ヴァンパイアハーフにまもられて
「だがな、幸せなばかりの夢を毎晩見た人間というのは、次第に、現実を忘れて、夢の世界に溺れるようになっていく。……だめになっていくのよ。わしが、まずいと思った時にはもう手遅れだった。夫婦は二人して、夢だけを楽しみにして、仕事が手につかなくなっていた」
「それは……幸せな夢を見せるのを、やめても?」

 夢野さんがうなずく。

「……すっかりと、腑抜けになっていたのよ。子供を持たぬ代わりにと打ち込んだという仕事も、やつらから失われていった。もっとも、夢の中身が幸せなものばかりでなくとも、同じようなことになるのは時間の問題だったろうよ。夢魔の催眠が長く続けば、人はやがて茫洋としていく」

 夢野さんの、長い髪の間に、なにかが光った。……ように、見えた。

「その家は出た。今は街の根無し草よ。わしは悟ったからな。怪異は、人とともにありながら、人とは交われぬもの。人は暗がりに潜む怪異を恐れ、怪異は人の抱く恐怖を味わいながら、ただ闇だけを住処にする。そして、……生き続けるのだ。人を、食い物にして……」

「なら、どうして、あなたは傷ついてるんですか」
「……なに?」

「宿賃代わり? だめになっていくのを、まずいと思った? その家を、出た? ……そんな人が、そんな思いをして、平気だったわけはないですよね」
「貴様……、なにが言いたい」

「もう、悪いこと、しませんか?」

「おい、凛!?」月詠さんの声が、後ろからする。「まさか、君……」

「もう悪いことをしないのなら、これまで通り、高校生として暮らしていくのはどうでしょうか」
「……正気か、貴様?」

 大鴉さんが、後ろで厳しい声を出す。

「凛殿。やはりあなたはなにも分かっておられませんな。その夢魔は恥ずべき怪異ですが、怪異が人とともにあることはできぬというのは、その通りです。なにより、そいつを野放しにすれば、あなたの身が危ないのですぞ――」

 大鴉さんの言葉が、そこで止まった。
 振り返ると、月詠さんが、手を挙げて大鴉さんをとどめてる。

「凛。そこの夢魔も納得してのことであれば、そいつの能力を封じることが、おれには可能だ。血を媒介にした契約を結んで、能力の使用を禁止させられる」
「月詠様!?」

「ただし、契約である以上、おれが一方的に押しつけることはできない。夢魔に夢を使うなというのは、スポーツ選手に運動するなと言っているようなものだからな。それに、夢の力を使わずに、普通の高校生として学校に溶け込むのは無理だろう」

 そうなんだ。
 怪異の、そういう感覚は、まだよく分かってないのに、いい加減なことを言っちゃったかな……。

「悪いことに使わないだけ、っていうのでもだめですか……?」
「少しあいまいだが、できなくはないかな。だそうだが、どうする、夢魔?」

 夢野さんが、むくりと体を起こす。

「ことここにいたって、助かろうとも、自由になろうとも思わん。もはや、貴様らとは、戦う気もおきんし勝てる気もせんわ。ただ、許されるのならば――」
「ならば?」と月詠さん。

「契約とやらを結んだあとで構わん。……心残りがある。それを果たさせてくれたら、わしは……消滅させられても、文句は言わんよ」

 月詠さんが、一つ息をついた。
 夢野さんに近づいて、空中に人差し指でなにかの模様を描く。
 空中の模様は赤く光って、夢野さんのおでこに貼りついた。

「我は汝と契約する。夢魔の能力の悪用を禁ずる。この約が破られたときは、相応の報いが与えられん」
「了解した」

 夢野さんのおでこの文字が、肌に吸い込まれるようにして消えた。

「これでよし。……で、お前、どんな心残りがあって、なにがしたいんだ?」



 午後の遅刻を先生に怒られつつ、一日の授業を終えて。
 私、月詠さん、大鴉さんの三人は、夢野さんについて、街中の住宅地に来た。
 大鴉さんは鴉の姿で、電線の上をひょいひょいと跳んでる。
なお、ステラちゃんは、すっかり定位置になった私の肩にちょこんと座ってたりする。

