扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
 それから数日後。
 シェイルは王都に戻り、報告書の山に向かい合っていた。

 封印の地の調査結果。
 ゼイレンでの事件の詳細。
 聖王庁の記録の分析。
 終末信仰に関する情報。
 魔物活性化の原因仮説。

 積み重ねられた紙束は、まるで答えを嘲笑う壁のようだった。

「――結論は?」

 低い声で問うと、ラストゥーリャは沈痛な面持ちで首を横に振る。

「残念ながら……真犯人へ繋がる決定的な証拠は、得られませんでした」

 室内に、重苦しい沈黙が落ちる。
 ウェントワースが気まずそうに一枚の書類を差し出す。

「ヒューゴは依然として供述を拒否。とあるお方の御心に従った、と繰り返すばかりです」

 シェイルは眉間をわずかに押さえる。
 狂信者が寄る辺とする抽象。情報としての価値は薄い。

「聖王庁の記録も、すべて洗い出しが終わっています。封印に関する資料、過去の異端審問の記録などは有りましたが……」

「が?」

「少なくとも、聖王庁の関係者、そしてディエル様と終末信仰を結びつけるような情報は何一つ有りません」

 その名が出た瞬間、室内の空気がわずかに変わった。
 ディエル。
 王国で最も信頼される聖職者の一人。
 その人物を、ヒューゴの言葉だけで追及することなど――できるはずもない。

「魔物の活性化についても」

 ウェントワースが別の報告書を開く。

「何が原因だったのか――結局、わかりませんでした」

「王都の魔法陣は?」

「結果的に、未完成のまま、破壊されました。まるで急いで撤退していったような印象です」

 ラストゥーリャが答える。

「あれが完成していたら何が起きたのか、今となっては推測するしかありません」

「通り魔事件の犯人たちは?」

「そちらは全員、終末信仰の信者でした」

 カトレアが報告する。

「しかし指示者の名は誰も知らず――黒い像が語りかけた、と」

 あの不気味な黒い像。

「つまり」

 シェイルは立ち上がる。

「我々が掴んだのは、末端の実行犯だけ。真の黒幕には、一歩も届いていない」

「その通りです」

 ラストゥーリャは悔しそうに答える。

「魔物の活性化も、通り魔事件も、すべて誰かが仕組んだことは間違いない。しかし――」

「誰を示しているのかという確証がない」

 シェイルは窓の外を見る。
 王都の街並みが、夕日に照らされている。
 平和な風景。
 だが、その裏側で何が蠢いているのか。

「このままでは、終われませんね」

 シェイルは頷くも、絞り出すように言う声は、わずかな焦燥を滲んでいた。

「とはいえ、今は打つ手がないな」

「見えない敵を追うより、まずは目の前の脅威に対処する。封印の監視を強化しろ。終末信仰の動向も、継続して調査する」

「了解しました」

「それから奥宮の結界の穴の方も早急に調査を」

 彼らが退出した後しばらく、シェイルはひとり、書類の山を前にこめかみを押さえていた。
 シェイルは痛む頭をなだめるように、米神を強く押した。
 ――分からないことが、多すぎる。

◇◇◇

 一方、聖王庁。
 ディエルは薄闇に包まれた書斎で椅子に背を預け、静かに笑っていた。月光が窓辺から差し込み、彼の横顔を銀色に縁取る。

「……さて。想定以上だな」

 愉しげに呟き、手元の書籍を閉じる。

 古い革装丁。封蝋には、かつて異端として滅された宗派の印。決して開かれるべきではない禁書。

「……やれやれ」

 ディエルは小さく笑う。

「結構、良い所まで、迫られたな」

 向かい側では、退屈そうな顔をしている女が一人。
 聖職者ではないのは、確かである。

 彼の瞳は目の前に居る女を捉え、幽かな光を帯びる。
 一瞬だけ、底に渦巻く闇が覗いた。

「さて。次は、どう動くべきだと思う? リゼット」

 ディエルが歌うように問いかけた。
 リゼットと呼ばれた女は片目を細め、薄く笑う。

「さあ、貴方の思うままにやってみたら? あなたの望みは、いつだって……」

 その声は甘い毒。
 ディエルの微笑は、満ち足りた崇拝者のそれに変わった。


第五章:彼女の欺瞞、彼の憧憬 <了>
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