贄と呼ばれた少女の、幸せ
いつしか日は完全に落ち、森は闇に包まれていた。
屋敷の人間が男に従っているのは、『領主様』がみんなより偉いからだと少女は知っていた。だから少女は、『領主様』より偉い人を探さなくてはいけないのだとわかっていた。しかし、『領主様』より偉い人は『おうさま』で、『おうさま』は大きな街の大きなお城に住んでいる──少女にわかることはたったのそれだけだった。
(逃げなくちゃ、私が、誰かがあの門を開けてしまう前に)
木の根につまずき、生い茂る枝葉に肌を裂かれる。あの扉の向こうには、恐怖と絶望しかないと少女はわかっていた。門をひと目見れば誰だってわかるはずのことだ。足先から震えが走る圧倒的な禍々しさが、この先には死と絶望しかないと物語っていた。なのに、そんなことがあの男にだけはわからないのだ。
(誰か、誰か──)
その先の言葉は、霞がかかっているようだった。少女はただ『誰か』と願いながら走り続ける。不意に、横手の茂みの奥で、何かががさりと音を立てた。少女の視線がそちらへ導かれる。視界の端に、赤い赤い、なにかが映った。