「おー。高そうな家とかマンションばっかりだな」と月詠さん。
「うむ。高いぞ」とそっけなく返す、夢野さん。

 先頭を行く夢野さんの足が、ぴたりと止まった。
 その先には、白い二階建ての、上品な家が建ってる・

「あれか、夢魔?」
「うむ。あれが、わしが潜り込んでおった人間の家よ」

 私は、二人の間に入って、家を見ながら聞いた。

「いくら夢の力があっても、日常生活を送ってて、怪しまれたりしなかったんですか? 夢野さんのその口調とか、あんまり中学生っぽくないですけど」
「うむ。一応、子供らしく振舞っておったからな。人間の中学生程度ならばわしの実年齢と大差なし、多少大人びた子供くらいに思われていたはずよ」

 ……。
 私と月詠さんは、そろって首をかしげる。

「実年齢と大差なし? ですか?」
「うむ」

「……夢野さんて、実年齢おいくつなんですか?」
「わしか。十八だ」

「じゅ……」と絶句した私。
 月詠さんが、「十八ぃ!? 八十じゃなくてか!?」と遠慮なく突っ込む。「おれと二つしか違わんじゃないか!? じゃあ、そのわしって一人称はなんだよ!?」

「なにとはなんだ。渋くて、かっこよかろう。怪異は、あまり若いとなめられるしな」

 ええ……じゃあ、高校三年生くらいの歳ってこと……?
 月詠さんといい、怪異って全員私よりずっと長生きしてるイメージがあったので、失礼ながら驚いちゃう……。

「で、お前、今更顔出してなに言うんだよ?」
「なにを言うでもない。ただ、どうしているのか気になるだけよ。その後、いよいよ生ける屍のようになってしまったのか、それとも、いくらかはましになったのか……」

 夢野さんが、生唾を飲んでのどを鳴らして、家に近づいていく。
 そして玄関の前で、足を止めた。
 ちょっと離れたところから、月詠さんが
「どうした?」
 と聞くと、夢野さんは、家の庭を指さした。

「……雑草の手入れがされておる。それに、ポストに郵便物もたまっておらぬ……。どちらも、わしがここを出た時には、ひどい有様だったのだが……」

 そこで、夢野さんは動きを止めて立ち尽くしちゃった。
 何度かチャイムに指を伸ばして、そのたびに引っ込めて、なかなか押せない。

「どうした」
「……すでに引っ越して、違う人間が住んでおったらどうしよう」

 ずる、と月詠さんが肩をコケさせる。

「ええい、怪異のくせになに言ってやがる、ほらよ!」

 月詠さんが、さっと走り寄って、チャイムを鳴らした。
 すぐに私の横に引き返してきて、横にあった辻に身を隠して、私もそこに引き入れられる。

「あ、あー!?」と、夢野さんが叫んだ。「なにをするか!」

「手伝ってやったんだろが! よし、凛。しばらくここから見てようぜ」

 月詠さんが、私を、ほとんど腕の中にすっぽり入れるような体勢で、息をひそめた。
 ……い、いやいやいや、近い近い!
 私の頭の真上に、月詠さんの顔がある。
 なんだか最近、月詠さんの顔を間近で見る機会が増えた気がするけど、これはほとんど体温のぬくもりが感じられるくらいに、体全体が近すぎる。

「つ、月詠さん、ちょっとだけ離」
「お、見ろ。出てきたぞ」

 そう言われて見てみると、白い家の中から、女の人が出てきた。
 私のお母さんと同じくらいの歳に見える。
 ……とりあえず、月詠さんの興味は完全に夢野さんのほうにいってるみたいなので、私の上気した顔は見られずに済みそうだった。
 でも、ふと肩先を見ると、ステラちゃんが、なにかを言いたげな目で私を見てた。
 な、なに。その、からかうような視線は?

