スィーツしか見てなかったら天才イケメンパティシエに愛された
第七話 スノーボール
アパートの退去が済んだ灯里は、翡翠の後をついて翡翠が住むマンションのエントランスに足を踏み入れた。
(なんて綺麗なマンション……!)
派手な装飾があるわけではないのに、洗練された上質なマンションだとわかる。
部屋を又貸しするのはまずくないのかと翡翠に尋ねたところ、このマンション全体が親の所有物なので大丈夫だと言われ、灯里は言葉を失った。
(翡翠さんはお坊ちゃんってコト……?)
灯里は前を歩く翡翠の背中を見つめていると、翡翠が立ち止まる。
「こちらが私の部屋で、隣室に灯里さんの荷物が運ばれています」
翡翠に続いて部屋に入る。
物置き部屋と聞いていたものの、あるのは本棚。そしてランニングマシンくらいだ。
リビングの一角以外は使っていないようで、広々としている。
「私物のためにリビングが少し狭くなってしまってますがーー」
「いえ、充分広いので大丈夫です!」
「ランニングマシンはまだ使えるものなので、自由に使ってください。本も」
ぐうぅ~
翡翠が話している途中で、灯里のお腹の音が部屋に響いた。
「す、すみません……」
「少し早いですが、昼食にしましょうか」
「私作ります!よければ翡翠さんも食べてください」
引っ越しの際、灯里は冷蔵庫の中の食材を持って来たのだ。
「ご相伴に預かります」
「すぐ作りますね、アレルギーとかありますか?」
「好き嫌いもアレルギーもありません」
「了解です!あっ、この座布団使ってください」
灯里は荷物の中から一番上等の座布団を出して翡翠に渡す。
(私の庶民的なインテリアと翡翠さん、ミスマッチすぎて申し訳ない……)
使い古したちゃぶ台の前で座布団に正座する翡翠は、まさに掃き溜めに鶴。
(冷静に考えると、翡翠さんってめちゃくちゃイケメンだな……)
サラサラの黒髪は前髪が少し長く、アンニュイな雰囲気。
美しい緑色の瞳。
肌は白いが、意外とがっしりとした体つきで女性っぽさはない。
まさに美男子という言葉がぴったりだ。
(なに人様の外見について評価してるの私!今は料理に集中しなきゃ!)
*****
「ご馳走様でした、美味しかったです」
翡翠は灯里が出した和風パスタと温野菜サラダを綺麗な所作で完食した。
「お口にあって良かったです」
灯里はホッとした。
翡翠に沢山お世話になっているからお礼に……という気持ちで作ったものの、よく考えたらプロの料理人に食べさせていいのかと緊張したが、完食してもらえてよかった。
翡翠のスマホが鳴り、来たメッセージを読み終えてから灯里の方を向く。
「知人から、退職手続きは無事に済んだと連絡がありました。成木も知ったと思いますので、暫くは外出しない方が良いかと」
「!」
出社せずに退職できた喜びと、成木がまた来るのではないかという不安で複雑な表情になる灯里。
「必要なものは私が買って来ます。灯里さんはゆっくり休んでくださいね」
翡翠が柔らかく微笑む。
「何から何までありがとうございます……、このご恩は働いてお返ししますので!」
頭を下げる灯里。
「何かあれば、遠慮なくメッセージ下さい。仕事以外は家にいますので」
また翡翠のスマホが鳴る。
「……急用で出かけることになりました……少々お待ちください」
「?」
灯里の部屋を出て、すぐに戻って来た翡翠の手には大きめの紙袋。中に箱のようなものが入っている。
「ソレイユ・ヴェールのクッキー缶です。お昼ご飯のお礼です」
「えっ!あっありがとうございます!」
様々なクッキーが入っている上に缶もかわいくて、いつか自分用に買いたいと思っていた品だ。
灯里の嬉しそうな顔を見て翡翠は目を細める。
「では失礼します」
「お疲れ様でした!」
部屋から出ていく翡翠にまた頭を下げる灯里。
玄関ドアが閉まると深く息を吐いた。
成木は灯里がこの場所に引っ越したことを知らないし、もし知ったとしても入れない。
灯里はようやく安心することができたのだ。
「段ボールの整理……の前に!」
灯里はもらったクッキー缶を早速開けた。
