扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇


 蒼月亭に向かった一行は裏手から店内に入った。
 厨房を通り、裏階段を通り、それぞれの配置に別れていく。

 シェイルは黒い外套を纏い、顔を隠している。凛子も同様だ。これはまるで護衛というか、一見すると強盗団のような装いだなと、思ってしまう。

「カミーヤ。貴賓室に入るのはお前だ。三階奥をウェントワース。外からローワン。隣室に俺とエルネスト。他は正面入り口、裏門、通りと別れる」

 シェイルの背中が、いつもより大きく見えた。
 三階貴賓室では、先程別れたばかりのリゼットが出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

「状況は?」

「まだ、その男は来ていないわ。でも――」
 リゼットは窓の外を見る。
「妙な気配がするの。誰かに見られているような」

 シェイルは窓に近づいてあらかた見分したのち命令を下した。

「カミーヤ、リゼットと一緒に寝室へ」

 窓の外は既に暗い。
 街の灯りが、遠くに見える。

「緊張してる?」

 リゼットの声に凛子は頷いた。

「はい……正直、怖いです」
「そうよね」
「でも、シェイル様がいるから大丈夫よ」
「リゼットさんは、閣下のこと……信頼してるんですね」
「昔、私が危ない目に遭った時も、あの方が助けてくれたの」
「そうなんですか」
「ええ。だから――」

 リゼットの言葉が途切れた。

「伏せて!」  

 鋭い叫びと同時に、雷が落ちたような轟音が室内に響いた。  
 窓硝子が粉々に砕け散り、夜風と共に黒い影が躍り込んでくる。

「――っ!」  

 凛子は反射的に腰の短剣に手を伸ばした。  
 速い。  
 侵入者は窓枠を蹴ると、一瞥もくれずにリゼットを跳び越え、一直線に凛子へと肉薄した。  
 暗闇の中で、異様にぎらついた双眸と目が合う。  
 殺気という言葉では生温い。肌を刺すような冷たい意思が、凛子の心臓を鷲掴みにする。

 隣室との扉が蹴破られる音がした。
「カミーヤ!」というシェイルの怒号が聞こえる。
 だが、それよりも侵入者の刃の方が速かった。

 カトレアの言葉が脳裏を過る。  
 ――顎。鼻。顔に当てるだけでもいい。  
 凛子は恐怖で竦みそうになる足を叱咤し、鞘から引き抜いた短剣を、闇雲に突き出した。  
 狙うは相手の顔面。  
 一瞬、侵入者の動きが止まったかに見えた。短剣の切っ先は、確かに男の頬を掠めた。

 だが、浅かった。

「……甘い」  

 低く嗄れた声が耳元で囁かれる。  
 直後、銀色の閃光が視界を灼いた。

「あ……」

 熱い。  
 痛みの前に、灼熱のような感覚が左肩に走る。  
 噴き出した鮮血が、凛子の視界と床を赤く染めた。
 衝撃で短剣を取り落とし、凛子はたたらを踏んで背後の壁に激突した。  
 遅れてやってきた激痛に、喉の奥から悲鳴がせり上がる。
 だが、それを吐き出す暇さえ与えられず、追撃の刃が凛子の首元へと迫った。

「そこまでだ!」

 金属と金属が噛み合う高い音が火花を散らす。  
 止めを刺そうと振り下ろされた凶刃を、割り込んだシェイルの長剣が受け止めていた。

「貴様……!」  

 シェイルの声は、地獄の底から響くように低く、怒りに震えている。  
 拮抗する剣圧。  
 侵入者は舌打ちを一つ落とすと、人間離れした身軽さで後方へと跳躍した。

「カミーヤ、無事か!」  

 ウェントワースとエルネストも雪崩れ込んでくる。  
 凛子は左肩を押さえたまま、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。指の隙間から溢れる赤色が、床板を無残に汚していく。

「閣下、逃げられます!」  

 窓枠に足をかけた侵入者を追い、エルネストが駆け出す。  
 だがシェイルは深追いを命じず、剣を捨てて凛子へと駆け寄った。

「傷を見せろ。……くそっ、深いか」  

 シェイルが自身の外套を裂き、手際よく凛子の肩を縛り上げた。
 止血の圧力に、凛子は「うぅっ」と苦悶の声を漏らした。  
 視界が霞む。  
 目の前にあるシェイルの顔が、見たこともないほど焦燥に歪んでいるのが見えた。

「しっかりしろ。すぐに治癒を」  

 凛子の体は、ふわりとシェイルの腕の中に抱き上げられた。

「すいません……顎、狙ったんですけど……」  

 薄れゆく意識の中で、凛子は掠れた声で呟いた。

「馬鹿者が。喋るな」  

 シェイルの叱責は、どこか震えていた。
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