贄と呼ばれた少女の、幸せ
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(逃げなきゃ、逃げなきゃ、ここから早く)
少女は夕闇の中、人の目を避けて屋敷の横手から暗い森へ飛び込んだ。それは、メイド長がいなくなったことで生じた監視の穴だった。
道と呼べるほどの道もない森の中を、一歩でも早く前へ進もうと必死に走る。屋敷がどこにあって、どちらに向かって逃げればいいのかわからなかった。それでも少女は逃げなければならなかったし、誰かにこの窮状を伝えなければいけなかった。あのおぞましい『冥界の門』の存在を訴え、誰かに男を止めてもらわなければ、惨劇がすぐにでも繰り返されるのだ。
『もうすぐ特別な材料が届く』
もうすぐとはいつだろうか、自分が走って間に合うのだろうか、男はあの扉に向かって、今にも家族に会えるような口ぶりで語りかけてはいなかっただろうか。答えの出ない問いだけがぐるぐると頭を巡る。少女は焦燥にかられ、森を走り続けた。