ヴァンパイアハーフにまもられて
「……どんな、感じでしょうか?」

 昼休み、私は屋上に上がった。
 お昼は大急ぎで済ませて、危ないかもしれないのでまゆには黙って、そっと一人で。

「ああ。とりあえず、なんともなってない」

 月詠さんが、親指でくいっと、横倒しに転がされてる夢魔を示した。
 夢魔は、ばさばさした黒い髪を顔にかけて、ぐったりしてる。

「魔力を込めた縄で、両手足を縛ってあるから、こいつはなにもできないし。おれも、今さらこいつを殴る蹴るしたって意味もないしな。というわけで、午前中はただぼーっと過ごしてた」
「……そ、そうですか」

「なんだ、ほっとしてるふうだな」
「え、だ、だって、月詠さんたまにこう、バイオレンスな感じになるじゃないですか」

「ピースフルに解決する問題なら、おれだってそうするぜ。ただ今回は、結果的に無傷で済んだとはいえ、君を直接手にかけたわけだからな。おれの大切でかけがえのない凛が、けがでもしていたらこんなものじゃ済んでない」
「へっ!?」

 ……なんだか私、月詠さんといると、間抜けな感じでびっくりしてばっかりな気がする……。

「も、持ち上げすぎでは」
「そうか? 前に君に言いとがめられた、『おれの凛』をもう少し説明づけたらこうなったんだが」

 も、もう少し穏やかな言い回しにしてほしいな。
 なんて思いつつ、ちょっと顔が熱くなっちゃうのを、両手で隠す。

「さてと。夢魔よ。もう分かっただろう、おれがいる限り、彼女には手を出させない。おとなしくこの街から去るならよし。そうでないなら、もう少し乱暴な目にあうことになるが。どうする?」

 そこで、夢魔が口を開いた。
 ……私は、この人の声を聞くのは、これが初めてなんだと気づいた。
 だって、一度聞いたら忘れるわけがないくらい、低くて、地面の下から響いてくるような声だったから。

「誰が、出ていくか……その女を我がものにするまで、わしはあきらめたりせん……」

「わ、わし……?」
「ああ。こいつ、見た目よりもだいぶ長生きしてるのかもな。怪異だと珍しくないぞ」

「え。あの。前に、月詠さん、吸血鬼にしてはそんなに長生きしてないみたいなこと言ってた気がしますけど……」
「ああ、言ったかな。事実だからな」

 ごく、と私ののどが鳴った。
 そういえば、ちゃんと聞いたことは、なかったけど。

「実年齢って……おいくつなんですか」
「おれか? 十七歳だ。吸血鬼としては、ヴァンパイア・ハーフとしても、ひよっこもいいところだな」

 十七……。
 謎の安心感がこみあげてきて、ふうと息をついてしまう。

「百歳とかだったら、どうしようかと思いました……」
「特にどうもせんでいいだろ。ヴァンパイア・ハーフの年の取り方や寿命はまちまちなんだが、おれの場合、今のところは普通の人間の同じような成長をしてるな。いや、そんなことは今はいい」

 じろ、と月詠さんが夢魔を見下ろす。

「自分の身を危険にさらしてでも、凛を狙い続けるつもりか?」
「当たり前だ。そんな上質な魂、見て見ぬ振りができるか。なんとしてでも食らう。人間の暮らしに溶け込んで、細々と暮らすのももう終わりだ。そいつを食いさえすれば」

 ……どうしても気になっちゃって、私は、また口をはさんだ。

「あの……食らうっていうのは、文字通りの意味で……? 私を、食べるっていうことですか……?」
「……なんだ。その小娘、なにも知らんのか。道理で、能天気に隙だらけで過ごせておるものよ。食らうのは、魂だ」

 黙れ、と月詠さんが夢魔に言って、私のほうへ向き直った。

「あんまり愉快な話じゃないから、言わなかったが。君の魂を怪異が得る方法は、大きく分けて二つある。物理的な方法と、非物理的な方法だ」
「……具体的には」

「物理的な方法はな。君の心臓を食らうことだ。本当に、文字通り、むしゃむしゃと食って飲み込む」
「ばっ……バイオレンス……!」

 思ってたより直接的な方法だったので、思わず後ずさりしちゃう。

「で、非物理的なほうはだな」という月詠さんの声に、夢魔が割り込んできた。

「それはな小娘、貴様の心を奪うことよ! 身も心もゆだねきって、魂の防御を放棄した状態なら、その魂は食い放題だ! わしにならそれができた! 心の臓をえぐりだすような無粋な真似をせんでも、その心を、我が夢で虜にすることはできたはずだったのだ!」

