スィーツしか見てなかったら天才イケメンパティシエに愛された

第六話 アップルパイ

夜。
仕事が終わった翡翠が、カフェ二階のリビングにやって来た。

「灯里さんの退職についてですが、私の知人に権利関係に強い人間がいるので、任せてくれませんか」

翡翠の提案に灯里は力なく頷いた。
さすがに翡翠に甘えすぎだと思うものの、成木の大伯父である社長と話すことを想像しただけで震えてしまうのだ。

「あの、出社せずに退職できれば他は望みません……下手に刺激をすると、逆恨みされそうなので」
「わかりました、その方向で話をしておきます」

言いながら翡翠は自身のスマホを操作する。
その知人にメッセージをしているようだ。

「引っ越しですが、月曜の午前中にしましょう」
「あさっての午前中に!?」
「知人は月曜に退職の連絡をするそうなので、成木が灯里さんの退職を知ったらまた家に来るかも知れません。ですので、その前に」
「確かに……」

成木が不法侵入しようとしたことを思い出した灯里の顔色が悪くなる。
一刻も早く、成木が知らない場所に引っ越して安心したい。

コンコンコンッ
ドアをノックする音が響いた。

「私よ」
「ローズさん!」

ドアを開けて入って来たのは、カフェ ソレイユ・ヴェールのホール担当であり、翡翠の叔母のローズだ。

「ローズさん、服を貸していただいてありがとうございます……!」
「灯里ちゃん、よく似合ってるわ~」
「ローズ叔母さん、月曜の朝イチで灯里さんの引っ越しをする予定で、ローズ叔母さんには私のマンションの物置き部屋の方で荷物の受け取りをお願いしたいのですが」
「OKよ!」

翡翠の提案を聞いたローズが灯里にウィンクをした。灯里は申し訳なさが募り、頭を下げる。

「ローズさんにもお世話になりっぱなしで……」
「いいのよ!ところで、お茶にしない?」

ローズは手に持っているトレイをテーブルに置いた。
皿にはアップルパイが一切れずつ乗っている。
灯里はいつもクリーム系のスィーツを優先してしまうため、まだ食べたことがなかった。

「チャイもあるわよ」

ローズがポットを持ち、カップに注ぐ。シナモンのいい香りが立ち込める。

「いただきます……!」

五月と言えども、今夜は少し肌寒い。
スパイスが入ったチャイはとてもおいしく、体の中から暖めてくれる。
そしてアップルパイ。バターが効いたパイ生地の間のりんごは柔らかく煮てあり、噛むとサックリとした歯応え。酸味が爽やかで美味しい。

「ふふ、灯里ちゃんはいつも美味しそうに食べるわね」
「だって本当に美味しいんですもん」

そう言って灯里はアップルパイを平らげた。

(たくさんお世話になった分、働き始めたら恩返しする!)

人知れず心の中で誓った灯里だった。

*****

月曜の朝。
引っ越しはあっという間に終わった。
すっかり空になった部屋のチェックが終わったので、灯里は大家に鍵を渡す。
翡翠のスマホが鳴り、二人から離れて電話で話し始めると、大家が灯里に「頼りになる彼氏がいて良かったわねぇ」と言った。

「ちっ違いますよ!!」
「あらそうなの?」
「知人と言うか恩人と言うか……」

恩人。
自分で言ったのに、灯里の胸がちくりと痛んだ。


続く
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