扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇
翌朝、凛子は既に彼女のルーティーンと化している訓練場に現れた。
「おい――何をしている」
凛子の姿を認めたカトレアは、一瞬だけ絶句し、呆れた顔をむけた。
「え、基本動作だけやろかなって」
「見れば分かる。怪我人が何故ここにいる」
「昨夜の襲撃で、なんか私本当に中途半端で……」
凛子は凛子で、真剣な表情だ。
「鍛えておかないと、次は、避けられないかもしれない」
しばし押し黙っていたカトレアだが、小さく笑った。
「戦う者の目をしている」
「え?」
「だから、戦う者の目だ」
同じことを二度言われ、少しだけ考えるが、これはあれか。
所謂、大事な事なので二度言いましたというやつであろう。
「治癒術を受けて傷が塞がったとはいえ、無理はするなよ。お前の身体は血を失ったばかりなのだから、座ってこれでも持ってろ。握力だけでも維持しておけ」
カトレアが押し付けてきたのは、ダンベルのような鉄棒である。
切られたのは左側の首。右手なら利き手でもあるし、少し力を加えても大丈夫だろうか。
首に負担がかからないように、慎重に手首だけを曲げるにとどめておく。
毎日のように鍛えていたら、二の腕からは完全に柔らかさを失いそうだ。既に服にうっすらと浮かぶ体の筋に、凛子は苦笑してしまう。
向かいでは、カトレアも木の椅子に座り、足首に錘を付けて、足を浮かせると膝を虚空へと伸ばしはじめた。
「お前が無事で、私も安心したよ。閣下は相当心配していたぞ」
「直属ですしね、それに秘書官が怪我したって、外聞悪くしちゃいそうで、反対に申し訳ない気持ちに」
「そういう風に考えられるリィンは、やはり恵まれた環境で健やかに育った淑女、なのだなと思う」
「淑女……普通、まあ、普通ではないかこっちだと」
文化がそもそも違う。価値観も、論理感も何もかも。
凛子にとっての疑問は、こちらの世界の誰かにとっての当たり前で、だからこそ、春ごろに比べて言動には気を付けるようになったのだが。
難しい顔をして黙り込んだ凛子にカトレアは「私は、お前の事を好ましく思っているよ。私の価値観に文句を付けず興味を持ってくれた、唯一の人間だからな」と、言った。
「私は、決められている未来が嫌いだった。だから家から出るためには、両親が納得するだけの力を得る必要があった。貴族女性に出来る仕事というのは、なかなか少なくてな。結果、騎士となることになった。力を得た今は、好きな事をして好きな物だけに囲まれて、そうだな……自分の手の届く範囲が平和ならそれでもいいかとさえ考える事も時々ある」
「ちょっと、判るかも……」
「無論、仕事は仕事。騎士の務めは王国の守り。民の盾。それで給金を貰って余暇で縫物が出来ている今が、幸せだと感じている。お前とこうして他愛もない話をする時間も」
「私、カトレアさんお手製のぬいぐるみちゃん、ちょっと欲しいです」
「興味があるなら、今度、作り方を教える」
「んじゃ、今の事件が解決したら! お休みの日にぬい活しましょう!」
「ぬい活……」
「推し活ともいいます! ぬいぐるみちゃん達もつれて、美味しいお酒を素敵なお店に呑みに行くなんていかがですか? 楽しい予定が先にあったら、もっと頑張れるし」
「楽しそうだな……そうだな、あの子たちにも、何か外出用の服を作ってやるのもありか……」
「私、実は女性向け洋服の意匠画は持ってるんですよ。ただ結構斬新な意匠だから、ぬいぐるみちゃん達の服なら、許される範囲かも」
広い訓練場で若い女性二人が、早朝にトレーニングしている姿は、今や外宮名物でもある。軍本部のある回廊からは、声援も飛んでくる。だがしかし、彼女たちの会話は、訓練に関する話題でも、件の事件に纏わる物でもない。