 さっき、いとも簡単に夢の中に落とされちゃったのを思い出す。
 二度目はともかく、一度目は本当に危なかったんだ。私一人だったら。月詠さんもステラちゃんもいなければ。今頃は……

 寒気がして、肩が震えた。
月詠さんが隣にきて、優しく両手で、両肩を横から支えてくれた。
さっきの夢の中とは違う、本物は、力強くて、でも込められた力は優しくて、温かくて。
冷えた背筋が、ちょっとずつ元に戻っていく。

「させねえよ、そんなことは。おれがいるからな。ただ、今の話は本当だ。怪異に心からの信頼を寄せたり、恋情を抱いたりしないようには、気をつけるんだな」
「……今のところは、大丈夫……だと、思いますけど……。ちなみに、心を奪われるとどうなるんですか……?」

「魂を怪異に食われることになるから、いわゆる廃人になる。治ることはない。食べられちゃったわけだからな。コーヒーを飲んだらカップに戻らないのと同じだ」
「……き、気をつけます……! そ、それと……」

 うん? と月詠さんが首をかしげる。

「私が、目立つから狙われるのは分かったんですけど。私の魂を食べると、怪異の人? たちは、どうなるんです、……か?」

 質問の最後、ちょっとつっかえたのは、夢魔があんぐりと口を開けて私を見てたからだった。

「な、なにか?」
「小娘……貴様、本当になにも知らんのか? なぜわしらが、好き好んで、貴様のようなちんくしゃを狙うのか」

 ちんくしゃ。
 ……知らない言葉だけど、どう考えても、誉め言葉じゃないんだろうな……?

 月詠さんが、私の肩を話した手で、頭をかきながら答えてくれる。

「簡単に言うと、強くなれる。輝きが強くて、良質な魂を食らうと、その怪異は大きく強化される」
「……強くなると、なんなんですか?」

 私の頭の中には、ボクシングみたいな格闘技の大会が開かれるイメージが浮かんだ。
 ……怪異最強決定戦で優勝できる、とか?
 いやいや、そんなわけないない。

「……凛には、あまり気を使ってほしくないから、言わなかったんだが」
「はい?」

「怪異というのは、基本的に孤独なんだ。人間やほかの生き物みたいに繁殖できるわけじゃない。増えようと思って、増えられるものじゃないんだ。たとえば吸血鬼のように、人間との間に子供を作れる怪異はいる。だが、そうして生まれた子供は吸血鬼ではない」
「……そう、なんですか」

「親子関係にある怪異もいるが、その絆は人間ほど濃密じゃない。社会性に乏しいやつがほとんどだからな。だから怪異というのは、一部の例外を除いて、種族や群れではなくて、単体――そいつ個人が強力な存在になることを望んでいる」

 それは、つまり……
 私は、つぶやくように言った。

「自分が弱ければ、周りの誰も守ってくれないし、生き残れないから……?」
「その通りだ。なんだかんだで、怪異というのは基本的に人間様には勝てないのさ。人間の強さは群れの強さだ。どんな凶暴な生物も、人類が徒党を組めば、犠牲は払っても最後は倒せるだろ? そんな時、動物なら子孫を残せば種は継続できるが、怪異は、自分がやられてしまえばそれまで。消滅して終わりだ。それは、どんなに強力な怪異でも、恐怖なんだよ」

 ……そうなんだ……。
 月詠さんが、私を守るために、大鴉さんを私のそばに待機させてまで、身近にいてくれる理由が分かった。
 そうでもしないと、守り切れないんだ。強さを求めて、私の魂を狙ってくる、人間の街に潜んでる怪異から。

「私……ちょっと、自分の立場が分かったような気がします……」
「今になってか……?」と、夢魔が半目になってつっこんでくる。うう、確かに……。

 その時、ばさっばさっ、と鳥の羽音がした。
 この音は。

「まったく、なにをされているのです。もう昼休みが終わりますぞ」

 大鴉さんだ。
 屋上に着地すると、くるっと、身をひるがえす。するとたちまち、男子の姿に早変わりした。

「月詠様、このような者、叩き潰して消滅させてしまえばよろしいではありませんか」
「んー。まあ、そうなんだけどな」

 月詠さんが、きまり悪そうに視線を逸らす。
 すると、大鴉さんがふいっと私のほうを見た。

「……ははあ。凛殿のためですか」

 えっ。わ、私?

