扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました

 流れる様な言葉を、理解したくないのに。
 娼館。
 女将。
 シェイルが懇意にしている女。
 協力を受ける度胸を、彼はよく知っている。

「確かに、適任かもしれません。娼館という場所柄、護衛を付けても不自然ではありませんし」

「今夜、俺が直接交渉に行く」

 会話に耳を傾けながら、凛子はじっと床石の溝を視線でたどる。
 
「リィン」

 ラストゥーリャの声が、凛子の思考を遮る。

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」

 本当の理由を口にできるはずもなかった。

「少し、疲れているだけですよ」

「明日からは、討伐隊の準備に入る。カミ―ヤ、お前には物資調達と行程管理を任せる」

「判りました」

 シェイルからの命に、凛子が返した声は、どこか上の空だった。

◇◇◇

 会議が終わり、凛子は一人執務室に残り散らばった資料を片付けていた。シェイルは既に外出の準備を始めている。

「閣下」

 凛子は考えなしに声をかけてしまってから、後悔した。

「何だ」

「その……リゼットさんという方は、本当に危険な役割を引き受けてくださるんでしょうか」

 シェイルは軍服の上着を羽織りながら、凛子を一瞥した。

「リゼットは商売人だ。相応の報酬を出せば、引き受けるだろう」

「でも……命に関わることですよ」

「それも含めて、交渉する」

 冷たく切り捨てるような声。続いて、短い息と共に落とされた一言は、刃より鋭かった。

「……お前が俺に誰を重ねているか知らんが、そういう目で見られるのは不快だ」

 空気が凍りつく。
 息の仕方すら分からなくなり、ただ項垂れた。

 シェイルはそれ以上何も言わず部屋を出て行った。扉が閉まった瞬間、胸の奥に溜め込んだ何かが、ゆっくり崩れ落ちた。

「えーっと、これ、もしかして私……嫉妬、してんの?」

 呻くように呟いて、凛子は首を振る。この感情が、何なのか。今更過ぎる。かつての関係は、もうシェイルの中には存在しないのだ。 
 それなのに——。
 シェイルが別の女性のもとへ向かうという事実を受け止めきれないでいた。
 それを止める権利も、理由も、自分にはない。

「うん、仕事しよ」

 凛子は机に向かい、明日からの準備書類を広げた。しかし、一向に頭に入ってこない。ペンを持つ手が、微かに震えていた。

< 157 / 218 >

この作品をシェア

pagetop