扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
螺旋に回る階段を来た時とは真反対の気持ちで降りながら、凛子は考えるまでもなく、頭に浮かんだ光景に溜息を吐いた。昨日の二人の光景。実際、夢にも出てきてうなされた為、睡眠不足である。
でも——。
凛子は空を見上げる。初冬の空は高くきりりと澄んでいた。
「過去は過去」
自分に言い聞かせるように、呟いた。
「転属しちゃった訳だし、秘書官として、ちゃんと仕事をして、認めてもらう。それから出世して、一人でもこの世界で生きていけるぐらい、稼ぐ」
それしか、方法はない。
「恋愛とか、そういうのは……」
ぶっちゃけこういった気持ちを抱くのは社会人になって以来、初めての事だった。
最後の恋はたぶん学生時代。恋愛の仕方なんて、既に忘れている。
気合をいれるように拳を握り突き上げる。
「まずは、この事件を解決すること。それが先決」
執務室に戻ると、シェイルは不在だった。
机の上には、メモが置かれている。
――午後から会議。資料を読んでおけ。
凛子は資料を机に置くと、早速読み始める。
ゼリアス山脈の地形図。封印の地への経路。過去の討伐記録。膨大な情報が、頭に流れ込んでくる。
出来ればスプレッドシートあたりでまとめて、可視化したいところだが、この世界に表の概念はあるのだろうか。地図は存在しているし、数の概念も存在しているのだから、存在していてもおかしくはない気がする。
仕事に没入していると、現実におけるなにもかもが希薄になった。
集中力と作業力の継続は、自分の強みだった。
どれくらい時間が経ったか。
扉が開く音で、凛子は顔を上げる。
「カミーヤ」
シェイルが戻ってきたようだ。
凛子はすっと立ち上がり、敬礼する。
「お帰りなさいませ。資料、一通り読みました」
「――そうか。気になった点は?」
「はい。封印の地への経路なんですけど、この場所——」
凛子は地図を広げた。
すぐ隣にシェイルが立ち、覗き込む。
「この迂回路、使えないんですか? こっちの方が安全そうですけど」
「――そこは冬季通行止めだ。既に積雪が観測されている」
「なるほど……じゃあ、補給地点をここに設けるのはどうでしょう?」
「検討する」
シェイルは地図を見つめたまま続けた。
「他には?」
「えっと……あ、これ」
凛子は別の資料を取り出す。
「過去の討伐で、魔物の種類が変化してるみたいなんですけど、これって封印が弱まってる影響ですかね?」
「その可能性が高い……よく気づいたな」
「いえ、昨日の資料と見比べてたら、なんとなく」
経年のデータを横並びにして比較したからこそ気が付けたと言ってもいい。
その位微妙な数値だった。
「カミーヤ」
「はい?」
「お前は――思っていたより使えるな」
シェイルの言葉に、凛子は目を丸くする。
「だからラストゥーリャも、手放したがらなかったわけか」
半分独り言のような台詞だが、だからこそシェイルが本心で言っているのが伝わってくる。
「え……お、お褒めの言葉、ですか?」
「事実を述べただけだ」
資料を横に置いて、シェイルは執務机に向かうように座り腕を組んだ。
組んだ両手の上に顎を乗せ、凛子に視線を流す。
「――ラストゥーリャの所で、何か言われたか?」
「トゥーリャさんですか? 特には……あ、元気そうで安心したって」
「そうか。アレからの小言は面倒だからな……無理な配置換えとはいえ、戯れではない。お前が業務をきちんとこなすならば、俺は忖度なしに評価するつもりだ」
「ありがとうございます」
「さて、この後の予定だが、蒼月亭に向かう」
シェイルのスケジュール管理も任されている凛子は、記録紙を捲り、一瞬だけ固まった。
「……護衛の配置確認ですか?」
「いや」
「同行者はどうされますか?」
シェイルは首を横に振った。
「今日は一人だ。お前は早めに戻って休め。明日は昼からで良い」
「……はい」
凛子は複雑な表情を隠し、笑顔を作った。
終業の鐘が鳴る。
「分かりました。では、ウェントワース様達と予定のすり合わせをしてから帰宅いたします」
シェイルは小さく頷いて、積み上げられた裁可の書類にサインをし始めた。
顔があげられる事は無い。
凛子は、静かに執務室を出る。
「……頑張ろう」
昼から出勤でいいと言われたのは嬉しい。
でも、その理由は——。
「考えない、考えない」
シェイルが誰とどこで何をしようと、自分には関係ない。
今のところ、上司と部下。それ以上でも、それ以下でもない。
「そう、それ以上でも以下でもない……」