私の顔を覗き込んできた。
 整った顔が、すぐ近くに接近してくる。

「ひゃっ!? な、なんでしょう!?」
「凛。穏やかさを貴ぶ、君の気持ちは分かるつもりだ。いいことだと思う。だが、緊急時には、いくらか強引にでも、すぐにかたをつけるべき場合もあるんだ。今がそうだ」

「それは、分かりますけど……」

 私だって、もしまた交通事故でも起こされて、まゆが傷つけられたら耐えられない。
 私が怪異を見えるようになったのが、怪異から狙われる原因なら。
 まゆは、完全に巻き込まれたってことだもん。

「いいか。おれが凛を守るのは、ステラの恩だけじゃない。……君はいいやつだ」
「へっ?」

「君がステラと出会っていなくたって、あの小説をもし書いていなくたって、それは変わらない。おれは吸血鬼としてはそう長く生きているわけじゃないけどな、人外の怪異に触れることで傷つくのは――傷つけられるのは、なぜか、いつも君のような人間だってことは知っている。おれは君には、理不尽に傷ついてほしくない」

 まっすぐに瞳を見つめられながらそんなことを言われて、私は、その言葉を何度も頭の中で鳴り響かせた。
 そんなこと、言われたことない。
自分がそんなに大した人間だとは思わない。けど、こんなに私を認めてくれる人に会ったのは、初めてだ。
 私って結構いいやつなのかな、と思える。
 ……これが、自己肯定感ってもの、なのかな?

「そんなの……そんなの、月詠さんのほうが、いい人です」
「おれが?」

「はい。吸血鬼なのに……人間よりずっと強いのに、私のことを気にかけてくれたり、あんなにステラちゃんに優しくしてあげたり。私、月詠さんみたいな吸血鬼に会えて、すごくうれしいです」

 月詠さんは、背筋を伸ばした。
 微笑んで、私に小声で言う。

「離れていろ」
「……はい」

「まずは、おれの姿を、人に見えるようにするか」

 月詠さんがふうっと、息を吐くと、心なしか、その輪郭がさらにはっきりしたように見えた。
 そうしたら、周りの生徒たちが、
「え、あの黒い服の人誰? かっこよくない?」「いつからあそこにいたっけ?」「高校生かな? うちになんの用だろ。ていうか、かっこいい」
 って騒ぎ始めた。

「これで、無視もできまい。徹底的に見えない振りでもされたら、話が進まないからな。さて」

 そうして、月詠さんは、夢魔が入っていった2-Bのドアを開けた。
 すたすたと教室に入ると、すぐに夢魔の姿を見つけたらしく、さらに遠慮なく進んでいく。
 私が立っているところからは、姿が見えなくなっちゃった。
 でも、声だけは聞こえてくる。

「表に出な」

いつもよりちょっと低めの月詠さんの声に、ちょっととげのある、女子の声が続いた。

「あの、あなた誰ですか? それうちの制服じゃないですよね? 夢野になにか用ですか?」

 夢野、っていうんだ。夢魔の人。……人じゃないんだろうけど。

「君は、誰だ? そこの夢野とやらの知り合いか? これは、君たちのためでもあるんだがな」と、これは月詠さんの声。
「私は、この、2-Bの学級委員です。……わけの分からないことを言ってると、先生を呼びますよ」

「構わないぜ。誰が来ようが関係ない。その夢野次第だ、ことが穏便に済むかどうかはな。そうだろ?」

 それっきり、教室の中が静まり返っちゃった。
 どうなってるんだろう……と気になって、ついつい、ドアのほうに近づいていく。
 離れてろって言われたけど、これくらいは、離れてるほうだよね……? 多分。

 そして、片目でドアの隙間から中を覗き込んだ時。
 ガラッ、とドアが引き開けられた。

「わっ!?」
「おう」

 中から出てきたのは、月詠さんだった。

「月詠さん。もう、用事済んだんですか? ……の、夢魔の人は……?」
「そんなもの、どうにでもなるさ。……ところで、少し、時間いいか?」

「え、はい。今ですか? もうすぐ授業始まりますけど」
「すぐ済む。そうだな、そこの奥の空き教室がいい」
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