扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
聖王庁付属の静謐な書院。
淡い蝋燭の灯りが、壁に揺らぐ。
黒衣の魔術師である女は、瞼を閉じていた。
彼女の眼差しは、以前の見せた柔らかい笑みの面影を残しながら、その奥に鋭い光を秘めていた。
あの時――一人だけ記憶を操作出来なかった存在が居る。
リゼットの魔術に予期せぬ抵抗を示した唯一の存在。
王都を騒がせた通り魔事件後、蒼月亭にリゼットという女将が居たという記憶は、彼女と関わったすべての人間からは消え去っている筈だ。
凛子を攫わせ、リゼットは表舞台から退場する。
巧妙に記憶と証言を改竄しながら立ち回ってきたが、多少の齟齬が残るのは仕方ない。小娘一人の記憶など、さして問題にはならないであろう。
豪奢な椅子に腰掛ける男は、彼女にとって既に馴染み深い相手だ。
男が纏う陰鬱な香りも、些事と言ってしまえるような可愛らしい嫉妬心も。
十四年前の絶望を機に、研究に勤しんだ隔離結界の紋様術式は不完全で、暴発した結果、ディエルは彼女の封印されていた地点へとたどり着いた。
空間の共有者となった二人は、共犯者でもある。
彼女の享楽は、彼の希望。
ディエルがリゼットの手を取りその甲に口付けた。
「あとは……貴方が正しき行いをすれば良いのよ」
「問題はシェイルだな」
抑えきれぬ焦燥が、声に滲む。
リゼットは宥めるように微笑む。
囁きは甘く、しかし冷たい。
「英雄は一度、疑われれば脆いもの――大衆が、裏切り者と叫べば、たちまち処刑台に送れるわ、それはどこの世界でも一緒でしょ」
リゼットは指先で机を撫でる。
「民意など、記憶と同じく捻じ曲げられるもの、簡単に」
「正直な所、国という巨大な檻は欲しくはないんだ。そうだな、ただ、自由が欲しい」
ディエルは疲れたような声で、背をリゼットに預ける。
「そして自由を奪いたい」
昏い声が闇に落ちていく。
彼の犯した罪が、彼女にとって何よりもの享楽となる。
願いを希う感情そのもが、彼女にとっては極上の蜜だった。
淡い蝋燭の灯りが、壁に揺らぐ。
黒衣の魔術師である女は、瞼を閉じていた。
彼女の眼差しは、以前の見せた柔らかい笑みの面影を残しながら、その奥に鋭い光を秘めていた。
あの時――一人だけ記憶を操作出来なかった存在が居る。
リゼットの魔術に予期せぬ抵抗を示した唯一の存在。
王都を騒がせた通り魔事件後、蒼月亭にリゼットという女将が居たという記憶は、彼女と関わったすべての人間からは消え去っている筈だ。
凛子を攫わせ、リゼットは表舞台から退場する。
巧妙に記憶と証言を改竄しながら立ち回ってきたが、多少の齟齬が残るのは仕方ない。小娘一人の記憶など、さして問題にはならないであろう。
豪奢な椅子に腰掛ける男は、彼女にとって既に馴染み深い相手だ。
男が纏う陰鬱な香りも、些事と言ってしまえるような可愛らしい嫉妬心も。
十四年前の絶望を機に、研究に勤しんだ隔離結界の紋様術式は不完全で、暴発した結果、ディエルは彼女の封印されていた地点へとたどり着いた。
空間の共有者となった二人は、共犯者でもある。
彼女の享楽は、彼の希望。
ディエルがリゼットの手を取りその甲に口付けた。
「あとは……貴方が正しき行いをすれば良いのよ」
「問題はシェイルだな」
抑えきれぬ焦燥が、声に滲む。
リゼットは宥めるように微笑む。
囁きは甘く、しかし冷たい。
「英雄は一度、疑われれば脆いもの――大衆が、裏切り者と叫べば、たちまち処刑台に送れるわ、それはどこの世界でも一緒でしょ」
リゼットは指先で机を撫でる。
「民意など、記憶と同じく捻じ曲げられるもの、簡単に」
「正直な所、国という巨大な檻は欲しくはないんだ。そうだな、ただ、自由が欲しい」
ディエルは疲れたような声で、背をリゼットに預ける。
「そして自由を奪いたい」
昏い声が闇に落ちていく。
彼の犯した罪が、彼女にとって何よりもの享楽となる。
願いを希う感情そのもが、彼女にとっては極上の蜜だった。