「どなた様ですか?」

 女の人が、夢野さんに言ったので、はっとしてそっちを見る。
 一瞬、夢野さんが言った通り、引っ越してきた人なのかと思ったけど、夢野さんがかちこちに固まってるのを見て、そうじゃないって分かった。
 あの人が、「お母さん」なんだ。
 ……そっか、今のあの人には、夢野さんの記憶がないんだな。夢野さんの能力で、忘れさせたかもしれない。

「あ、あの、失礼。わし……僕は、ちょっと道に迷ってしまいましてな。それで、助けていただければ幸甚でありまして」

 女の人が吹き出す。

「年の割に、変わった言葉遣いをするねえ。どこに行きたいの? 駅?」
「は、は。そうですな、駅、までの道をお聞かせ願えるでしょうかな。……あ、いや」

 夢野さんが、顔を上げた。まっすぐに、女の人と視線を合わせる。

「……別のことが、うかがいとうございます」
「? はい、なにかな?」

「お元気で……おられますか。あなたと、もう一人の男性も」

 女の人は、一瞬きょとんとしてから、すぐに笑って言った。

「ええ、お元気ですよ。夫も元気。君、どこかでお会いしてたかな?」

 私の顔の前で、月詠さんが、こぶしを握ったのが分かった。
 小さい声で、「言うのか? 言うか? 一緒に暮らしてましたって」と、つぶやいてる。
 ……でも。

「いえ。わ……僕は、あなたさまとは初対面です。僕はただ、やるべきこととやってはならないことを間違えて……悪気のないいたずらで、取り返しのつかないことをした……愚かな、ぼんくらです」
「じ、自分のことをぼんくらなんて言うものじゃないけど」

 夢野さんは、すっと背筋を伸ばした。

「失礼いたしました。今日ここに来たのも、ほんのいたずらだったのです。僕は、道に迷ってなどおらんのです、今は。ただ、……僕は今日、やっと目が覚めました。お元気なら、よかった……。帰ります」
「そ、そう? よく分からないけど……気をつけてね」

 夢野さんがゆっくりとお辞儀して、私たちのほうに足を向けた。
 すると、歩き出しかけた夢野さんに、女の人が声をかけた。

「ねえ、君。私が、元気がなさそうに見えたのかな?」
「いえ……そういうわけでは」

「確かに、私も夫も、少し前までは本当にしょげかえってたのよ。私たちはずっと、子供はいらないと思って生きてきたんだけど、心のどこかで、一人くらい子供がいても楽しそうかなとも思ってた。そうしたらね、夢の中でだけど、私たちに子供ができたの」

 夢野さんが息をのむ。

「私と夫、不思議なことに、二人で同じ夢を見たのよ。現実そのものみたいな……でも、夢だったとしか思えない。数年間、家族三人で過ごしたっていう夢。平凡だけどすごく幸せで、仕事も手につかなくなったくらい。……でも夢が終わった後に、私たち、気が抜けたのか、しばらくぼうっとしちゃってね。ポストの中身は取らないし、庭は雑草で荒れ放題。ひどいもんだったの」

「それは……大変でしたね。さぞ、ご苦労されたことでしょう」

 夢野さんの声は震えてた。
 目は私たちのいるほう、でも私たちじゃなくてただ道の向こうを見つめてて、絶対に振り向くまいとしてるみたいだった。

「でもね、それもちょっとの間よ。その後は、また元気になって、ばりばり働きだしたし、家のこともちゃんとできるようになった。だって、私たちには、夢とはいえ、幸せな思い出が残ったんだもの。腑抜けてる場合じゃないからね。今は夢を見る前よりも、ずっと楽しく、生き生きと暮らしてる」