電気ケトルでお湯を沸かして紅茶を淹れてから、スノーボールをひとつつまみ上げる。
「さくっほろっと口の中でほどけて美味しい~!バターとナッツの香ばしさ、舌の上で溶ける粉砂糖の甘さがたまらない~」
愛用の座椅子に座り、ちゃぶ台でソレイユ・ヴェールの焼き菓子を食べる灯里。
いつものリラックス・タイムだ。
やっと戻って来た日常を思いっきり堪能することにした。
*****
入浴も筋トレも済ませ、灯里はリビングの座椅子に座る。
寝るにはまだ早い時間だ。
(うーん、暇だな……あ、そうだ)
立ち上がり、本棚のある一角に行く。翡翠の蔵書に興味があった。
「わ、すごい」
お菓子作りの本は勿論、アート系の写真集や地理・歴史の本に推理小説など、ジャンルは多岐に渡る。
「ん?」
本と本の間に、古びたノートが挟まっていることに気づいた。
開いてみると、さまざまなスィーツのデザイン画が描かれている。その下には細かなレシピ。
(そういえば、翡翠さんって以前はどんなスィーツを作ってたんだろ)
スマホで翡翠のフルネームを検索すると、『スィーツの貴公子、姿を消す』といった記事が一番上に出てきた。
10代の時から様々なコンテストで優勝した天才パティシエ雨宮 翡翠が、大手パティスリーを突然辞めて行方知れずーーと書かれている。
そこで販売されていたスィーツの写真もあった。
「なんて綺麗なケーキ……」
あまりの美しさに思わず言葉がこぼれる。
宝石のように輝く飴細工の花に、手編みのレースのような繊細なデコレーション。
一体どれほど技術を磨いて、この域に到達したのだろう。
初めてコンテストで優勝した時のまだ10代の翡翠の写真も載っていた。
優勝トロフィーを抱えて無邪気に笑うあどけない翡翠の写真を見て、灯里の胸が締め付けられる。
(翡翠さんは食べる人に幸せを感じてほしくてスィーツを作っているのに、表面だけで判断されて残されたなんて……どれだけ傷ついたんだろう)
ただの客である灯里を助けてくれた翡翠のことを、灯里は人間としても尊敬し、好ましく思っている。
(翡翠さんにずっと楽しくスィーツを作っていてほしい。もう二度と悲しい想いをしてほしくない)
この気持ちは何……?
私ーー
続く
(なんて綺麗なマンション……!)
派手な装飾があるわけではないのに、洗練された上質なマンションだとわかる。
部屋を又貸しするのはまずくないのかと翡翠に尋ねたところ、このマンション全体が親の所有物なので大丈夫だと言われ、灯里は言葉を失った。
(翡翠さんはお坊ちゃんってコト……?)
灯里は前を歩く翡翠の背中を見つめていると、翡翠が立ち止まる。
「こちらが私の部屋で、隣室に灯里さんの荷物が運ばれています」
翡翠に続いて部屋に入る。
物置き部屋と聞いていたものの、あるのは本棚。そしてランニングマシンくらいだ。
リビングの一角以外は使っていないようで、広々としている。
「私物のためにリビングが少し狭くなってしまってますがーー」
「いえ、充分広いので大丈夫です!」
「ランニングマシンはまだ使えるものなので、自由に使ってください。本も」
ぐうぅ~
翡翠が話している途中で、灯里のお腹の音が部屋に響いた。
「す、すみません……」
「少し早いですが、昼食にしましょうか」
「私作ります!よければ翡翠さんも食べてください」
引っ越しの際、灯里は冷蔵庫の中の食材を持って来たのだ。
「ご相伴に預かります」
「すぐ作りますね、アレルギーとかありますか?」
「好き嫌いもアレルギーもありません」
「了解です!あっ、この座布団使ってください」
灯里は荷物の中から一番上等の座布団を出して翡翠に渡す。
(私の庶民的なインテリアと翡翠さん、ミスマッチすぎて申し訳ない……)
使い古したちゃぶ台の前で座布団に正座する翡翠は、まさに掃き溜めに鶴。
(冷静に考えると、翡翠さんってめちゃくちゃイケメンだな……)
サラサラの黒髪は前髪が少し長く、アンニュイな雰囲気。
美しい緑色の瞳。
肌は白いが、意外とがっしりとした体つきで女性っぽさはない。
まさに美男子という言葉がぴったりだ。
(なに人様の外見について評価してるの私!今は料理に集中しなきゃ!)