「おい、大鴉」
「月詠様の力ならば、この程度の怪異を消滅させるのはたやすい。しかしそうすると、凛殿が気に病むことを恐れておいでなわけですな。『私のせいで殺させちゃったー。くすん』みたいなことになるのを、避けたいと」

「い、今の最後のほうの……もしかして私の真似ですか?」

 一応聞いてみるけど、大鴉さんはすぐに月詠さんに視線を戻しちゃった。
 それはそれとして。

「……月詠さん、そうなんですか?」
「ま、な。寝覚めが悪いだろ、君の。ただそうなると、こいつをどうすべきかって話になる」

 その時、予冷が鳴った。

「凛、教室に戻れ。続きは放課後だ。大鴉、お前も教室の外へ」
「はっ」

 後ろ髪惹かれる思いで、私は屋上の出入り口に向かう。
 ……その途中で、立ち止まり、振り向いた。
 だって、後ろ髪惹かれてるんだもの。仕方ない。

「月詠さんっ」
「ん? どうした?」

「この、夢魔……夢野さんて、そんなに悪い人なんでしょうか?」

 カラスの姿に戻ろうとしてた大鴉さんや、当の夢野さんも含めて、三人がぽかんとした顔で私を見る。

「人に夢を見せたり、ぼうっとさせたりする力があるんですよね? もちろんそれを悪用して、交通事故とか、よくないことを起こしてたのは、いけないと思います。でも、だからって消滅させるなんて……」

 大鴉さんが、肩をすくめた。

「まあ、そうなりますよね。手足縛られて転がされて、自分の身を守るために消されそうになっている化け物なんか見れば、多くの人間はそういう反応をするでしょう。でもね、これは月詠様のおかげであって」

 私は、首を横に振る。

「分かってます。……私が罪悪感を持っちゃうだろうっていう、月詠さんや大鴉さんの話は、もっともです。でもそれとは関係なく、……消えるのが怖くて、そうならないために力を使っていた人が、消されるって……」

「凛殿。これは、生存競争なのですよ。怪異はあなたを狙わずにはいられない。月詠様はあなたを守る。そうすれば争いになります。敗れたならば、それは――」
「敗れたなら、もう悪いことをしなければいいじゃないですか!」

 思ってたより大声になっちゃって、大鴉さんがぎょっとした。

「あ、ご、ごめんなさい。月詠さんに助けてもらったのに、こんなこと……。でも、」
「いや、いいよ。それで、凛はどうしたい?」

 学校中に、チャイムが響き渡った。
 午後の授業が始まった。
 でも、こっちのほうが大事だ。
 今伝えないと。
 少しでも早く。

「夢野、さん」
「……おう」

 私は、この人を、ただ夢魔と呼ぶ気になれない。
 この世から消えることを怖がってる。
 消えないために、必要なものに手を伸ばしてる。
 そのせいで、悪いこともする。必要なもののために、そうしちゃう時がある。
 ……同じだ、と思う。
 人間と。
 私と。

 たとえば、まゆが、命にかかわるような病気にかかって、それを直すために人の魂が必要だって言われたら。
 私に、誰か人の魂を奪い取る力があったとしたら。
 その力を使わないなんて、私には言い切れない。

「夢野さんは、人に夢を見せることができるんですよね?」
「……ああ」

「どんな夢でもですか?」
「そうだ。わしが決めた通りの夢をな」

「それなら、人に、幸せな夢だけを見せることもできるんですよね?」
「そうだ」

「……それじゃ、だめなんですか? 事故を起こそうとしたり、夢を使って魂を取ったり、そんなこと、しなくていいじゃないですか」
「初めは……わしだって、そう思ったさ。だが……」

 だが。
 そう言って、夢野さんは、顔のすぐ下の床を見た。

「……楽しい夢を見せれば見せるほど、その人間は楽しそうに、苦しい現実を忘れて生きていく。わしも、一時、それを喜びとしたこともあった」
「……そうしてあげた人が、いたんですか?」

 私は、夢野さんの、すぐそばまで行ってかがみこんだ。

「いた。霊感もなにもない、ただの、善良な人間だった。わしが人間の子供のふりをして暮らしていくのに、都合がいいからともぐりこんだ家の、子供のいない夫婦だ」

 夢野さんは、私じゃなくて、床を見てる。
 でもその視線は、ずっと遠くに向けられてるように見えた。

「最初はただ、夢を使った催眠にかけて、わしを彼らの子供だと思わせただけだった。しかし気まぐれに、宿賃代わりだと思い、幸福な夢を毎夜見せてやることにした。共働きで、仕事が忙しそうでな。夢くらいは報われてよかろうと。催眠をかけ続ける、ついでのようなものではあったがな」

 うっすらと、私たちの周りに、青い点がぽつぽつ浮かんでるのが見えた。
 点は、よく見ると、花みたいな形をしてる。
 明るくて見えづらいけど、あれは、スミレだ。
 さっきからずっとあったのかもしれない。
 花と花の間を、花びらよりも少しだけ濃い青色をした、丸っこいものがゆったり跳んでる。
 スミレワタリだ。
 ここは、今、彼岸に近いんだ。
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