そう、いつだって、凛子は長く悩み続けることが出来ない性分なのだ。
執務室に入ると、シェイルは険しい顔で地図を見つめていた。
「おはようございます」
「――傷は?」
「大丈夫です。痛みもほとんどありません」
「昨日の件に関して、学術庁か聖王庁の関係者を今洗っている」
凛子は息を呑む。
「学術庁って……どうして……?」
「魔術の使い方が洗練されていた。さすがに独学では身につかない技術だあれは。魔力行使とはわけが違う。転移術を個人で扱うには、相当な魔力量と知識も必要だ」
シェイルは地図上のある地点を指す。
「そして、この魔法陣の構築もな。高度な知識が必要だ」
「つまり……」
「犯人は、我々の内側に潜んでいる可能性も否めない」
「では、どうすれば……」
「まずは、犯人の目的を探る」
シェイルは別の資料を取り出す。
「封印を解いて、古代竜を復活させる。それが目的だとして――何故そんなことをすると思う?」
「うーん、復讐……でしょうか」
「誰に対する?」
「この国……?」
「ならば、動機は何だ」
シェイルは漸く凛子を見た。
「考えろ。お前の視点で」
古代竜を復活させる理由。
この国への復讐。
「もしかして……誰かを失ったり?」
「続けろ」
「大切な人を、大切な物を、この国に奪われた。だから、復讐したい」
凛子は言葉を紡ぐ。
「でも、それだけじゃ、安直すぎますかね」
「何故だ」
「だって、こんな大規模な術式を張るなんて……ただの復讐にしては、やりすぎだから、もっと、別の理由がある気がしますけど」
「……成る程」
シェイルは考え込むようにして腕を組みなおした。
「後は――この国を滅ぼすことが、何かの救いになる、とか」
凛子の言葉に、シェイルは目を細める。
「なかなか、面白い視点だ」
「え?」
「お前の考え方は、時々予想外だな」
シェイルは小さく笑った。
翌朝、凛子は既に彼女のルーティーンと化している訓練場に現れた。
「おい――何をしている」
凛子の姿を認めたカトレアは、一瞬だけ絶句し、呆れた顔をむけた。
「え、基本動作だけやろかなって」
「見れば分かる。怪我人が何故ここにいる」
「昨夜の襲撃で、なんか私本当に中途半端で……」
凛子は凛子で、真剣な表情だ。
「鍛えておかないと、次は、避けられないかもしれない」
しばし押し黙っていたカトレアだが、小さく笑った。
「戦う者の目をしている」
「え?」
「だから、戦う者の目だ」
同じことを二度言われ、少しだけ考えるが、これはあれか。
所謂、大事な事なので二度言いましたというやつであろう。
「治癒術を受けて傷が塞がったとはいえ、無理はするなよ。お前の身体は血を失ったばかりなのだから、座ってこれでも持ってろ。握力だけでも維持しておけ」
カトレアが押し付けてきたのは、ダンベルのような鉄棒である。
切られたのは左側の首。右手なら利き手でもあるし、少し力を加えても大丈夫だろうか。
首に負担がかからないように、慎重に手首だけを曲げるにとどめておく。
毎日のように鍛えていたら、二の腕からは完全に柔らかさを失いそうだ。既に服にうっすらと浮かぶ体の筋に、凛子は苦笑してしまう。
向かいでは、カトレアも木の椅子に座り、足首に錘を付けて、足を浮かせると膝を虚空へと伸ばしはじめた。
「お前が無事で、私も安心したよ。閣下は相当心配していたぞ」
「直属ですしね、それに秘書官が怪我したって、外聞悪くしちゃいそうで、反対に申し訳ない気持ちに」
「そういう風に考えられるリィンは、やはり恵まれた環境で健やかに育った淑女、なのだなと思う」
「淑女……普通、まあ、普通ではないかこっちだと」
文化がそもそも違う。価値観も、論理感も何もかも。
