扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
「ほらほら、次ですよ!」
「…………お、おう……」
最初に沈んだのは張り切っていた新人だった。杯を三つ空にしたところで急に机に突っ伏し、静かな寝息を立て始める。
「おい、まだ始めたばっ──」
「次の方どうぞ!」
「……ッ」
二人目は寡黙な剣士で、無表情のまま平然と飲み進めていたものの、六杯目で突然、椅子ごと後ろへ倒れた。仲間が慌てて抱え起こすが、本人はまるで石のように動かない。
「…………ちょっと待て。なんで平気なんだ」
「あ、次お願いします」
凛子は頬すら赤くならない。世辞でも虚勢でもなく、ただ淡々としていた。
「お、お前……ほんとに大丈夫なのか……?」
「はい! 全部通しちゃいますから! 何事も無く!」
意味のわからない理屈に、騎士たちは笑いながらもどこかで恐れを抱き始めているようだ。そして三人目、四人目と倒れ──最後に残ったのは、一番年嵩の騎士だった。
「若いもんに、負けられっか……」
「尊敬します!」
「……だがな……俺はな……ぐ……」
ぐらり。そのまま静かに横へ滑り落ちた。食堂の喧騒は、いつの間にか嘘のように静まり返っていた。床にもたれるように果てた騎士たち。頬杖をついたまま寝落ちしている者もいる。そして、ただ一人。グラスを持ったまま、凛子──だけが正気の目をしていた。
「……ふう。さっぱり! あーただでこんなに飲んでいいなんて幸せ過ぎる」
その声に、壁際に避難していたカトレアが呻くように言った。
「……お前、本当に人間?」
「なんでそんなこと言うんですか!」
「こっちの台詞だ……」
宴の残り香が漂う食堂に、凛子の元気な声だけが妙に澄んで響いた。
翌朝、凛子は始業開始より確かに早く執務室へ向かった。現実逃避を兼ねてあれだけ飲んだのにも関わらず、昨夜の会話が頭にまとわりついたままだったからだ。すでに机に向かっていたシェイルは、彼女の挨拶に顔も上げず「遅い」と返す。始業前だというのに、と言い返したかったが飲み込む。
「昨日まとめた資料だが、追加で調べてもらう」
「承知しました」
「王都で多発している通り魔事件の被害者一覧を王都支部から取り寄せろ。今年の未解決事件もだ」
ペンを持つ手がわずかに止まった。
「……えーっと何か、関連が?」
初めてシェイルが顔を上げる。青灰の瞳が、凛子を真っ直ぐ射抜いた。
「調べ直す必要がある。お前が遭遇した件とも無関係ではない」
その言葉の鋭さに、胸の奥で冷たい波が立つ。
「すぐ対応します」
魔物の活性化。
通り魔事件。
自分が襲われたあの夜。
本当に、何一つ繋がっていないと言い切れるのだろうか。
窓辺の陽光が石畳を照らしていたが、その明るさがやけに遠い。
その日の午後、凛子は王都支部を訪れた。書簡だけでは時間がかかるとの理由で、シェイルが直接の派遣を命じたのだ。
「通り魔事件の被害者一覧……ですか?」
応対の受付官が戸惑いを隠せずにいる。
「右将軍閣下の命です。お願いします」
辞令書を示すと、真面目そうな彼は慌てて奥へと引っ込んだ。待合室では時間の流れがやけに遅く感じられた。掲げられた王国の紋章、告知がびっしり貼られた掲示板──視線を滑らせていると、受付官が戻ってくる。
「お待たせしました。こちらが被害者一覧です。それと、隊長がお話があると」
案内された部屋には、先日も顔あわせた男が座っていた。
「先日はご協力いただきましたな。……秘書官になられたとか」
男──グレアムは席を勧めながら、探るように目を向ける。
「閣下がこの事件に関心をお持ちになったということは……何か掴まれたのですか?」
凛子は小さく首を振った。
「いえ、私は資料を受け取りに来ただけで」
「そうですか。しかし一つだけ、伝えておきたいことがあります」
グレアムの声が潜められる。
「実は──最初の被害者が殺害されました。祝祭週間の最中、自宅で喉を掻き切られて亡くなっていました。表向きは自殺とされましたが……現場の状況は、そうではありません。リィン殿。あなたも被害者の一人だ。どうか、気をつけてください」
その声音は現実味を欠くほど落ち着いていたが、逆に凛子の胸奥へ鋭く突き刺さった。