扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

 執務室に入ると、シェイルは既に机に向かっていた。

「おはようございます」

 シェイルは書類から目を離さない。

「訓練を受けてきたそうだな」

「え? もうご存知なんですか?」

「カトレアから報告があった」

 そういって漸く青灰の瞳が凛子に向けられた。

「飲み込みが早いと褒めていたぞ」

「そ、そうなんですか?」

 純粋に、他人から評価されるのは、嬉しい。

「今後も続けろ。随行任務の際、最低限の護身術は必要だ」

「はい!」

 元気よく答える凛子に、シェイルは僅かに目を細めた。

「……元気だな」

「朝から体を動かすと、気持ちいいですね」

 向けられた笑顔に何かを返そうとし、シェイルは難しい顔を作り上げた。

「では業務を始めろ。討伐隊の物資リスト作成から」

「承知しました」

 物資リスト。
 人員百名規模、期間二週間。
 必要な食糧、水、武器、魔術具、医療品——。
 膨大な量だが、凛子は黙々と作業を進める。

 時折、シェイルと確認の為、二言三言言葉を交わすが、淡々としたものだ。

「医療用魔法薬の量が不足している」

「あ、すみません。修正します」

「それから、予備の武器も追加」

「はい」

 指摘は的確で、凛子は学ぶことが多かった。
 ラストゥーリャの元でお使いや資料整理に明け暮れていた時は勝手が違う。意見を丁寧に聞き、思考し、提案する。

 昼を過ぎ、午後になっても作業は続いていた。

「そろそろ休憩だな」

 シェイルの声に、凛子は顔を上げる。

「え? でも、まだ終わって——」

「休憩も仕事の範疇」

 と、言った本人は、立ち上がって資料室へ向かう。

「茶を淹れる。お前も来い」

 今までに無い展開に、凛子は慌てて後を追った。

 資料室の窓は、連日続く数多の資料の出し入れで空気が悪くなっているため、開け放たれていた。簡素なカーテンが揺れ、だいぶ冷たくなってきた風が室内へと流れ込んでいた。

 窓の外には、訓練場が見え、何人かの若手騎士が剣の稽古をしている。

 慣れた手つきでお茶を淹れるシェイルの姿は、何というか、凛子にとっては意外だった。何もかもを侍女任せにしていたというあの頃のお坊ちゃん然とした面影は無い。とそこまで考え、やめた。残影に重ねられるのを、シェイルは厭っている。

 沈黙を持て余し、ただただカップの縁を指でなぞる。
 それでも、茶を飲みながら、横顔を盗み見る事を止められない。
 整った顔立ちは彫刻の様。青灰色の瞳はどこか遠くを見ているようだ。

「カミーヤ」

 凛子は慌てて視線を外す。

「昨夜、リゼットから情報を得た。黒い髪の女を探している男が娼館に来たと」

「それは……」

 鋭い視線が凛子を射抜いた。

「今後、一人での外出は禁止だ。必ず誰かと行動しろ」

「はい」

「夜間の外出も控えろ。特に、下弦通りのような場所には近づくな」

「分かりました」

「正直、お前の素性は未だ不明な点が多い」

 その声は、どこか探るようだ。

「だが、ラストゥーリャが保証している以上、今のところは信用する。また職務に忠実であれという態度は評価する」

「……はい」

 報告書のように淡々と告げられる言葉に、胸が締め付けられる。

「お前が何者であろうと、俺の部下である以上、お前に対する評価は俺に対する評価でもある。それだけは理解しておけ」

「ありがとうございます」

「礼を言われることではない」

 一気に茶を飲み干したシェイルは立ち上がった。

「休憩は終わりだ。戻るぞ」

 シェイルの言葉はどこまでも業務の延長上にあるが、少なくともあの日、帰還のための術が暴発した時よりかは、進展したのかもしれない。

 何と言っても自分は、彼の寝所に忍び込んだ暗殺者と思われていたのだから。
 最下層にあった評価が、一般的なレベルまで引き上がったのは行幸である。

< 173 / 218 >

この作品をシェア

pagetop