凛子にとっての疑問は、こちらの世界の誰かにとっての当たり前で、だからこそ、春ごろに比べて言動には気を付けるようになったのだが。
難しい顔をして黙り込んだ凛子にカトレアは「私は、お前の事を好ましく思っているよ。私の価値観に文句を付けず興味を持ってくれた、唯一の人間だからな」と、言った。
「私は、決められている未来が嫌いだった。だから家から出るためには、両親が納得するだけの力を得る必要があった。貴族女性に出来る仕事というのは、なかなか少なくてな。結果、騎士となることになった。力を得た今は、好きな事をして好きな物だけに囲まれて、そうだな……自分の手の届く範囲が平和ならそれでもいいかとさえ考える事も時々ある」
「ちょっと、判るかも……」
「無論、仕事は仕事。騎士の務めは王国の守り。民の盾。それで給金を貰って余暇で縫物が出来ている今が、幸せだと感じている。お前とこうして他愛もない話をする時間も」
「私、カトレアさんお手製のぬいぐるみちゃん、ちょっと欲しいです」
「興味があるなら、今度、作り方を教える」
「んじゃ、今の事件が解決したら! お休みの日にぬい活しましょう!」
「ぬい活……」
「推し活ともいいます! ぬいぐるみちゃん達もつれて、美味しいお酒を素敵なお店に呑みに行くなんていかがですか? 楽しい予定が先にあったら、もっと頑張れるし」
「楽しそうだな……そうだな、あの子たちにも、何か外出用の服を作ってやるのもありか……」
「私、実は女性向け洋服の意匠画は持ってるんですよ。ただ結構斬新な意匠だから、ぬいぐるみちゃん達の服なら、許される範囲かも」
広い訓練場で若い女性二人が、早朝にトレーニングしている姿は、今や外宮名物でもある。軍本部のある回廊からは、声援も飛んでくる。だがしかし、彼女たちの会話は、訓練に関する話題でも、件の事件に纏わる物でもない。
そう、いつだって、凛子は長く悩み続けることが出来ない性分なのだ。
執務室に入ると、シェイルは険しい顔で地図を見つめていた。
「おはようございます」
「――傷は?」
「大丈夫です。痛みもほとんどありません」
「昨日の件に関して、学術庁か聖王庁の関係者を今洗っている」
凛子は息を呑む。
「学術庁って……どうして……?」
「魔術の使い方が洗練されていた。さすがに独学では身につかない技術だあれは。魔力行使とはわけが違う。転移術を個人で扱うには、相当な魔力量と知識も必要だ」
シェイルは地図上のある地点を指す。
「そして、この魔法陣の構築もな。高度な知識が必要だ」
「つまり……」
「犯人は、我々の内側に潜んでいる可能性も否めない」
「では、どうすれば……」
「まずは、犯人の目的を探る」
シェイルは別の資料を取り出す。
「封印を解いて、古代竜を復活させる。それが目的だとして――何故そんなことをすると思う?」
「うーん、復讐……でしょうか」
「誰に対する?」
「この国……?」
「ならば、動機は何だ」
シェイルは漸く凛子を見た。
「考えろ。お前の視点で」
古代竜を復活させる理由。
この国への復讐。
「もしかして……誰かを失ったり?」
「続けろ」
「大切な人を、大切な物を、この国に奪われた。だから、復讐したい」
凛子は言葉を紡ぐ。
「でも、それだけじゃ、安直すぎますかね」
「何故だ」
「だって、こんな大規模な術式を張るなんて……ただの復讐にしては、やりすぎだから、もっと、別の理由がある気がしますけど」
「……成る程」
シェイルは考え込むようにして腕を組みなおした。
「後は――この国を滅ぼすことが、何かの救いになる、とか」
凛子の言葉に、シェイルは目を細める。
「なかなか、面白い視点だ」
「え?」
「お前の考え方は、時々予想外だな」
シェイルは小さく笑った。