 月詠さんが、辻の陰から、夢野さんをのぞくのをやめた。
 私も、顔を引っ込める。
 きっと今の夢野さんの顔は、私たちには見られたくないだろうから。

「あの子のことは、顔も思い出せないけど……。でも、私たちの夢に現れてくれて、ありがとうって、心から思ってる。今の私たちが元気に見えてるなら、それは、あの子のおかげなのよ。年恰好は、あなたと変わらないかな。そんなふうに、長い髪だった気がする。……だから、あなたも、自分のことを悪くなんて言わずに、元気に暮らしてほしいな」
「ご厚意に――」

 その声は、さっきよりさらに震えてるのが、分かる。

「――ご厚意に、感謝します。それでは」

 夢野さんが歩き出した。
 だんだんと足音が近づいてきて、私たちのいる辻に、くるりと入ってくる。

「……気は済んだ。消すか、わしを?」
「消すかよ。契約のほうを取り消したいくらいだ」

 月詠さんの言葉に、私もこくこくとうなずく。
 電線の上から、大鴉さんの、「くるるる……」という鳴き声がする。
 たぶん、大鴉さんも賛成してくれてるんだと思う。

「来栖、凛」
「は、はい?」
「わしが悪かった。命を狙ったこと、許してくれとは言わん。これからは、わしがこれまでに犯した罪を詫び、償って生きることにする。たとえ能力禁止の契約が切れたとしても、もう、夢魔の力を悪事には使わぬと誓おう」

 そう言って、夢野さんは深々と私にもお辞儀した。

「や、やめてくださいっ。でも、よかったですね。夢野さんの夢が、いいほうにご夫婦を助けていて」
「偶然でしかないがな。わしの能力が少しでも役に立っていると聞けば、あさましくも、救われた気持ちになるものよな」と夢野さんが苦笑いする。

 月詠さんが、一つ咳払いをした。
「夢魔。……いや、夢野、か。明日は、学校来るんだよな?」
「……そなたらが、許してくれるのであればな」

「別に、クラスメイトを教室一人増やすくらい、催眠の悪用とは言えんだろ。凛がいいって言うなら、おれは別に、止める気はねえよ」
 
 ……なんだか、月詠さんにしては、歯切れの悪い言い方だな……?

「……月詠さん。なにか、照れてます?」
「な、なにをだよ!?  照れるようなことなんもないだろ。……まあ、その、なんだ」
 
 ……なんでしょう?
 
「いきなり力で圧倒しておいて、ゼロか百かみたいな選択を強いるようなことをして、悪かったな。……とは思ってる」

 月詠さんが、かりかりと頭をかいた。
 
「やっぱり照れてるじゃないですか!?」
「きまりが悪いだけだ、照れてるわけじゃないっ! ……ってことだ、分かったか、夢野!?」
 
 夢野さんが、笑い出す。
 私も、いつの間にか笑顔になってた。
 夢野さんがしてきたことは、悪いこともいくつもあるんだろうけど。
 でもこれからは、いいほうに変わっていくと思っていいんだよね。
 
「分かり申した。そなたらが、どんな人柄なのか。わしには、よう分かったよ」
「そうか。……おれにも、改めて、また少し分かった」

月詠さんが、そう言って私を見る。

「え? なにがですか?」
「君のことが。凛、君は、笑顔がかわいい上にいいやつで、本当に最高だな」

 う、うわあっ。
 月詠さんの、今まで見た誰よりもきれいな顔。深い色の瞳。それをまっすぐに向けられながらそんなことを言われると、私はまたもパニックになりかけちゃう。
 ……ていうか、今、かわいいって言われた!? いや、顔っていうか、笑顔がだけど。
 これは夢野さんの夢じゃないよね!?

「えっ、い、いや月詠さん、前からですけど、私のことを、よく言いすぎじゃないですか!? 段階踏まずに、いきなり最上級というか!」
「ん、そうか? 人間の言い方が、まだ上手く身についていないかな。おれとしては、正確に気持ちを表現しているつもりなんだが」

そうだとしても、しなくても、とにかく。
私は、知らなかった。
美形っていうのが、こんなに心臓に悪いものだとは。
おかげで、それから月詠さんが私を送ってくれている間、全然その顔を見ることができなかった。


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