扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

 凛子は相変わらず書類の山と格闘していた。

 シェイル直属の書記官として軍部に転属してから、仕事の質が大きく変わった。

 天文院では学術的な資料整理が主だったが、今は軍事報告書、外交文書、諜報記録。しかも、機密度が高い。

「カミーヤ、この報告書の確認をお願いできるかな」

 ウェントワースが書類を手渡す。

「はい」

 凛子は受け取って、目を通す。

 ロマーヌ公国に関する報告だった。
 公王の容態は悪化。
 第一公子はまだ十二歳。
 王位継承を巡る混乱が予想される。
 そして――イズラル帝国が、国境付近に軍を集結させ始めている。

「これは……」

「うん、とても、まずい状態だね。ロマーヌが内乱になれば、イズラルは必ず動く」

「トゥリローゼ王国はどうなるんでしょう?」

「ロマーヌの同盟国だ。参戦は避けられないだろう」

「では、アゼリアスも……」

「トゥリローゼとは友好国。しかも――」

 ウェントワースは凛子を見る。

「十三年前、トゥリローゼの第四王女がアゼリアスに嫁いでいる」

「皇太子妃殿下ですね……」

 つまり、王家の縁戚関係がある。

「火の粉は、必ずこちらにも飛んでくる」

 戦争。
 この世界にも、そんな現実があるのだ。
 その時――扉が開いた。

「閣下、おかえりなさいませ」

 ウェントワースが敬礼する。
 シェイルが、執務室に入ってくるなり、儀礼服の上着をむしり取るように脱ぎ捨てた。

「ロマーヌの件、先程、王室議会にて報告は受けた」

 シェイルは執務机へ歩みながら、手袋を引きちぎるように外す。
 その仕草に、いつもの冷静さとは違う苛立ちが滲む。

「カインズ公とファスト公も呼べ。王室議会と作戦会議だ」

「了解しました」

 ウェントワースが敬礼し、急ぎ足で執務室を後にする。
 室内に、残された凛子はこういう時に、どう動けばいいのか判らず、資料を抱えたまま小さく言った。

「……大変なことに、なりそうですね」

「戦争は、最後の手段だ」

 凛子の言葉を受け、シェイルは顔を上げる。

「外交で解決できる可能性も、まだある」

「そう、ですよね」

 凛子は頷く。
 だが、不安は消えない。
 シェイルの表情も、どこか硬い。

「カミーヤ」

「はい」

「お前は、この国に来て……後悔していないか?」

 突然の問いに、凛子は目を見開いた。

「ゼイレンでの事件。お前は、危険な目に遭っただろう」

 青灰色の双眸がじっとこちらを見つめている。

「そして、これから先も――未来とは予測できないものだからな」

 その声には、何か――痛みのようなものがあった。
 凛子は、少し考える。

 確かに、何もかもが未知の体験だった。
 この世界に来たことも、囚われたことも、シェイルとこうして言葉を交わしていることも。

 でも――。

「後悔は、していません」

 凛子は、はっきりと答える。

「私、かなり打たれ強いんですよ」

「……そうか」

 僅かな、安堵の色が滲み、すぐに消えていった。

「閣下こそ」

 凛子は勇気を出して言う。

「私が、ここにいることを――後悔していますか?」

「何?」

「私がいるせいで、面倒なことになっているのでは……」

「それはない」

 即座に否定された。

「別に、お前のせいではない」

 そして――一瞬、何かを言いかけて、口を閉じる。
 だが、すぐにいつもの冷静な顔に戻る。

「会議の準備を頼む」

 凛子は、少しだけ胸が痛んだ。
 シェイルが、庇護しようとしているのは国でありその民である。

 王都に、冬の冷気を突き破るような吹き込んだ不吉な風。
 ――新年の祝祭の終わりは、新たな戦いの幕開けだった。

< 201 / 218 >

この作品をシェア

pagetop