*****
「ご馳走様でした、美味しかったです」
翡翠は灯里が出した和風パスタと温野菜サラダを綺麗な所作で完食した。
「お口にあって良かったです」
灯里はホッとした。
翡翠に沢山お世話になっているからお礼に……という気持ちで作ったものの、よく考えたらプロの料理人に食べさせていいのかと緊張したが、完食してもらえてよかった。
翡翠のスマホが鳴り、来たメッセージを読み終えてから灯里の方を向く。
「知人から、退職手続きは無事に済んだと連絡がありました。成木も知ったと思いますので、暫くは外出しない方が良いかと」
「!」
出社せずに退職できた喜びと、成木がまた来るのではないかという不安で複雑な表情になる灯里。
「必要なものは私が買って来ます。灯里さんはゆっくり休んでくださいね」
翡翠が柔らかく微笑む。
「何から何までありがとうございます……、このご恩は働いてお返ししますので!」
頭を下げる灯里。
「何かあれば、遠慮なくメッセージ下さい。仕事以外は家にいますので」
また翡翠のスマホが鳴る。
「……急用で出かけることになりました……少々お待ちください」
「?」
灯里の部屋を出て、すぐに戻って来た翡翠の手には大きめの紙袋。中に箱のようなものが入っている。
「ソレイユ・ヴェールのクッキー缶です。お昼ご飯のお礼です」
「えっ!あっありがとうございます!」
様々なクッキーが入っている上に缶もかわいくて、いつか自分用に買いたいと思っていた品だ。
灯里の嬉しそうな顔を見て翡翠は目を細める。
「では失礼します」
「お疲れ様でした!」
部屋から出ていく翡翠にまた頭を下げる灯里。
玄関ドアが閉まると深く息を吐いた。
成木は灯里がこの場所に引っ越したことを知らないし、もし知ったとしても入れない。
灯里はようやく安心することができたのだ。
「段ボールの整理……の前に!」
灯里はもらったクッキー缶を早速開けた。
電気ケトルでお湯を沸かして紅茶を淹れてから、スノーボールをひとつつまみ上げる。
「さくっほろっと口の中でほどけて美味しい~!バターとナッツの香ばしさ、舌の上で溶ける粉砂糖の甘さがたまらない~」
愛用の座椅子に座り、ちゃぶ台でソレイユ・ヴェールの焼き菓子を食べる灯里。
いつものリラックス・タイムだ。
やっと戻って来た日常を思いっきり堪能することにした。
*****
入浴も筋トレも済ませ、灯里はリビングの座椅子に座る。
寝るにはまだ早い時間だ。
(うーん、暇だな……あ、そうだ)
立ち上がり、本棚のある一角に行く。翡翠の蔵書に興味があった。
「わ、すごい」
お菓子作りの本は勿論、アート系の写真集や地理・歴史の本に推理小説など、ジャンルは多岐に渡る。
「ん?」
本と本の間に、古びたノートが挟まっていることに気づいた。
開いてみると、さまざまなスィーツのデザイン画が描かれている。その下には細かなレシピ。
(そういえば、翡翠さんって以前はどんなスィーツを作ってたんだろ)
スマホで翡翠のフルネームを検索すると、『スィーツの貴公子、姿を消す』といった記事が一番上に出てきた。
10代の時から様々なコンテストで優勝した天才パティシエ雨宮 翡翠が、大手パティスリーを突然辞めて行方知れずーーと書かれている。
そこで販売されていたスィーツの写真もあった。
「なんて綺麗なケーキ……」
あまりの美しさに思わず言葉がこぼれる。
宝石のように輝く飴細工の花に、手編みのレースのような繊細なデコレーション。
一体どれほど技術を磨いて、この域に到達したのだろう。
初めてコンテストで優勝した時のまだ10代の翡翠の写真も載っていた。
優勝トロフィーを抱えて無邪気に笑うあどけない翡翠の写真を見て、灯里の胸が締め付けられる。
(翡翠さんは食べる人に幸せを感じてほしくてスィーツを作っているのに、表面だけで判断されて残されたなんて……どれだけ傷ついたんだろう)
ただの客である灯里を助けてくれた翡翠のことを、灯里は人間としても尊敬し、好ましく思っている。
(翡翠さんにずっと楽しくスィーツを作っていてほしい。もう二度と悲しい想いをしてほしくない)
この気持ちは何……?
私ーー
続く