扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
会議が終わり、凛子は資料室の中で立ち尽くしていた。
机には未整理の資料が積み上がり、奥の簡易寝台には、シェイルが仮眠を取るときに使っている毛布と、飲みかけの酒瓶が転がっている。瓶の数が先日片付けた時よりも増えている。
ここが、彼の戦場なのだと痛感させられる景色だった。
「リィン」
「……トゥーリャさん」
振り向くと、ラストゥーリャが穏やかな顔で立っていた。
「納得のいかない顔をしていますね」
「……そう見えます?」
「シェイル殿下の判断は、正しいですよ」
その声に温度があった。
「王都にもやるべきことは山積です。私も残ります。エイゼルも。──秘書官殿をお借りする手筈も整えました。手伝っていただけますね?」
凛子は瞬きを一つし、わずかに頷くしかなかった。
討伐隊には、同行しない。
かつては、秘書官の務めとして当然のようにシェイルに随行するものだと聞かされていたのに。
そして何より──
王都に残される囮役は、自分だ。
あの日、危険に晒された時は彼が傍にいてくれた。
だが、今度は距離が開く。物理的。
不安が形を持って胸に沈むのを、否定する余裕はなかった。
討伐隊出発の前日。
王宮は戦前のような緊張を帯びていた。
百名規模の部隊。
物資の確認。行程の再チェック。
凛子は朝から晩まで奔走し、ようやく一息ついて窓の外を見る。
訓練場では、騎士たちが最終調整に汗を流している。
その中心付近で、シェイルが剣を振るっていた。
研ぎ澄まされた動き。
無駄のない軌跡。
刃の光よりも、その背中の静謐さが胸に刺さる。
「かなりの規模だな、今回は」
背後から聞き慣れた声。
振り返ると、カトレアが立っていた。
「カトレアさんも、明日……?」
「出発する。お前こそ気をつけろ。王都も安全ではない」
「……わかっています」
「閣下は、お前がより安全な方を選んだに過ぎない」
カトレアは真剣な目で言った。
「その気持ちを、無駄にするなよ」
胸の奥に、小さく重い波紋が広がった。
討伐隊の出発が明日に迫り、軍官舎は半ば空になる。
凛子は一時的にシータ家に身を寄せることとなり、久しぶりに私室と呼べる空間で荷物を整理していた。
ふと、帰り際にシェイルから渡された箱を思い出す。
封を解くと、中には銀色の腕輪──以前ラストゥーリャが作成してくれた術具に似たものが収められていた。
三回まで発動可能。
前回のものより強化されていると、短く説明された。
凛子は腕輪を手のひらに乗せる。
金属は冷たいのに、触れていると胸の奥がひりつく。
彼がこれを渡した意図が、分からない。
囮としてうまくやれということなのか。
それとも、離れている間の保険なのか。
──だが。
もしまた転移してしまったら。
その瞬間、犯人を取り逃すかもしれない。
腕輪の光沢が、わずかに揺れた。
凛子の胸の奥も、同じように揺れていた。
守られているのか。
突き放されているのか。
そのどちらなのか、彼の横顔からは読み取れなかった。
その晩凛子は、珍しく夢を見た。
しかし、覚醒した瞬間から、その内容はさらさらと零れ落ちていった。