扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
そうして部屋へと戻ったカトレアを見送り、凛子は自室に入ると、早速大荷物となっていた敷物を中央に敷いた。寂しい色をした室内に柔らかな色が落とされた。だがすぐに、薄い寝具が視界に入り、冬用のカバーを買うべきだったと、早速後悔した。
購入した化粧品類や小物を小箱に仕舞って、文机の片隅に置く。化粧鏡を正面に設置する。その場所だけ、ほんの僅かではあるが生活感が出てきた。室内の灯りはこの世界のどの部屋にでもあるように角に二つ配置されてある。鉱輝石の嵌め込まれた台座部分が手に届きやすいように、高さは丁度天井と床の中間辺り。
その灯りによって落とされる室内の影が、質素な空間をより強調しているように見える。石造りの壁は分厚いようで、隣の生活音が何も聞こえてこない。まして階下の音はまったくといって良いほど聞えない。それはそれで喜ばしい事なのだが、いつも誰かの気配のあったシータ家の別邸とは、真反対のこの部屋だと、寂しさが増してしまう。
最初は2Kの部屋だった。その次はリラ亭、ニルとロサ老人の家を経て、牢獄も経験した。それから大聖堂の庫院。叡智の塔の主直用の部屋。奥宮にあったシェイルの部屋にも行った。
引っ越し荷物を整理した時に、久しぶりに自分がこの世界に来た時の衣服や荷物を目にして、何となく泣きそうな気持になったのを思い出す。衣装箱の奥に仕舞っている仕事用鞄を取り出してみると、スマホにつけられたチャームはそのまま。
百合はアゼリアス聖王国の国花。正確にはゼリアという名前の花である。十字架のようなマークは合わさった剣。この国の第二王子を示している。それらの刻印に菱形の形を合わせて、シェイル個人の紋章となる。
大きな溜息をひとつ落として、チャームを指先で弾く。
あの時、何故自分に、そしてどういう気持ちで渡してくれたのかは、もう問う事さえ出来ない。
すべて忘れられてしまったから。
喜べない状況ではあるが、彼の近くにまた来ようとは、想像もしていなかった。
不安と期待とが綯交ぜになりそうになる。
――これは失くしたモノへの執着心。
そう自分に言い聞かせ、心の奥深い所から這い上がりそうになる思考を、沈ませた。